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壁の中で飼われる家畜のようだと思ったあの日から

時は3月。4月の新年度を前に人事異動が出る会社も多いのではないでしょうか。

辞めてからも前職の会社からはお仕事をいただいているのでやりとりが多いのですが、4月の人事異動の内示が出たそうで、ちょろっと話を聞きました。「へー、あの人があそこ行くのかー」とか。

思い返せば入社一年目の時。いわゆる人事異動の内示が社内イントラで上がっているのを見て、僕は結構ショックを受けたものです。知ってる人の名前と新しい所属先が無機質に並んでるあの感じ。

なんというか、人の行き先がズラッと並ぶことに対して、なんとも言えない違和感を覚えたのです。

いろんな人の人生が会社の都合によって弄り回されてるような気がしたのです。

壁の中でもがいていた若い頃

話は突然変わりますが、進撃の巨人のファイナルシーズンがやばいくらい面白いですね。

この作品の序盤って、壁の中に閉じ込められて自由を奪われている主人公達が「巨人どもを一匹残らず駆逐してやる!!」と巨人に立ち向かっていく群像劇が最高に熱い漫画でした。

アニメの一期のテーマソングも熱かった!こんな歌詞がありました。

家畜の安寧 虚偽の繁栄 死せる俄狼の自由を!

今いる環境に鬱屈した不満を抱えていた人にとって、巨人によって仲間を失いながらも「心臓を捧げよ!!」と決死の姿で立ち向かっていく調査兵団に興奮する人達も多かったのではないでしょうか。現状を打破したい人たちに向けたメタファーの作品なんだな、と僕は解釈してました。

ところが、物語が進み壁の外の世界に舞台が移るのがファイナルシーズン。そこで繰り広げられるのは初期の「閉じ込められている現状を打破する物語」とは全く異なる手触り。

言っちまえば、「あの頃は視野狭かったよね」という話に展開していくわけです。

会社員は壁の中に飼われる家畜なのか

前職の最後の方、僕はまさに壁の中に閉じ込められ、自由の翼がもがれた状態でした。自分が行きたい方向に行けずにもがき苦しみ、周囲の人が全員敵に見え、結果的には会社を辞めるという選択を取りました。組織や他人の理屈で自分の想いが歪められていく事がどうしても許せなかった。

駆逐してやる!とは言いませんが、それなりに色んな想いを持って会社を辞めました。

でも他の部署の人達からとてもたくさん応援していただき、仕事を沢山いただいたのです。会社が嫌で辞めたのに、その会社に生かしていただいてるのは変な感じがするとともに、純粋に嬉しかった。ちゃんと恩返ししないとなぁと思っています。

で、そんな感じで前職と接点を持って外から前いた世界を眺めていると、会社という大きな箱と、その中で働いてる人達を俯瞰的に見れるようになりました。壁の中にいたからなかなか見えなかった様子が見えて、「なんかあの頃僕が悩んでたことって大したことねぇなぁ」と思っちゃうのです。

そしてぼくが気づいてなかっただけで、会社の理屈は合理的で納得感があるものだったんだなと、今では思います。ただそれが、僕の想いとはズレていっただけで。

僕自身は独立してよかったと思っていますが、会社という組織の中で生きていくのもそれはそれで戦いだし、尊いよなとも思っています。

会社の言いなりにならずに自分らしく生きよう

コロナによって働き方や人々の意識が変わり、こんな言説が最近特に多い気がします。もちろんそれは確かに一理あるんですが、会社という組織、壁の中の世界で生きる事が悪いわけではない。

もしもあなたが、今いる環境に窮屈感を感じているのなら、自分が生かされている世界のルール、力学を俯瞰して見てみて欲しい。目の前だけ見てると巨人が自分を食べようとしてるように見えるかもしれないけど、そこには何らかの意図や戦略があるかもしれない。

そして、壁の世界の中も意外と広かったりする。今いる部署や仕事が嫌なだけで、ひょっとしたら他にあなたが生きる部署があるのかもしれない。進撃の巨人的に言うと、シガンシナ区が潰されてもトルスト区があるわけです。

そんな壁の中の力学を理解したうえでやはりその世界から抜け出したいと思ったら、その時は転職なり独立なりすればよい。「駆逐してやる!!!!」という思いで突っ走ってもいいと思います。

壁の外に出たら、それはそれで新しい敵が現れて、壁の中で敵だった人が実は味方だった、なんて事もあるかもしれません。

いやぁ、進撃の巨人は面白いですね。見てない人は見た方がいいですよ。

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