FF15 vs FF16について一言いわせてもらおう

ファイナルファンタジーシリーズ恒例の、最新作が出ると前作が再評価されるお祭が少し遅れてやってきたようです。
そう、ファイナルファンタジー15が再評価され始めたのです。

ゲームを趣味とするおじさんとして、このお祭は歓迎すべきものです。どんなゲームも受け手であるプレイヤーの主観によって駄作からGOTYまでガラッと変貌してしまうのだから。

この記事は、やってきたお祭に参加し、個人のファイナルファンタジー直近2作に対するインプレッションを書いていきたいと思います。
はじめに断っておきますが、良い面も悪い面も書きます。そして可能な限り、今回のお祭の始まりになった記事とは違う観点での感想を書くことを目指します。

では、まずは前作、ファイナルファンタジー15から行きましょう。

ファイナルファンタジー15の何が問題だったのか

いきなりネガティブですが、ここから語らないことには記事が始まりません。
ファイナルファンタジー15は、世間一般では「クソゲー」という扱いを受けました。それはなぜか?要因は大きく2つです。

  1. プレーヤーの感情曲線の軽視

  2. "旅行シミュ"のリアリティを削ぐバグ

プレーヤーの感情曲線の軽視

ファイナルファンタジー15の最大の問題はここにあります。プレーヤーが抱く感情とゲームプレイの内容が常にマッチしないのです。
冒頭、主人公ノクティスと友人たちは故郷を離れ旅に出ます。旅をはじめてまもなく、故郷の国が敵国に侵略され、ノクティスの父親が殺害されたと知らされます。このとき、主人公一行=プレイヤーがやりたいこと、やるべきことは何でしょうか?
それは「父の死を悲しみ、敵国に怒り、復讐すること(または国を取り戻すこと)」です。
ですが、FF15のゲームシステムはこのロールプレイを許してくれません。プレイヤーが体験するのは、

  • 仲間とチョコボに乗ってはしゃぐ

  • 仲間と写真を撮って思い出をつくる

  • 仲間とキャンプをして同じ釜の飯を食う

このような「友達との楽しい旅行」なのです。プレイヤーもノクティスも悲しみにくれることもなく、楽しい旅行の思い出を作っていきます。
もしかすると制作スタッフたちは、「国が滅び父が死んだことを受け入れず、モラトリアムを続ける複雑な心境」を表現したかったのかもしれません。が、そのような複雑な心境を表す描写はあったでしょうか?匂わせるセリフもテキストも、私は遭遇した覚えがありません。あったのかもしれませんが、印象に残っていない以上、無かったのと同じでしょう。これをメインテーマとするなら、印象に残るほど強烈な表現をするか、繰り返しの匂わせが必要になるはずです。
これはシナリオとゲームシステムの致命的なアンマッチが原因でしょう。回避するには、上記のように複雑な心境を表すエピソードをしつこく追加するか、国が滅ぶイベントをシナリオの中盤以降に配置する必要があると私は思います。
ヒロインのルーナの扱いも同じです。ムービーでたまに顔を出すヒロインには思い入れもないまま、シナリオから退場してしまいます。ここで感情を動かすなど、普通のプレイヤーはできないでしょう。
他にもプレイヤーを置き去りにするシナリオ上の問題は多々ありますが、ひとまずここまでとします。ホントは13章の問題とか語りたいけど我慢……。
結果としてはこのような問題から、プレイヤーの感情曲線とゲームプレイがアンマッチを起こし、シナリオに対する拒否反応を誘発してしまったと考えます。

"旅行シミュ"のリアリティを削ぐバグ

これは簡単な話です。FF15は発売当時、とんでもなくバグが多く、ソフトウェアとしては非常に品質の悪いゲームでした。後に大規模なアップデートが繰り返され、今では安定したと思われます。
FF15は何のゲームだったのかと問われれば、私は「旅行シミュレーションゲーム」と答えます。
そう、2016年のファイナルファンタジー最新作は、ファンタジー世界の冒険ではなく、友達との思い出づくり旅行シミュレーションゲームだったのです。
そして旅行シミュレーションゲームとして、FF15は非常に優れていました。

  • 移動中の仲間との自然な会話

  • プレイヤーの操作を予見して主人公キャラクターの前や横を歩き常にカメラに映る仲間たち

  • AIによる思い出写真の撮影

  • 旅行中の若者が良いそうなセリフ、ぼやき

  • 実写と見紛うクオリティの料理

これらは当時、革新的な技術としてCEDECなどでも講演が行われていたと記憶しています。そのくらい、旅行シミュレーション部分に対するこだわりは凄まじいものがありました。
一方で発生した大量のバグ。バグはゲームの進行を止めるだけでなく、ゲームから感じられるリアリティを低減させる効果を持ちます。
シミュレーションゲームとしてのFF15にとって、これは致命的でした。バグが起きるたび、凄まじい先端技術で実装された旅行シミュレーションのリアリティは粉砕されてしまったのです。結果として、旅行シミュレーションとしての評価も発売当初は下がってしまったでしょう。

ファイナルファンタジー16のアンサー

FF16は、これらの問題に対処することを至上命令として作られたと思われます。
まずは全体として、プレイヤーの感情を置き去りにしないためのメカニクスが、様々こらされています。

  • 迷わないマップ

  • 戦闘の局面に合わせて変わる動的なBGM

  • アクティブタイムロア(リアルタイム用語集)

  • 説明台詞

  • ちょうど苦戦する程度の難易度設計

  • 予想できる(安心のある)ストーリー

  • ボスを倒す動機づけ

  • 圧倒的迫力のボス戦

一方、これによってプレイヤーの自由度は損なわれ、戦闘とわずかな移動、ムービーだけの単純なゲームになってしまうという、シーソーのような問題も生まれました。
が、開発スタッフたちはそれでもよいと判断したのでしょう。ここはどこに舵を切るかというテーマ設計の問題です。

ソフトウェアとしての品質も優秀です。
ゲームプレイの幅を狭めたがゆえに、私はクリアまでの間、一度もバグらしきものに遭遇しませんでした。

ここまで読むとFF16はとても優れたゲームかのように感じられますが、問題もあります。
それはシナリオの幼稚さです。
語られるのは漫画版ナウシカなどで非常に高尚で複雑なテーマで語られてきた旧人類(神)vs現人類というものです。味付けは進撃の巨人とゲーム・オブ・スローンズ。
ナウシカの場合、旧人類を葬り去るナウシカの決断が現人類の滅びの運命を決定づける、ビターなエンディングを迎えます。これは命の価値を「闇の中に瞬く光」と表現し、苦しみながらも生きて死んでいくことをナウシカは選択したという要約とします。
FF16は似たようなストーリーを踏襲するのですが、クリスタルが失われた後に世界が直面する困難を描いていません。そこはスキップして、ジョシュアが著した「ファイナルファンタジー」という本で、クリスタル時代が遠い過去のものになったことを示してエンディングを迎えます。
世界が迎える困難をスキップしてしまったことが、FF16シナリオ上の最大の問題です。
ノリと勢いで駆け抜けたものの、クリスタルを壊すことの正しさを飲み込めないままエコテロリストとしてストーリーは進み、その所業は「ただたただ正しかった」としてエンディングを迎えてしまうのです。これではリアリティを感じることは難しいでしょう。大人をターゲットにしたストーリーにするには、「清濁併せ持つ」という要素が書かせません。世の中に正解はないのです。その時と場所と人とモノという条件下での「最適解」しかないのです。そして最適解とは、往々にして清濁を併せ持ちます。

最後に

今回、他人さまの記事のバズリに乗っかり勢いで記事を書き殴りました。書き終えたいまとなっては睡眠時間を削ってまで何をしているんだという感じですが、なんだか久しぶりに楽しんで文章が書けた気がします。
みなさんも、このお祭に参加してみては!?

ではごきげんよう、さようなら。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?