ゆーらんしやなん

書き留めて置く場所にしたいと思ってはじめました。

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最近の記事

目をかけてつきあう

昨日から少し風邪気味だ。 朝起きた時に頭がぼーっとして熱っぽかったのと、かすかな喉の痛み、鼻水、鼻詰まりの症状があった。 洗面台の鏡に映る自分の姿を見て、 「あぁまたやってしまった」と思った。 これは言ってしまえば自分の体からの知らせのようなものを蔑ろにしてしまった結果なのだから。 つい1週間前まではなんか調子がいいなとウキウキしていた。 肌の調子もいいし、ヨガも出来ているし、睡眠時間もとれているし好調だなと。 ただそれから数日して、肌が少し乾燥するなと思ったときが

    • あなたには読まれないから

      今日は夫の誕生日。 夫に絶対に読まれることがないとわかっているから書きます。 あなたが生まれてきてくれて、今日まで生きてきてくれて本当にありがたいと感じます。 先週の日曜日、昼食を作ってくれたとき あなたは猫にむかって 「君たちは僕がいないと生きられないね」と言いましたね。 「そうよ!その通り!頼りにしているよ!」と わたしはすかさず返しました。 そしていつものように笑いあいました。 これはもう2人の間ではよくあるやりとりになっていて、 家ではわたしは猫と一緒に「

      • 長期戦にそなえる

        継続は大切だ。 そうわかっていても続けるってつくづくむずかしいと思う。 継続するためによく言われるのは、 「とりあえず毎日やると決めてしまう」 「ハードルを低く設定してたとえ5分でもできるようなことをやる」 などがあると思う。 だけど実際にやってみて、 これではわたしには続けられないということがわかった。 まず、休めないことへの窮屈さを感じてしまう。 すこしの期間続けていると、 あるとき心の声が囁いてくる。 「これって本当に毎日やるの?毎日やらなきゃだめなの?」と

        • 暑い暑い一区切り

          あっという間に2024年も4月になってしまった。 こんなふうに思うのは、 わたしのなかで年末年始の感覚が年々なくなっているからだろう。 子どもの頃、そしてまだ実家にいた頃は、 年末年始はそこで「一区切り」する感覚が 今よりももっとはっきりと感じられていたなと思う。 そしてこの感覚を感じなくなってしまっている いちばんの原因は、 わたしが四季のない国で暮らしていることだろう。 わたしが暮らしているタイでは 年末年始の時期は乾季にあたり、 すこし涼しくなるとはいえ それで

        目をかけてつきあう

          人におまかせする

          姪っ子がなんでも自分でやりたがるようになってきた。 小さな体が好奇心に溢れていて、そのエネルギーの強さに驚かされる。 微笑ましくて、可愛くて、見ていて思わず口角が上がっていくのがわかる。 そんな彼女とは対照的に、 30歳を過ぎたわたしはどんどんやらないことを増やしている。 それはここ2、3年の間で 「なんでもひと通り出来るようになろうとするのはしんどい」と、 わたしの心境が変化してきたからだ。 ひと通りって物事の程度が普通であること、 過不足がないことをいうらしい。

          人におまかせする

          ちょっと距離をとる

          寝る前に1日を振り返ってみたら、 ほぼほぼ夫と会話をしていなかったと気づいた。 夫は用事があって早朝から出掛けて行って、帰って来たのは午後6時半くらい。 その後は夫の家族と夕食に行き、家に帰ってきたときには、普段からタレ目の夫の目はさらに垂れ下がり今にも閉じてしまいそうだった。 なんとかシャワーだけを済ませると夫はいつもより1時間ほど早めに寝室に向かい、 わたしがいつもの時間に寝室に来たときにはすでに寝息を立てていた。 夫は物音でわりとすぐに起きてしまう人なので、なる

          ちょっと距離をとる

          それが真実かは重要ではない

          2011年3月11日に起こった東日本大震災。 わたしは山形県で被災した。 その当日はただただ気が動転していて、正直なにがなんだか理解が追いつかない状態だった。 その翌日の3月12日、 「これは現実なんだ」と受け入れなければならなかったあの日のことが忘れられない。 まるで現実的でないような悲惨な状況を知り、 心の中が今までに感じたことがない分厚い不安と悲しみに覆われて、本当にやりきれない気持ちになった。 それまでは、なにかを信じるというのは、 それが真実かどうかが重要な

          それが真実かは重要ではない

          猫と暮らせば

          猫を迎えてあっという間に2年が過ぎた。 正直自分が猫を飼うことになるなんて、まったく想像もしていなかったことだ。 そんな猫飼い初心者が猫を飼うとどうゆうことになるか、どんな変化があったのか、 せっかくの猫の日なので実体験を書いてみたい。 その1 なにより猫が優先になる。 生活が猫中心の生活に変わる。それも本当にあっけなく。 私と夫の場合は、まず出掛ける頻度がぐっと減った。 お留守番でさみしい思いをさせるのが申し訳ないとも思うし、大丈夫かなと心配になるし、どうしている

          案ずるより産むが易し

          特定の予定が入ると憂鬱になることがある。 それは私の場合、大人数だったり、すごく急だったり、拘束時間が長いものだったりする。 今日も実はちょっと苦手だなと思うことが予定として入っていた。 でも今日は、これを刺激だと思ってしまえれば気が楽になると気づいた。 日常は自動運転みたいだと思う。 いつも通りは平凡で安心だ。  慣れでこなせてしまうことのなんと多いことか。 でもその反面、刺激や変化がない。 慣れのなかに居ては、そうゆうものに目を向けることを忘れがちになってしまう

          案ずるより産むが易し

          捨てるのは難しい

          今年に入って服を4着買った。 そんな私には、 今年こそは自分に徹底したいルールがある。 それは「服は1着買ったら1着捨てる」というものだ。 そもそも去年は失敗してしまった。 去年は半年を過ぎた時点で1回も服を捨てることが出来ずに、 それでもなんとか 「クローゼットの中の服の20%を処分する」という修正した目標を立てて、 12月のはじめにやっと達成したという具合だ。 話を戻そう。 私は今年改めて「服は1着買ったら1着捨てる」という目標を立てている。 新しく服を4着買っ

          捨てるのは難しい

          表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬

          旅先では日頃閉じ込められている素直な感覚が自由になる。 キューバ、モンゴル、アイスランドを旅した若林さんのそれぞれの旅先での感覚が伝わってきて、 日常を手放すのは、なんて自由で、おもしろく、そして清々しいんだろう。 旅先でただ散歩するのがあんなに楽しいのは 「見たことない」に溢れているからなんだ。 目に映る見たこともない植物 どんな味がするのか想像もつかない色味のお菓子 現地の人が通う年季の入った商店 言葉も通じないのにやさしくしてくれた笑顔の人たち この街で生まれ育

          表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬

          自分の中の確認

          ああ、この感じわかる。 高校生1年生の頃、それまで2年以上使っていたケータイを、念願叶って機種変更してもらえることになった。 その待ちに待った機種変更の前日、 古いケータイが名残惜しくなった私は、 なぜか送信ボックスを開いて、自分のメールを読んでいた。 真夜中まで送信メールを読んでいると、 頭がほかほかしてきて、 何度となく奥歯の方がつんとしたのを思い出した。 これを読むまでは曖昧だった、 なんとも言えないあの時の気持ちは、 「しんみり」というのだと、 私の中にいる当時

          自分と誰かの好きと嫌いと

          母は家具が好きだ。 季節や行事に合わせて家の玄関やさまざまなところを飾り、ディスプレイするのが母の趣味だ。 母は和のテイストが好きで、 今回はおばさんに貰ったという和箪笥が実家に来た。 置く場所はリビング。 そこには今まで違う箪笥があったのだが、それを今度は父の部屋に移動することになった。 その移動の際には母が頼んだ業者の人が家に来て作業する。もちろん父が家にいない間に。 母は自分の趣味のことだから、手配さえ自分でして父の手を煩わせなければ良いと思った。 問題はそこだ

          自分と誰かの好きと嫌いと

          (続)考え続けていると答えは突然降ってくる

          前回書いた「考え続けていると答えは突然降ってくるの」具体例が出来た。 宅トレを続けて今年で4年目。 はじめは単純に痩せることが目的だったのが、 それが達成されると、 体型を維持する、もっと引き締める、動ける体を作るということに関心が出てきて、 今はそうゆうことをまるっとまとめて 健康でいるために(できるだけ)良いことをする。 あれこれ試しているうちに自分の姿勢の悪さが気になった。 長時間座りっぱなし、スマホの見過ぎなどからくる 呼吸が浅い、スマートネック、冷え性、猫背

          (続)考え続けていると答えは突然降ってくる

          考え続けていると答えは突然降ってくる

          勝間和代さんのYoutube動画を見て気づけたことの記録 ずっと考え続ける ここで間違っていけないのは、 考えると悩むを混同すること。 結局行動に移せなかったなという経験を何度もしてきて気づいたことは、 私は考えていたつもりが、ただ悩んでいただけだったんだなということ。 考えるは前に進める行動だけど、悩むはそこに留まる行動だ。 雑多に集めた情報がある時突然ピーっという一本の線で繋がる時がある 自分の中になんの情報も無かったら、偶然に反応出来ない。 だからとりあえず情

          考え続けていると答えは突然降ってくる

          やっぱり楽しいほうがいい

          いつも大切な言葉をポーンと投げかけてくれるような糸井重里さんのツイート。 いい娯楽って栄養だ SNSでは、見たくもないものに意図せず出会ってしまうことがある。 避けられずに、しかもそれが毎日のように起こったりする。 いつからか気づかないうちに、毎日をそれぞれに生きるふつうの私たちは、それだけで少しずつ心をすり減らしているのかもしれない。 もういい加減、素直にわくわくするような、楽しいことが欲しい。 誰かを励ますように力強く歌っているのが本当にかっこよくて、昨日何度も

          やっぱり楽しいほうがいい