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閉じたり開いたりの日々

つい先日、あっという間にお席が埋まった安達茉莉子さん主催の「むき身クラブ」に参加しました。

これがまた、新体験で…!
(参加者の方のプライバシーもあるので、中身については書かず、「その後」の私の気持ちをここに置いておきます。)

対人援助の仕事を始めてから、行政書士として、相談員として…の「として」が大きすぎて、ジワジワ「公と私」の境界があいまいになることが気になっていました。
生身の私はどこにいて、どのくらい息ができているんだろう?と。
…いや、仕事を始めて、というよりも、思えば私は、幼少期からずーっと「私はどこへ?」という問いと共にあったのかもしれません。
中村祐子さんの『わたしが誰かわからない ヤングケアラーを探す旅』にあるように、(相互的でない)ケアラーであるというとのは、相手のニーズに応える変幻自在の自己を作り、壊し、また作り…の繰り返しだと思うのです。

逆境体験がある人たちに「あるある」なのかな?と思うのですが、嵐が過ぎ去って、凪のような毎日を手に入れたとき、かつて世界をサバイバルするために身につけた人格やスキルをどう扱うのか、どんな風に付き合っていくのか、という大きな宿題が残されている、という。 
生き延びるために必死に作り出した人格や身につけたスキルが、いよいよ重くなってくる感じ。

私は、いわゆる「王道」とされる回復アプローチを一通り経験したと思っているのですが、今良いな〜と思っているのが「クラブ」(踊るほうではなく。笑)なのが興味深くて。
今はなんだか、教科書的な何かよりも、曖昧でフワッとしたユーモラスなものに心惹かれています。

「むき身」マインドをちょっぴりインストールした今日、美容室での美容師さんとの会話がことの外面白く、なんてことのないやりとりが、こんなにケアされるものだったんだなーと気づきました。
明日には忘れてしまいそうな、「そういえばこの前…」「あ、でもそれって…」「えー?やだー!」というテンポ感の、取り立てて中身のない(笑)雑談に、とても癒されたのでした。
しみじみ、面白いって良いなー、くだらないことって宝だなーと。

機能不全家族の空気感として、ユーモアがないこと(笑いへの抑制)があると思うのです。
秘密と「べき」に支配され、弛みが許されない感じ。 

あの胸が潰れるような窒息感から回復するには、大きく息を吸って、吐き出して、「アハハ!」と笑うことが大切なのかもしれない。
自分を痛めつける世界から飛び出たとき、実はジワジワ効く薬になるのは「笑い」なのかも…

今はそんなことを考えています。

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