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突然、家に帰れなくなった!ロックダウン我が家の記録


そもそも出国時からギリギリ


2020年3月、中国から始まったコロナウィルスの猛威はヨーロッパにも広まりつつあって、とうとうアフリカはエチオピアにも感染者が出てしまったというニュースが出始めた頃、私は夫の出身国に預けていた息子を迎えに行く準備をしていた。

息子はこの半年間、「アフリカを体験させるには、一番いい時期だろう」ということで、家族で里帰りしたついでに、夫の出身国であるガーナで夫の親族と暮らしていたのだ。

なかなか適応能力のある息子はホームシックになることもなく、現地のインターナショナルスクールに通ったり、週末はイスラム学校にも通ったり、楽しく過ごしていたようだが、次の年、彼は5年生になるから、そろそろ日本に帰国させねばならないかな…と思ったので迎えに行くことにしたのだった。

しかし、日本を出るあたりから雲行きは怪しかった。

まず、私がガーナのVISAを出発ギリギリで取得したのだが、VISAを手にした翌日、ガーナ大使館は日本人へのVISA発給を休止した。

搭乗予定の飛行機は、急に便数が減ったりして、急遽出発日の変更を迫られるなど、とにかく慌しい出発であった。

そのときは、呑気に、免税店もほぼ閉まり、人の全くいないようなガラガラの成田や仁川空港をおのぼりさん的に眺めて、「うわー!記念写真撮っておこう〜」なんてことをやっていたが、世界はどんどん深刻な状況になっていったのは皆さんもご記憶の通りである。


日本より危機感を持つのは早かった?!


ガーナに入国して日本との違いにまず驚かされたのは、町の中の感染症対策であった。

日本の学校が休校になる前に、私が入国して数日後にはガーナの学校はとっとと休みになった。その前の数日間ではあったが、息子の通っていた学校では、校門前に手洗いブースが設置され、必ず手を石鹸で洗い、サニタイザーを使用しなければ校舎に入れないようになっていた。でもその頃はまだマスクの着用義務は始まってはいなかった。

さらに、その手洗い対策は、ほぼ全ての店舗で行われていた!(床屋、スーパー、銀行、役所、洋服店等)店の前にデーンと立っている店の人の前で、手を石鹸で洗わなければ、入店できないようになっていった。

ファーストフード店などは、客が扉を触らないように、手袋、マスクをしたガードマンやスタッフが開けてくれるようになった。勿論、客は手を洗わないと店内には入れない。この辺は日本より徹底しているなあと感心したものだった。


そして閉じ込められた


今回は私も職場に無理を言って休みを取ったので、2週間程滞在したら、すぐに息子と帰国する予定でいた。(夫は国でやることもあるため、しばらく残ることになっていた)

しかし、「それ」は突然やってきた。

「日本に帰る日は、明日、明後日だね〜、寂しいよ」なんてお婆ちゃんに言われてシュンとしていたと思ったら、いきなりのロックダウンが始まってしまった。

噂では、そろそろロックダウンか?なんて話しもあったが、たぶん私達が出国した後くらいからだろうと思っていたのだが、予想は見事に外れてしまったのだった。

ガーナの主要都市に住む人々は外出を控えねばならなくなり、陸海空の国境は閉じられ、町の屋台や、道路にあふれていた売り子も消え(路上の物乞いも全部消えた!)薬局とスーパーのみが細々と営業を続けるという状況が、いきなり始まってしまった。


ロックダウンの実情

私達は首都のアクラに滞在しているのだが、ロックダウン後の世の中の状況がどうなっているのか見たくてたまらなくもあったので、ロックダウンが始まった数日後、急ぎの、絶対に今じゃないとダメ!という用事を無理やり作って、外出してみた。(不要不急の外出は禁止のため)

主要道路につながる交差点には、検問所が設けられ、銃を持った軍人や、警官が車を止めては中の人を確認していたり、店は全てシャッターが降りていたし、商品もない、人もいない屋台は道端に放置されていた。

いつも酷い渋滞でイライラさせられる道路も走っている車は本当にまばらで、見事に人々は消えていた。まさにゴーストタウンのような街の姿に感心しているのか、軽くショックを受けているのか、よく分からない気持ちにさせられた。

しかしロックダウンが、はじまって1週間もすると、ロックダウンに飽きた人々がわらわらと外に出てくるようになって(笑)、段々となあなあになっていくのがわかった。

大きな道路ではないところにある検問所の警官は検問よりもスマホに夢中だし、検問用の柵は開きっぱなしで、あってもなくても同じになっていたり…。みんな、そんなもんだよね、所詮ガーナだよと自嘲気味に笑っていた。

ある日など、やってはいけないはずの「市」が立っていて、他所で買い物できずにるいた人々がその噂を聞きつけ、三密どころの騒ぎでなく、品物を求める人々で溢れかえっていた日もあったり…。全く感染者がいない訳でもないということになっているから、この光景はさすがにマズイのでは?と思った。勿論、わたしは絶対に車からも降りず、人混みには近づかないけれどね。

かと思えば、街のユルユルな状況に喝を入れるためなのか、大統領がテレビ演説した次の日には厳しく検問所で取り締まりが行われ、マスクをしてない人が警官に殴られたりするような映像が流れてきたりもした。が、それも数日で元のゆるさに戻ったり、ちょっといい加減な感じがしないでもなかった。

また、イスラム教徒が多く住むエリアでは軍と一緒になってロックダウンついでに溝のゴミや泥をさらう大掃除をしてみたり…たった1日で終わったみたいだけど。これはもっぱらもうすぐ始まる選挙対策の一環であると地元の人達は話していた。ま、町がきれいになるのは良いことだけど。

出来るだけ外出しないように心がけていたので、街の様子を事細かく観察した訳ではないが、概ねニュースから見る日本の様子よりはムラはあったとしても厳しいなと感じていた。


とりあえずロックダウンは解除され…


ズーーーっと家にいて、だんだんと今日が何日の何曜日だっけ?という風になってきてしまっているので、記憶が定かではないのだが、2、3週間前に、国内のロックダウン自体は解除された。ガーナ国内の移動はこれで自由に出来るようになった。

解除されて数日間、どの店も恐る恐る店を開け始めるという感じで、すぐに元のように営業することは控えているように見えた。

学校も再開してないし、人が集まるイベントは禁止、イスラム教徒はラマダンに入ったが、モスクでの集団礼拝等も禁止されたままだ。

外食もテイクアウトのみ営業というところがほとんどだ。

それでも少しずつ、不要不急ではない床屋や髪結い(女性の髪の毛を編み込んだりしてくれる店)、洋装店なども開き始めたし、路上の様々な店、家具から食べ物まで(ガーナは家具も路上で販売している!)通常営業の感じになってきた。

また、外出時、マスクをしていないと警察に捕まるかもしれないので、必ずマスクを持つようになった。

そして大統領がアナウンスしたように、本当に電気代が半額になったのは驚いた。


帰国はいつ?


国内のロックダウンは終わっても、国境は開けていないので空港も閉鎖したまま。何度か、日本大使館から帰国のためのチャーター便のお知らせも来たが、なんせ高額!貧乏人にはとてもお支払いできる金額ではない。しかもお支払いはカードじゃなくて、日本からの現金振り込みのみとかだし、生活でカツカツの我が家には無理だった。

しかし、アフリカ人が陸路で移動するのは、こっそりと始まっている!つい先日も、親戚がガーナからトーゴへ抜けてベニンへ帰って行った。国境封鎖中とは言いつつも、かなりユルユルになってきているようだ。人や物資の流れが止まれば、人々の暮らしもすぐに立ち行かなくなるのだから、いつまでも厳しくはしていられないというのが現状なのだろう。国が国民一人一人に支援金などを出すなんてことはないのだし、自分達の力で生き延びていかなければならない。多くの人が口にしていたのは、「ロックダウンが続けばコロナの前に飢えで死ぬよ!」だった。

治安面では少し残念なこともある。

それは、中国で起こったあることに端を発しているのだが、https://www.afpbb.com/articles/amp/3278681

このような事象により、アフリカでアジア人があまり(ますますか?)良く思われなくなったということだ。 

ガーナではそんなに酷いアジア人ヘイトの様子は伝わってこないが、それでもSNSには時々、中国人への嫌がらせをしている映像が流れてきたりしていた。

私は現地語がわからないが、時々ボソッとアジア人蔑視的な言葉を呟くバカがいて、それを家の者が耳にして激怒する…みたいなことが数回あった。なのでトラブル回避のために、なるべく外出しないようになった。

帰国の目処は立っていない。今月下旬まで空港が開かないことはハッキリしているのだが、海外で仕事をするサッカー選手などが、この空港閉鎖に対して苦言を呈しているそうなので、その意見を尊重して空港を開けてもらいたいものだ(泣)

仕事も心配だし、日本の家のことも心配だ。部屋に残してきた観葉植物はきっと枯れてしまっていることだろう。郵便物もたまりに溜まっているだろうし、勿論、経済的にもそろそろ不安があるし、10万円の給付!あれ、申請しなきゃだめよね?

息子だけは、まだ日本に帰りたくないようで、帰国が伸びる度に喜んでいるが、私はそろそろ日本のご飯が恋しい…。

無事に帰国したあかつきには、追記していこうと思う。



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