「負け」に対する意識の希薄さ

下の記事を読んでいて気付いたことがある

 パワー、スピード、技術。すべてが武器になっている井上尚弥だが、大橋が舌を巻くのは心の強さだ。
「尚弥って、本当に類いまれで一番強いのはメンタルだよね。あの強さは尋常じゃない。今回も一緒にいて、すごくそう思ったから」
 フルトン戦で揉めた“バンデージ問題”はまさに好例だった。何があっても動じない。多くのボクサーを見てきた大橋の目にも、尚弥の心の強さは特別だという。
「いないな、ああいうのは……。やっぱり俺なんかのときは負けたらおしまい、ボクシングもある意味で武士道だった。でも尚弥はさっき言った通り、負けたら次に頑張ればいい。たぶん本当にそう思っている。ゆとり世代のいいところかもしれない。大谷翔平君と尚弥は、この世代の成功例でしょうね」

ゆとり世代が導いた一つの正解は、「負ける」ということに対する関心の薄さかもしれない。

前世代の「負ける」こと

それより前の世代では、大橋会長がいうように武士道があり、そもそも戦争に勝つ負ける、出世競争に勝つ負ける。半沢直樹のような「片道切符」という言葉が生まれる世界だったように思う。

100年前は、戦争だけでなく病気も多く、子供のころに亡くなった、という話もたくさんあった。そもそも生き残ることは容易ではなかった。
「病気に負ける」ということのつらさも大いにあっただろう。

生死と結びつけるというのはいささか誇大しているのかもしれないが、少なくとも「負ける」ことに対しての重さは今までと異ななったに違いない。
周囲からの評価、終わりというレッテルにもつながり、こうしたことが「負ける」ことへの恐怖心を作り出したのではないか。

ゆとり時代の「負ける」こと

「かけっこは、みんなで手をつないでゴールする」←理解できない

そんな揶揄もされることも多い、ゆとり世代の教育方針。優劣をつけることはよくない、という考えのもとだが、「負ける」ことにたいしての恐怖心は比較すると減ったのかもしれない。
(同時に勝つという執着心や、負けることへの恐怖心をもとにモチベーションを上げる、みたいなことは弱くなったのかもしれないが。)

成功例で見ると、「負けること」に過大な意識を持たせず、あくまで次につなげるメンタリティを備えるように持っていけているように思う。
ー成功例の条件としては「人と比べない」という精神を植え付けることができていることは大きそうに思う。井上慎吾氏の「人と比べない」、大谷翔平の「憧れることをやめましょう」発言からそう感じる。

「よい敗北の受け入れ方」をする。人と比べず、自らの課題を見つけ、次に生かす。そのサイクルを作れることこそが、大きな成功を呼ぶための一歩かもしれない

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?