結局、人間が処理できる情報量なんてしれてるから、そりゃSNSはしんどいよな。
この記事は4月の初めに書いていた記事なので、だいたい2ヶ月くらい感覚がずれていると思いながら読んでください。
「なぜ読書から離れたのか」長年の謎を解く過程で書いていた文書なのですがまとまらなかったので、まとまって筋の通ってるっぽい部分だけ抜粋してます。
では、どうぞ。
先日から、SNSデトックスをしている。特にTwitterは、ありとあらゆる思想や価値観を持つ人々の自意識の煮凝りを、次から次へと読ませてくる。自分の考えでさえ漫然としていて上手く判断できないのに、有事の際にTwitterを見るのはめちゃくちゃしんどい。めっちゃしんどい。誰かに振り回されてる他人に、自分の軸を脅かされてたら何もできない。この文章を読んでどきっとした人には、ぜひSNSデトックスをお勧めする。またいずれ、SNSデトックスに便利なiPhoneの機能をまとめた記事でも書きます。
閑話休題、SNS中毒だった私がSNSを手放して、次にし始めたことは、読書である。
本の虫だった小学生から変態した中学生。もうあまり読書をしなくなってから、早10年である。つまり、原点回帰だ。
というのも理由がある。Twitterを見なくなった分、本でも読むか〜と軽い気持ちで手に取った本が「鹿の王」であった。「孤笛のかなた」や「守り人シリーズ」など、荻原規子先生の「勾玉三部作」と共に、私を邦ファンタジー沼に突き落とした上橋菜穂子先生の作品である。実は途中まで読んでいたのだけど、そもそも途中まで読んでいたことすら忘れて本屋でまとめ買いをしたのだ(各二冊)。
既に読書済みの人は察しがつくと思うが、「鹿の王」は伝染病が事の始まりとなる話である。読み始めて数秒後に一度途中まで読んでいたことを思い出した時に「えらいタイミングで読み出してしまった…」と、鳥肌が立った。
ということで、今日は日がな一日「鹿の王」を読んでいた。まだ途中なので、ネタバレはやめてください。
ふと寒さを感じて本から目を離すと、部屋が暗かった。カーテンを開け放されて闇に紛れ始めた部屋は、無用心にもほどがある。さっとカーテンをしめて、電気をつける。はーーーー、潜った潜った。ただいま、現実。晩ご飯でも作りましょうか。そこで、ふと気づいたのだ。
読書とは、筆者との一対一の授業である。筆者の考えや趣味嗜好、人生で出会ってきた様々な出来事や人を筆者なりに噛み砕いて出来た哲学を元に、本は出来ている。ならば、読書をしている時間は、誰もいない部屋で筆者と二人きりの特別授業を受けていることと同義ではないか。
では、SNSやインターネットはというと真逆である。ありとあらゆる人間が、どこまでも広く無限に続く空間で、思い思いの踏み台に立って意見を表明しているのだ。ディベートにすらなっていない、時間配分も場所も何も決まっていないバラバラに始まるスピーチ大会か。しっちゃかめっちゃかである。
そりゃあ、しんどいよ。やってらんないよ。人間が一度に処理できる情報量なんて、精々本一冊分くらい、45分の授業分くらいよ。たぶん。こんな時くらい特別授業だけ、受けてたいよな。
みなさんも是非特別授業を受けて、心を鎮めてください。デドックスです(?)
ちなみに、読書に飽きた今は、黙々と料理してます。また料理を勧める記事も書こうかな。
おやすみなさい。
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