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娘のダンス発表会の練習をマネジメントして、「5万人に一人の扉」を開く手助けをしてみた2ヶ月弱のこと

あんまり書かないでいようと決めている娘の話を書こうと思う。

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この間、娘のダンスの発表会があった。

年長さんの娘は導入レベルのクラスに所属しているのだけど、今回の発表会はライブ形式で8曲踊るプログラムだった。年長さんのキャパを若干超えている気もしたが、娘は話を聞いた当初からそんなんやるに決まってますやんみたいな顔をしていた。

8曲の中には以前やった曲が含まれるという話だったが、娘は6月時点でそんな過去曲の振りなんて綺麗さっぱり忘れていた。のっけから先が思いやられる。その自信は一体なんなんだ。

ところで、娘のおとうさんは元バンドマン(パートはギター)で、学生時代には大きめのホール(なんとか文化会館みたいなところ)でやる音楽イベントのステージマネジメントをしていた人間だ。一方、娘のおかあさんは元演劇部だったりステージでドラムを叩いていたりした身。ステージがどんなところかは、二人とも世間の平均よりもほんの少しだけよく知っている。

そんな背景もあり、過去曲をろくすっぽ踊れずにふてくされている娘に向かって、やる気ないなら周りに迷惑だからさっさと辞めろと僕が言ってしまい、娘は更にふてくされ、僕の暴言を聞いた妻がなんでそんなこと言うのと横からカウンターアタックを繰り出して大喧嘩。発表会に向けたヒガシ家の船出は前途多難としか言い様がなかった。

しかしひとしきり喧嘩したのち、年長さんが自力で数ヶ月かけて何かを仕上げるというのが土台無理だし、そもそも仕上げるために何をしたらいいのかがわからないのでは、という当たり前の事実に気が付いた。

そこで娘のダンスが本番に間に合うように、やることを整理し、本番に向けて精度を上げるためのサポートをすることにした。ここではその試みを便宜的にマネジメントと言ってみる。

まずは状況整理と計画、そしてコンセンサス

喧嘩のほとぼりが覚めたある朝、食卓に大判のノートを広げて、娘を僕の横に座らせた。どうやって練習をしていくかのキックオフミーティングだ。

まずは、そもそも何の曲があるのかを明らかにしていった。大人っぽく言うとスコープの定義だ。全部で8曲とだけ聞いていたので、具体的に何の曲をやるのかを聞き出しながら紙に書いて整理し、本人にも全量を自覚してもらうのが目的だ。

これまでやった曲が5曲、新曲が3曲。その新曲3曲のうち、一曲がデュオ、一曲がソロ。ソロとデュオは先生に勧められてやることになったようだ。デュオの曲は先生が指定してくれたが、ソロは娘が心に決めた曲を指定して、先生が振り付けを作ってくれることになっていた。

8曲を書き出した後、それぞれの現時点の出来を確認した。各タスクのステータス把握だ。個人の振りと共に、ソロ以外はフォーメーションもあるので覚えるべきことはかなり多い。それぞれの曲の出来は以下の3段階で一旦娘に自己評価してもらい、大人の目でそれを追認することとした。

①:あたまのなかでおもいだす
②:とおしでおどれる
③:かっこよくおどれる

ここまででやるべきことが大体整理されたので、重要な曲(ソロとデュオ)・あまりできてない曲を中心とした練習スケジュールを立てた。この時6月下旬。本番は8月中旬のため、約2ヶ月の時間がある。この時間を効率的に使うために、先生に見てもらえるスタジオでの練習(毎週土曜日+臨時で何回か)をマイルストーンとして、7月末までに全曲「とおしでおどれる」、8月に「かっこよくおどれる」まで仕上げることで娘と合意した。

ここまでの内容を書き出したノートのページをビリっと破り、リビングの壁の目立つところに貼り付けた。そのあと、決めた内容を4つくらいに要約して娘に伝えながら、その内容を自分のノートにも書くように言った。

ノートに書いてもらったのは、一緒に話しながら決めた事実を、実際に娘自身が書くことで印象付けられると考えたからだ。幸い、娘は自分のノートに何かを書くのが大好きなので、素直に応じてくれた。

進捗とモチベーションの管理

約二ヶ月のプロジェクトが走り始めた。娘はとにかく練習を頑張るとして、親もプロジェクトメンバーなのでアサインされたタスクがある。リソースの調達だ。具体的には音源とお手本の収集と整理で、妻が進めた。

Amazon MusicのiPadアプリを使って娘用のプレイリストを作ってそこに課題曲を突っ込み、娘が音源にアクセスしやすいようにした。加えてこれまでの娘の本番映像も編集して(と言っても左右反転にした程度だけど)、過去曲の振りを確認しやすくした。

また、ソロとデュオについては練習時に先生が通しでお手本を踊ってくれたのを妻がスマホで撮って、過去曲同様娘が確認しやすいところに置いた。

必要な音源と動画を集めたら、あとは娘がひたすら練習をするだけ。なのだが、それがなかなか難しい。毎日積んでいくのは大人だって難しいし、大抵の人が失敗する。あれやれこれやれとぎゃあぎゃあ言うと娘はモチベーションが萎む。7月までは極力いいところを逐一褒めてあげて、モチベーションを上げていきたい。そのためにも、なるべく娘の行動は娘にオーナーシップを持たせた上で決めさせたい。

ということで、毎日決まった時間に練習を促し習慣化させることにしたのだけど、何時頃にやるかは娘に選んでもらった。娘は自身のコミットメントを極力守りたいタイプなので、この方法がハマった。

娘が選んだのは、夜寝る前の30分。とはいえ、平日は保育園から帰ってきたらフラフラで、5分踊って今日は無理みたいな日もあったが、何分やったかはあまり厳格に指摘しないようにした。練習する曲も大枠だけアドバイス(=最近あれやってなくない?みたいな指摘)して好きに選ばせた。そのうちに安定して30分近く集中を保って練習できるようになってきた。練習に集中できるにつれ、出来栄えも徐々に改善された。出来栄えにマイクロマネジメントをしなくて済んだのは、娘の性格上助かった。

そんな感じで7月までが過ぎた。娘はそこまで結構頑張ってくれたので、全曲無事に「とおしでおどれる」まで行けた。マイルストーンとして設定したスタジオ練習でも、踊りが毎回良くなっていくところを先生に見せられた。そのおかげか、残り1曲の新曲でセンター(ソロパート付き)を張らせてもらえることとなり、7月をかなりいい状態で終えられた。

魔の仕上げ期間

8月は予定通り「とおしでおどれる」から「かっこよくおどれる」への仕上げ期間だ。何事も出来を8割から10割に近づけていくことこそが難しく苦しいものだし、いろんな地獄絵図も見てきた。ここから本番まではハックできない、根性がモノを言う局面なのだ。でも、最後はそうやって自分がなんとかするしかないと実感するのが、本番を経験することの大事な果実だったりもする。

そんな仕上げの過程ではさすがに褒めだけでは済まず、ダメ出しもする。手で作るハートの位置が低いとか、右はいいけど左が雑とか、ターンが汚いとかステップがズレてるとか。

8月の序盤はそうやって口だけ出されて凹むこともあったが、最終的には親も振り付けを一部覚えて「こうしてみたら?」とアドバイスしたりもした。それを見て娘が「おじさんがおどってもキモいwww」「ちがうよ〜www」と言ってやり直したら何故か振りが改善したりもした。みんなで問題を解消するために割と真剣に頭と体を使っていた期間だった。

そんな(ある意味)シビアな期間だったが、娘はずっと「わたしを応援しにきてくれる人たちの前で踊るのがすごく楽しみ」と言い続けていた。我が子ながら強い。そんな娘に本番前夜、元ギタリストとしては「そうだ、本番ではお前が世界で一番上手に踊れる」と、かつてエリック・クラプトンが残した(とされる)伝説の名言をもじって励まさずにはいられなかった。

そして本番

娘の頑張りに応えるために、特製の応援うちわをクローゼットから引っ張り出した。ライブ形式なので近所の100均でサイリウムをあるだけ買って(先生が持ってきてええええと言っていた)準備は万端。俺達はガチ勢だ。

うちわは去年、娘の人生初の本番に向けてつくったものだ

双方のジジババと娘の友達が見にきてくれた。そして他の子も同じように呼んでいた同じような属性の7、80人程度の人達で会場は賑わっていた。

そんなステージで、娘は8曲を踊り切った。

これがどれだけすごいことか。努力をしてきた結果が出る瞬間がどれだけ怖いものか、もしかしたらわからない人にはわからないのかもしれない。本番とはそういうもので、娘はそこに照準を合わせて準備して、きちんと乗った。

そんな本番は何故かいろいろな想定外が起こる。仕事、趣味、部活動。どんな本番でもたくさんの悪いことと、ごくわずかのいいことが起きる。だからそれまでの努力を知っている以上、横から見ていただけの人間がその結果についてあれこれ言及するのは野暮というものだ。本人が結果を追い求めるのも、もっと先でいい。

ただ、おとうさんは、ステージで踊る娘がかっこよすぎて、ちょっと泣いた。

娘は5万人に一人しか開かない扉を開いている

こうして、娘は6月下旬からのほぼ毎日の練習を経て、本番を終えた。

いかにもスマートにこなしたように書いてきたが、親子間、そして何故か夫婦間でもいろんな衝突があった。テレビを見たくて平然と練習をサボろうとする日もあったし、一応踊るも始終ふざけっぱなしの日もあった。あまつさえ、サポート役であるはずの我々親が悪態をつく日だってあった。

それでも大体の日、娘は頑張った。そして頑張りを継続してだんだん出来栄えがよくなっていく体験ができたその事実だけでも、この2ヶ月弱は娘にとって価値のある時間だった。

しかも、ステージに乗って踊り切った。

「何かをしたい人が1万人いたら、実際に始めるのは100人、続けるのは一人」という言葉がある。数字はやや大袈裟な気もするが、いくばくかのリアリティがあるからこそ広まっている言葉なんだろう。

そしてさらに踏み込んで、意欲の問題だけだとしても、続けた成果を人に見せられるのはその続けてきた一人を5人集めたうちの一人くらいではないだろうか。これはギターを弾いてきた実体験としてそんなものだと思っているし、同じダンススクールに通う中でも、いろんな事情で発表会には出ない子が結構いたりする。

さっきの数字を信用すると、続けた成果を人に見せられるのは、5万人に一人ということになる。

娘はそんな5万人に一人しか開かない扉を開いている。しかもこれが初めてではない。何回も開いてきた。ダンススクールに通い始めて1年半。こんなに曲数が多いのは初めてだったものの、スクールが用意した数々の本番のチャンスを娘は毎回逃げずにこなし、そこから自信を得てきた。

クリエイティビティの成果とは、極めて個人的なものだと思う。何かを突き詰めた結果を世の中に問いかけて、そこから得られた他者の反応や自身の心の機微を自らの糧にしていく。そんなクリエイティビティの本質の一端に、この歳で触れられている娘は幸運だ。なんと言っても、それはとても豊かでかっこいいことだから、その端っこをずっとずっと握って離さないでいてほしいと思う。

また、そんな娘を尊敬してもいる。我が子を尊敬できる育児ができて、僕はとても幸せだ。

より長く走るための原資か、娘のおやつ代として使わせていただきます。