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一寸の虫に5分哲学

外でアイスを食べた。

用事を終えたら昼時になっていたのだが、昼食を買う気力も帰ってから作る気力もなかった。だらだら家に向けて車を走らせていたらアイス屋があったので、アイスの摂食をもちまして昼食に代えさせていただくことにした。

買ってから屋外に置いてあった椅子に座って食べた。冷たくおいしかった。夏だな、という気持ちを噛みしめていたら、地面をガの幼虫が這って近づいてきた。

ごめんね、いつも虫の話ばっかりしてて。今年は大量発生してるそうなので許してほしい。

もう4齢ぐらいのマイマイガなので毒はない。自分の前をのそのそと歩いていくのを眺めながらアイスを食べていた。

私はわさわさしててちょっと可愛いなと思ったのだが、まぁダメな人は多いだろう。どのあたりがダメなのか。毛がわさわさしているところか。でもそれならハムスターだってわさわさしている。

意志の疎通ができないからだろうか。確かに、意思の疎通ができている手ごたえのある犬や猫は怖くないが、意思の疎通できない人間はかなり怖い。しかし、ヒトデなどは意思の疎通ができないけれど怖い気はしない。

ちょっと考えたのは、何らかの意思を持っていると期待できる動きをしているのにそれが確認できないものが一番嫌なのではないかということ。虫は何かの意思を持って動いているような動きをする。しかし何を考えているのか想像ができない。そういうミスマッチが嫌なのではないかという仮説。もともと意思が見えにくいヒトデなんかはそこに落差ができないので恐怖や嫌悪感が少ない。

しかしこれは、完全にこちらの主観の問題だ。誰かと意思を確かめ合えたというのは、そういうふうにこちらが読み取ったということにすぎない。虫は何かを考えているかもしれないし、していないかもしれない。こちらの言うことを理解しているかもしれないし、していないかもしれない。極端な話、相手が人間でも同じことだ。こちらが安心できるだけの材料を我々が感じ取ったというだけのことであって。哲学的ゾンビみたいな話。

なんでいつもこういう小難しいことを考えているのかと言えば、そういう小難しい理屈じゃないことを考えるのが嫌だからかもしれない。うっかりと注意欠陥に彩られた生活をしていると、考えたくないことが積みあがっていくのだ。いや、こんな屁理屈ばかりに脳を占拠されているから、脳のパフォーマンスが下がって毎日やらかしているのかもしれない。卵が先か、鶏が先か。


今日はここまで。ありがとうございました。




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