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自分のためではなく誰かのために

フリーランスと言えどひとりの人間だ。結婚もすれば、子を産み、育て、時には親の介護だってする。

そこには責任が生まれる。「家族のために、将来のために頑張って稼がないといけない」という責任だ。この責任感が大きなモチベーションになることは言うまでもない。

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その理論で行くと、今の自分は無責任だ。いや、責任を取る覚悟はあるが相手がいない。こればかりは仕方がない。

とはいうものの、自分にも責任感が人一倍あった時期がある。社会人10年目を迎える前後の時期、おそらく人生で最高レベルではないかというくらいの高いモチベーションで働いていた。30代前半、最も脂がのっている時期だ。

結婚し、妻のために、そして将来のために頑張って働かねばと考えていた。背中のネジを一生懸命に回し、がむしゃらに動いた。人脈を作り、より良い条件を求めて転職し、新しい環境に積極的にチャレンジして成果を収めていた。何をやってもうまくいく、まさに無敵だった。

ここに2001年の給与明細がある。

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社会人10年目でもらっていた給与だ。これに賞与が5か月+α。さらに営業インセンティブが乗ってくる。年間では4桁を超えることになる。

人生で最も責任感を持って仕事をしていた俺がここにいる。この明細を捨てられないのは、この時の俺をいまだに超えることが出来ていないからだ。

「は?お前その歳になってもその程度なの?バカじゃね?」

と、当時の自分はきっと言うだろう。何せこの時は天狗になっていたし、性格も悪かった。今でも決して良くはない。結構な腹黒だがそれはいいとして。

今年こそはこの時の自分を超えるかもという期待もあった。経済が死んだせいでそれも無理になったわけだが。

いや、この時の自分なら今の状況下でも「なにくそ!」ともうひと踏ん張りしていただろう。超えてやるという気持ちは持ち続けていただろう。

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今それができないのはなぜだろうか。

そうはいっても結構踏ん張っている。積極的に新規の案件を獲得している。昨対比もプラスのまま推移している。この時の自分を超えようと懸命に夜遅くまで働いている。

でもそれは今の延長線上で頑張っているというだけの話だ。昔みたいに冒険をしていない。

それは自分が無責任だからではないだろうか。自分一人だけなら何の問題もなく生きていけるからではないだろうか。

誰かに何かを残すわけではない。自分が生きていければそれでいい。誰かのために頑張るというモチベーションが皆無なのだ。このせいでここ最近いろいろ考え事をする機会が多くなった。俺は何を支えに頑張っているんだろうか。

漫然とした虚無感と、漠然とした喪失感。背中のネジが見当たらない。



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