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『大怪獣のあとしまつ』のあとしまつ

 クソ映画の呼び声が高い『大怪獣のあとしまつ』を封切日に見に行ってきました。ネットでは鑑賞したみなさんが例外なく発狂しているように素晴らしい駄怪獣映画だったという点には全面的に同意します。予告編の西田敏行の演技を見て多少の警戒はしていましたが、見る前にパンフレットを買ってしまったのはまさに不覚でした。
 ということで、『大怪獣のあとしまつ』についてあとしまつをしなければと思い筆を執った次第です。
 もともと『時効警察』のファンでしたので、三木聡監督・脚本であれば楽しませてくれるだろうと思って見に行ったのですが、想像をはるか斜め上を行く作品でした。

 冒頭、怪獣が死んで出動していた国防軍が撤収し、兵士たちが家族のもとに帰還する風景が描かれますが、妻か彼女と抱き合いキスをする兵士の向こうでは、男性兵士が迎えに来た男性とキスをしています。このあたり、多様性を表現するのであればよいのですが、面白さとして挿入したのであればLGBTQ界隈が少し五月蠅くなりそうです。
 キスといえば、内閣総理大臣秘書官・雨音正彦役の濱田岳は妻の環境大臣秘書官・雨音ユキノ役の土屋太鳳とキスしたかと思えば、厚生労働省研究員・静野密とも濃密なキスシーンを演じ、一方でヒロインである土屋太鳳も主役の特務隊一等特尉・帯刀アラタ役の山田涼介とキスを交わします。10人も観客がいなかった映画館で前の席に座っていた2人の若い女子が上映後「いやにキスシーンが多かったね」と感想を述べあっていたのもムベなるかなです。

 面白味という点では、蓮舫を彷彿とさせる環境大臣・蓮佛紗百合役のふせえりや国防大臣・五百道睦道役の岩松了がブルースこと青島涼役のオダギリジョーとともに『時効警察』臭さを醸し出していて、その点、『時効警察』ファンのひとりとしてはニヤニヤしながら見ていました。
 そういえば、麻生太郎をモチーフにしたであろう財務大臣・財前二郎役の笹野高史や内閣官房長官・杉原公人役の六角精児、外務大臣・中垣内渡役の嶋田久作、国防軍統合幕僚長・中島律役の田中要次、国防軍大佐・真砂千役の菊地凛子、ユキノの母親役の銀紛蝶、食堂のサヨコ役の二階堂ふみ、動画クリエーター・武庫川電気役の染谷将太、町工場社長・八見雲登役の松重豊と『時効警察』ゲスト陣も多数参加していました。こうなってくると、メインキャラで『時効警察』ファミリー以外は、山田涼介、土屋太鳳、濱田岳、特務隊隊長・敷島征一郎役の眞島秀和、特務隊員・椚山猫役のSUMIRE、厚生労働大臣・甘栗ゆう子役のMEGUMI、文部科学大臣・竹中学役の矢柴俊博、国土交通大臣・道尾創役の笠兼三、国防軍隊員・川西紫役の有薗芳記、そして内閣総理大臣・西大立目完役の西田敏行と半分以下になってしまいます。
 それだけ『時効警察』色が強いので、五百道睦道国防大臣の「いいか君たち、悲しくて泣いて出た涙も、鼻毛を抜いて出た涙も、区別がつかないだろう」とか「なぜ、君が特務の方をもつ。土産物のマリモは手で丸めてるって知ってて買うようなもんだぞ」という特有の言い回しも、蓮佛紗百合環境大臣の「限りなくウンコに近いゲロかもしれません」という力強い言い切りも三木聡臭がプンプンとしてきました。

 また、この映画の見どころのひとつは、最高級の特撮とCGが駆使されていることでしょう。怪獣造形は平成ゴジラシリーズを担当した若狭新一、特撮監督は佛田洋、VFXスーパーバイザーは野口光一という『男たちの大和/YAMATO』コンビ、美術監督に日本アカデミー賞優秀美術賞を受賞した磯見俊裕という顔ぶれで、6メートルもの怪獣の巨大なミニチュア(語義矛盾!)が造られたり、新型コロナウイルス感染症の影響でCGのパートがやたらと細かく美しくなっています。
 しかし、残念なのは、これだけ豪華なキャストをラインナップし、素晴らしい特撮やCGを動員しておきながら、登場人物一人ひとりの作り込みが浅かったためそれぞれの人物に感情移入できなかったことと、さらに、『シン・ゴジラ』以前であれば許された設定の甘さが随所で世界観の空虚さを感じさせたことでした。

 『大怪獣のあとしまつ』の企画が生まれたのは2008年だったそうです。三木聡監督は「思いつきで怪獣の死体を片付ける怪獣映画を考えています」と答えたのが始まりだとしていますが、その後、2014年に三木聡監督が東映のプロデューサーとの「話の中で怪獣の死体を片付けるアイデアを話したら、それを企画にまとめましょうという流れになったんです」ということのようです。とすれば、当然、東日本大震災を巡る日本国政府の右往左往ぶりは国民の目に焼き付いた後ですし、それを丹念にパロった『シン・ゴジラ』との比較対象とされることは既定路線であったと言えます。それに耐えうる作品だったのでしょうか。

[国防軍と特務隊]

 まず、怪獣に対して国防軍と特務隊なる2つの実力組織が登場します。両者とも聞きなれない組織名ですので、公式パンフレットの説明を引用すると次のようになります。
【国防軍】2012年に自衛隊から発展した軍隊。希望との戦いで真価を発揮するはずだったが、同じく怪獣対策にあたった首相直属の組織・特務隊をライバル視している。
【特務隊】総理大臣直属の戦闘部隊。科学および戦闘のエキスパートからなり警察や国防軍からは独立した機関である。密かに組織されていたが、希望の出現後は怪獣退治の別動隊として、その存在が明らかになった。シンボルマークは十握剣。怪獣退治に特化した組織として認知されているため、希望の死後はその存在意義が問われそうだ。

 これだけではよくわかりません。「希望」というのは怪獣の死体に付けられた名前ですが、この国防軍と特務隊という2つの実力組織の関係がわかりにくいのは、特務隊という内閣総理大臣直轄の部隊という観客にとって未知の組織を最前面に押し出しているのに、そのライバルとしてわざわざ既存の自衛隊ではなく国防軍という新組織を設定しているところです。十分な説明がないままに未知の実力組織が2つ出てくることで最初から作品の現実感を剥ぎ取ってしまったと言えるでしょうか。

 国防軍については、三木聡監督自身が「映画の準備をしていた頃、当時の安倍晋三総理のもと自衛隊を軍隊にすべきか議論が巻き起こっていた。数年後の近未来という設定なので、2012年に国防軍が創設されたという延長線上の世界と考えました。シンボルマークは剣をくわえた鳩。平和的か好戦的かどっちやねんっていう(笑)」と解説していますが、現実的に2014年から企画が始まって2020年からクランクインした映画に、中途半端な時点で思いついた政治的メッセージを迂闊にも織り込んでしまい、岸田文雄政権時に見せられた観客の方が「どっちやねん」とツッコみたいところです。
 自衛隊のままであれば、現行の自衛隊法で自衛隊が出動できる根拠が防衛出動なのか、治安出動なのか、災害派遣なのか、それともそれ以外なのかとか、恐らく怪獣の死後であれば災害派遣になるのでしょうが、それが災害派遣に当たるのか、当たらないとすれば災害派遣、地震災害派遣、原子力災害派遣の後に第83条の4として怪獣災害派遣の規定を挿入すべではないかとか、自衛隊の出動については千葉県知事と茨城県知事のどちらから災害派遣要請をするか(設定上は一級河川としていますが、地図では明らかに利根川の右岸なのでおそらく千葉県知事なのでしょう)とかいう論争があってもよかったのにと思うと残念でなりません。
 自衛隊の場合は武器使用基準も厳格ですから、災害派遣ではあのようにミサイルをバカスカ撃てるとは思いませんが、国防軍が凄いという印象を付けるためでしょうか、映画冒頭では大型飛行機「弐番艦」が飛行するシーンが描かれています。数年後の近未来の日本でそんな巨大な軍艦まがいの大型機が飛ぶのもおかしな設定です。とりあえず飛ばしたかっただけのような感じですね。

 一方、特務隊は、その位置付けや役割が明確にされていません。内閣総理大臣直属の実力部隊ということですが、内閣法に基づき内閣官房に置かれているのか、内閣府設置法に基づき内閣府に置かれているのかは不明です。内閣府特命担当大臣がひとりも出てきませんので、やたらと汗をかいて走り回っている内閣官房長官の指揮下の内閣官房にあると見た方がよいのでしょうか。
 そして、設定では特務隊は警察と軍隊の中間に位置しているとされていますが、警察権を持たず、軍隊のようにネガティブリストで動くわけでもない組織が、対怪獣戦闘に備えて秘密裏に組織されたという設定自体にも無理がありそうです。
 物語では、なぜか主人公の帯刀アラタ一等特尉が内閣から敷島征一郎特務隊長を飛び越えて現場責任者に指名されます。国家の危機とされる事態に大尉クラスが責任者とは驚きです。それなのに、怪獣死体の視察には敷島隊長も付いてきて一緒に怪獣死体から腐敗体液を浴びていました。指揮系統はどうなっているのでしょうか。

 国防軍と特務隊が交差する場面が何回かありますが、アラタたちが腐敗体液を浴びた直後には国防軍から真砂大佐以下の怪獣処理部隊が出張ってきて全権を掌握してしまいます。功を焦った国防大臣が政府の承認を取り付けたようですが、どういう法的整理がされているのでしょうか。現場で真砂大佐に抗議したアラタに対して特殊部隊の隊員たちは一斉に銃口を向けます。こうした武器使用が許されるのは自衛隊ではなく国防軍だからというのでしょう。
 その後、液化炭酸ガスによる冷却作戦が失敗して指揮権は特務隊に戻りますが、官邸から雨音正彦内閣総理大臣秘書官が派遣されてきます。肩書は「希望」処理対策本部長。もはや何の本部なのか、どこの組織に設置された本部なのかよくわかりません。

[災害対策本部の問題]

 さて、内閣では災害対策本部が立ち上げられています。これは災害対策基本法に基づく特定災害対策本部なのか、非常災害対策本部なのか、緊急災害対策本部なのか判然としません。基本的に災害対策本部は一義的に災害対策を担う地方自治体に設置されるものであり、政府には先の3類型の対策本部を設置することができるとされています。
 このうち2021年の改正災害対策基本法で設置することができるようになった非常災害対策本部は本作品制作中のことなので対象外かもしれませんが、設定が数年後のこととしているので触れておくと、都道府県単独での対応が困難な災害が起きた場合に内閣総理大臣が内閣府に設置し、防災担当大臣が本部長を務めて関係閣僚で構成されます。死者・行方不明者が100人規模となる災害では内閣総理大臣は内閣府に非常災害対策本部を設置することができますが、この場合も本部長は防災担当大臣です。
 そして、著しく異常かつ激甚な非常災害が発生した場合には、閣議決定に基づいて緊急災害対策本部が内閣府に設置されることになります。緊急災害対策本部の本部長は内閣総理大臣ですので、西大立目完内閣総理大臣が本部長を務めている災害対策本部は災害対策基本法第28条の2の規定を根拠とする緊急災害対策本部であるということになりますね。そして、災害対策副本部長には内閣官房長官、防災担当大臣ほかを充て、本部員にはその他のすべての閣僚と内閣危機管理監などが充てられることとなっています。
 しかし、本作品では、この災害対策本部に出席しているのは、本部長である内閣総理大臣、副本部長である官房長官のほかに、財務大臣、外務大臣、国防大臣、国土交通大臣、環境大臣、厚生労働大臣、文部科学大臣の9人だけなのです。緊急災害対策本部であれば必要な防災担当大臣がいませんし、本部員としての閣僚の数も決定的に欠けています。計画停電が描かれておきながら経済産業大臣がいませんし、何より一般廃棄物の所管が問題となっているのに総務大臣がいないのです。

 東日本大震災でおなじみとなった計画停電は、電気事業法第34条の2の規定に基づき「電気の需給の調整を行わなければ電気の供給の不足が国民経済及び国民生活に悪影響を及ぼし、公共の利益を阻害するおそれがあると認められるとき」に「必要な限度において」経済産業大臣の命令で行われるもので、雨音正彦内閣総理大臣秘書官が「怪獣通過地域の計画停電の解除は、安全宣言のあとになると思います」と言うように危険地域だからといってできるものではありません。弐番艦を飛ばしたかっただけなのと同じように、「計画停電」という用語を使ってみたかっただけなのかもしれません。
 また、設定上、大怪獣の死体は利根川の河原に横たわっています。災害対策本部で「一級河川なら国交省だぜ」と責任を押し付けられそうになったときに「違うでしょう。放射能が検出されない限り、地方自治体が一般廃棄物として処理するのが原則です」という国土交通大臣の反論を受ける地方自治体を所管する総務大臣がこの映画には存在しません。総務大臣がいない災害対策本部というものは、地方自治体も警察も消防も管轄できず、まったく手足のない非現実的な組織だということです。

[環境省の問題]

 さらに、ヒロインが所属している環境省は環境省でこちらもよくわからないのです。災害対策本部があるにもかかわらず、「厚労省でもなく、文科省でもなく、安全宣言は環境省で出すわ」と蓮佛紗百合環境大臣がハッスルするのですが、緊急災害対策本部の本部長は内閣総理大臣ですので、本部の一構成員である環境大臣が勝手に安全宣言を出せるわけがありません。

 しかも、腐敗する怪獣死体「希望」を押し流すために一級河川(利根川)の上流にあるミツハダムを爆破しようとしますが、このミツハダムは、公式パンフレットも「名称は利根川上流にある群馬県の八ッ場(やんば)ダムを思わせる」と思いっきり書いていますので、八ッ場ダムのオマージュであることがわかります。また、「八ッ場ダムは2020年より運用がはじまったばかりの新しいダム」であるとしており、ミツハダムとは別のダムであることがわかります。
 このミツハダム爆破計画がいったん白紙になろうとした際に、蓮佛紗百合環境大臣は雨音ユキノ大臣秘書官に「管轄する国交大臣が抵抗勢力なのよ。許諾を出さない」と説明しますが、河川法の所管は国土交通大臣ですからこれは当然の処置であり、環境大臣の主張の方が間違っています。ここも単に「抵抗勢力」という用語を使いたかったのでしょう。「許諾を出さない」に至ってはそうした法律用語はありませんので、河川法に基づく「許可」ということだろうなと頭の中で置換処理を行いました。
 さらに、ミツハダムは、公式パンフレットが「すでに運用が終了し、現在環境調査のため環境省が管轄している」と説明していますが、河川管理施設であるダムの事業者は国土交通省や農林水産省、独立行政法人水資源機構、都道府県、市町村、土地改良区、電源開発や電力会社などの民間企業があるものの、環境省が所管するダムというものはありません。その現実は横に置いておいたとしても、一級河川については依然として国土交通大臣が管理権を持っており、河川管理者でもない環境大臣の言うことを聞く必要はありません。

 作品では雨音ユキノ大臣秘書官が「大臣、現在、ミツハダムは役割を終えて、環境調査のためにうちが管轄を」と報告し、蓮佛紗百合環境大臣とともに環境省に新しい朝が来た、希望の朝だと喜んでいますが、なぜ特務隊ではなく環境省が最後までやる気満々なのかはよくわかりません。

[ハードとしての災害対策本部]

 三木聡監督は省庁間の責任の押し付け合いというシニカルなお笑いを描きたかったのでしょうが、むしろ現実離れした世界観を無理矢理押し付けられている感覚を拭えませんでした。やはり各省庁の権限や役割くらいについては基本中の基本として押さえておかなければ、『シン・ゴジラ』後の映画を見ている観客の側を置いていくことになるでしょう。それは舞台セットの取り扱いからも理解できます。
 災害対策本部のセットは磯見俊裕美術監督によれば、「三木さんは動きのあるお芝居やちょっとしたタイミングの間を大切にする演出なので、自由な空間と時間の場を考えました」、「ポイントは大臣同士の動きのある芝居が撮れること、そしてメンバー全員が総理を見たときに面白い画になること。そこで林(チナ)さんが提案してくれたのが中央にテーブルのない、V字型の奥行きのあるデザインでした」、「テーブルをなくし、自由に動き回ったり、誰かが伝言を伝えに来る姿もよく見えるようにしています」ということのようですが、「演劇的で珍しい感じ」になった半面、現実感を喪失したとも言えます。まるで『時効警察』を見ているようでもあり、閣僚が動きすぎて収拾が取れていないように見えました。結局のところ、公式パンフレットの説明を読めば、災害対策本部については、あくまでも演劇の舞台、すなわちハードとしてしか認識されていないことがわかります。
【災害対策本部】内閣府所管の防災施設。首相官邸の地下に設けられ、ふたつの巨大なスクリーンの間に首相の机と閣僚たちの椅子がVの字に並ぶ。閣僚の背後には各省庁の職員が待機するスペースが設けられている。

 そして、災害対策本部に参集した閣僚が全員同じ水色のジャンパーを着ている(通常は各省庁の防災服を着る)とか、設定では閣僚の後ろに控えているとされる官僚が内閣総理大臣秘書官と環境大臣秘書官と特務隊隊長と特務隊一等特尉しかいないとか、観光庁を所管する国土交通大臣ではなく外務大臣がインバウンドを牽引しようとするとか、現実世界と乖離した描き方が作品世界に入り込みにくい状況を作ってきたということは枚挙にいとまがありません。

[『怪獣要撃戦』から『怪獣のあとしまつ』を検証する]

 現実世界に怪獣が出現したときに、その怪獣を「仮想敵」として首都圏の防衛力を論じた『怪獣要撃戦』という名著があります。当時の防衛庁広報部も協力して1993年に出版されており、怪獣の発見~認識のプロセスから対怪獣作戦まで論じた後に、第8章で「撃滅後の処理」に触れています。これを参考にしながら、当時とは少し事情は違うものの、『怪獣のあとしまつ』の検証をしてみたいと思います。「撃滅後の各事項への対処』の項目は次の通りです。

A 巨大生物そのものの処理
  A-1 撃滅の確認
  A-2 死体の運搬
B 災害復旧
  B-1 物的問題
  B-2 法的問題
C 将来の対怪獣防災
  C-1 基礎学術研究
  C-2 応用的技術研究
  C-3 対怪獣事業

 「巨大生物そのものの処理」の中で、最初の「撃滅の確認」は作品では特務隊により行われましたが、あくまでもサーモグラフィによる体温測定などで確認されていたようです。本書でも「相手は全く未知の生物である。どのような体内構造を持っているかわからない。厳密に『死』の確認にこだわるよりは、市民の安全の確保を優先すべき」とされています。
 「死体の運搬」については、「希望」は利根川と思われる一級河川の河原で死んだことから、都心部からの移動は不要ですが、「保管場所と管理責任者を決定し、万一息を吹き返した場合のために自衛隊の厳重な監視」が必要であるとしています。
 災害復旧の「物的問題」としては、「怪獣によって破壊された建物と、水道・電気・ガス・交通等のライフラインの復旧工事が行われなければならない」、「二次災害の発生への対応をする必要もある」、「巨大な生物が荒らしまわった後ならではの特殊事情も考えられる。体液による汚染の除去等である」とされており、作品では「計画停電」や「銀杏の臭い」、「キノコ」などへの対処が考えられています。
 「法的問題」としては、「自衛隊の攻撃による家屋の破損等の問題で、当分は訴訟が絶えないことが予想される」とされており、作品では「希望」上陸の際に国防軍が独断でミサイル攻撃を行って民間の建物を焼失させたとしていますが、簡単な設定ではないということです。
 「将来の対怪獣防災」の「基礎学術研究」で指摘されるのは「最大の研究資料は、怪獣そのものの死体である」ということで、作品では「国立博物館で標本保存したら」という責任のなすりつけに文部科学大臣が「入りませんよ」と断っています。
 「対怪獣事業」としては、「自衛隊が怪獣対策を担当するのではなく、巨大生物対策専門の組織を政府の指導のもとに発足させることになるのかもしれない」としていますが、『シン・ゴジラ』では巨災対(巨大不明生物特設災害対策本部)の先にできるかもしれない組織であり、『大怪獣のあとしまつ』では特務隊なのでしょうか。

[そしてあとしまつ]

 そうは言っても、現実世界どおりに描くとハレーションが大きいこともあったようです。それが「隣国」の取り扱いです。中華人民共和国や朝鮮民主主義人民共和国の報道官のような人物が時折テレビ画面に現れ、怪獣を速やかに除去すべきと日本を非難したかと思えば、安全でインバウンド需要に使えると知った途端に「わが国土の大陸棚で発生したもの」として死体の所有権を主張したり、死体から悪臭が出ることを知ると「我が国土に臭いが届いた場合には断固とした対応をする」と再び非難したりしていました。テレビ画面に「隣国」とテロップがあるのには笑ってしまいました。
 あと、ネット上で下ネタしか印象に残らなかったという感想がありましたが、五百道睦道国防大臣の「それ(怪獣退治にいくら使ったか)を言うのは別れた彼女に使った金額をセックスの回数でわるようなもんだよ」という発言や、染谷将太の無駄遣いであるYouTuber武庫川電気の裸体全身に生えたキノコのうち「なんでそのキノコだけ種類が違うの?」、「あのキノコだけ種類が違うな?」という股間への指摘を蓮佛紗百合環境大臣と西大立目完内閣総理大臣から立て続けにさせたうえで、どちらもヒロインの雨音ユキノ秘書官に答えさせるというセクハラ丸出しの演出を指すのでしょう。

 以上、肝心なところや最大のネタバレにつながらないように鑑賞上の注意点を書き連ね、あとしまつのあとしまつとしました。しかし、ネット上の批評をよく見ると「特撮コメディ」「パロディコメディ」とも書かれていますので、最初からそういう想いで見に行っていただくと、モヤモヤとした心のあとしまつの必要がない三木聡作品の楽しい鑑賞となるのではないでしょうか。

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