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イヤホンを新しく買って、また音楽を聞き始める

昔々、僕の生活は音楽と共にあった。

学生時代にお金がなかったとき、ご飯を食べずにお金を音源に突っ込むみたいなことも結構やった。今思えばその時間とお金で筋トレでもしてたらよかった気がするが、その時はそれなりに満たされていた気もするので、それはそれでよかったんだと思う。

いつしか、音楽を全く聴かなくなった。きっかけはもう完全に忘れた。たとえば卒業した母校で過ごした生活の名残惜しさをさっぱり忘れるように、一切の躊躇なく日常的に音楽を聞かなくなった。心身が音楽を必要としなくなったとしか言いようがない。

今ふと思ったのだけど、もしかしたらそれまでの僕はあまりにもシリアスなリスナーでありすぎたのかもしれない。オリジナルをやるようなバンドを組んだり、そのバンドで作詞を担当したり、ジャズギターを熱心にやったりもしていたので「音楽を分析的に聴く」ことにあまりにも慣れ切っていた。当然ながら、この聴き方はめちゃくちゃ疲れる。子供が産まれて育児も始まり、どう考えてもそんなことやってる場合ではなかった。やはりきっかけは本当になかったのかもしれない。最近だと、スプラトゥーンをやらなくなった理由に似ている。疲れるのでたぶん二度とやらない。

ところで、この間イヤホンを新調した。仕事で使っている骨伝導イヤホンのバッテリーがへたってきたので、同僚のエンジニアがおすすめしていたBOSEの新作を電器屋で試したのち買った。

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オープンイヤーなのにちゃんとBOSEの低音が出ていて、しかも音源と逆位相の音を生成して音漏れを防ぐというスーパーな機能を持つイヤホン。イヤホンとしては高価だったが、購入して半月、今のところはかなり満足している。妻も買って、二人で満足している。おまけに、骨伝導イヤホンのおさがりをもらえた娘もニッコリ。

このイヤホンの気に入っているところは、音楽をそれなりに音質よく流しながら普通に会話ができるところ。骨伝導だと耳を完全に塞がなくては音質は追求できなかったし、インナーイヤー型はそもそも周囲との会話を前提とした用途では使わないだろう。所帯持ちとしては、それらのような個に没入した音楽体験は得難いし、正直特に必要ともしていない。

だから、いま音楽はBGMとして「聞いて」(hear)いる感じになっている。耳を傾けるのではなく、環境に音楽を馴染ませている。いうまでもなく、これは以前の「分析的に聴く」とは真反対のスタンスだ。そのため、音楽が耳に入っても微塵も疲れを感じない。これまで音楽を聴きながら何かをするのが苦手だったが、いまなら問題なくできる。なぜなら、聴いて(listen)いないから。

そんなわけで、このところの音楽の聞き方は以前よりもこだわりがなくなっているがゆえに、節操もなくなっている。アニソンとガールズバンドの間にジャズファンクが挟まっていたり、1960年代から2020年台に飛ぶなど、時代もめちゃくちゃだったり。ただ、どうしても音楽を熱心に聴いていた頃によく聴いていたものが多くなっている気はする。

時間が経って俯瞰したら面白いかなと思って、Twitterのツリーに聴いた音楽をぶら下げている。Twitter APIが事実上消滅したいま、温かみのある手運用で都度追加しているので、もし「おっ」と思う音楽が目について、かつ、気が向いたらネットでもリアルでも話しかけてほしい。真剣に聴いているわけではないけど、音楽の話はしたい。


より長く走るための原資か、娘のおやつ代として使わせていただきます。