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中東問題!

今回は、理解しにくい中東問題について、取り上げたいと思う。

アラブとパレスチナ

アラブ(Arab)、湾岸諸国(Gulf)、中東(Middle East)、中近東(Near&Middle East)、極東(Far East)など色々な呼び方が存在しそれを整理したい。

①近東、中東、東、極東について

アラブ(Arab):アラブ人が居住している地域

近東(Near East)中東(Middle East)極東(Far East):

イギリスから見て東の方向に位置する地域。これは、東インド会社の名残があり、インドの事を東といい、さらに東である日本、中国などを極東という。

そこより、手前のイギリスよりを中東で、トルコやコーカサスなどを近東といって、近東と中東を合わせて中近東という。

最近ではあまり中近東といわず、中東という事が多い。

中東の南に北アフリカがあって、サハラ砂漠の南サブサハラが位置する。

この辺りは経済共同体であったり、民族の括りで分かれている。

以前中東の、地中海沿岸地域は「近東」といわれていました。しかし、「中東」と「近東」の概念を混同した「中近東」という概念の登場を経て、第二次世界大戦中にイギリス軍によってはじめて現在の「中東」の概念が使用されるようになった。

その後、アフリカ各国を含むようになり中東の範囲は広がっている。

《本来の中東16ヵ国》

アラブ首長国連邦・イエメン・イスラエル・イラク・イラン・エジプト・オマーン・カタール・クウェート・サウジアラビア・シリア・トルコ・バーレーン・パレスチナ・ヨルダン・レバノン

《拡大した中東13ヵ国》

アフガニスタン・アルジェリア・キプロス・北キプロス・スーダン・チュニジア・西サハラ・ジブチ・ソマリア・パキスタン・モロッコ・モーリタニア・リビア

29か国

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中東圏

近東

近東


②湾岸諸国(Gulf):

湾岸諸国は湾岸アラブ諸国協力会議(CCASG)を2009年に設立

設立趣旨:加盟国間の経済・金融・貿易・通関・観光・立法・行政における共通規制の確立。
①鉱工業・農業・水利・畜産資源の科学技術的進歩
②科学研究センターの設立
③ジョイントベンチャー(共同企業体)の設立
④民間部門の協力推進
⑤人的交流の強化推進
⑥湾岸共通通貨「ハリージー(Khaleeji)」の導入

中東・ペルシア湾岸地域における地域協力機構で加盟国は、6ヶ国

ペルシア湾に面するすべての国が加盟しているわけではない。イエメン、ヨルダンなども加入意思を表明している。

カタールは加入しているが国交を断絶している状態である。

カタールはイランよりで、トルコを加えたこの3か国は、1つのグループになる。

アラブ首長国連邦・バーレーン・クウェート・オマーン・カタール・サウジアラビア

湾岸諸国

湾岸諸国


UAE・イスラエル国交樹立

今回のUAEとイスラエル国交樹立に関して、日本はイラン側につくのか?、UAE・イスラエル側につくのか?という問題がある。

国交樹立の仲介国であるアメリカの影響や、UAEから石油の1/4を輸入している事や、UAEがサウジを追随するとなれば、サウジも石油を1/4輸入している事を考慮して、日本のエネルギー安全保障上では、切り離す事が出来ない国であり、UAE・イスラエル側につく可能性が高い。

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イスラエル:ネタニヤフ第17代首相・UAE:アブダビ皇太子

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アメリカ:トランプ大統領


国交樹立 合意内容:投資、観光、直行便、安全保障、通信、テクノロジー、医療、文化交流、環境、大使館設置

合意条件:イスラエル国内のアラブ人居住区であるヨルダン川西岸地区併合の中止と交換条件。

イスラエルの特徴:IT、医療、農業のテクノロジー国家

イスラエルの思惑:資金調達、国交拡大、産油国であるUAEとの国交で、経済拡大が望める。

UAEの思惑:国内産業の多角化のため、イスラエルへ資金を投資しイスラエルの技術を誘致する事で、国内産業の育成を促したい。


今回の国交樹立に仲介を行った、アメリカの思惑もある。

アメリカの思惑(現政権):今年11月に行われる、アメリカ大統領選挙にて、もし、トランプ大統領の対抗馬であるバイデン氏が当選した場合の対抗措置ともいわれている。

前政権のオバマ大統領時代に行った、イラン核合意。

米英独仏中ロ6カ国とイランが2015年に合意した、イランの核に対する包括的共同作業計画のこと。
イランはウラン濃縮など核開発にからむ活動の制限を受け入れ、米欧は見返りにイランへの経済制裁を解除する。約10年間、イランが核兵器1個分の核物質を獲得するのに要する時間を1年以上に保ち、短期的なイランの核武装のシナリオを取り除いた。
核合意は中東での核開発の広がりを防ぐ動きとして評価され、オバマ前米大統領の外交成果となった。ただイランと敵対するイスラエルサウジアラビアは、国際社会で孤立してきたイランの台頭につながることを懸念し反発。
トランプ米大統領も「合意がイランの核武装の道を完全にふさいだわけではない」と批判。トランプ氏は2018年8日に核合意からの離脱を表明し、対イラン経済制裁を再開する大統領令にも署名した。米国による制裁の復活によりイランの原油を輸出しにくくなる可能性がある。

次の項目にも出てくる、アメリカの思惑と中東の問題は、大変つながりが深く、さらに政党によって、その情勢は大きく揺らぐことになるため、11月の大統領選挙からは目が離せない。

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バイデン上院議員         トランプ大統領

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このイラン核合意に対して、バイデン氏は自らが大統領に就任後は、イラン核合意が復活姿勢を示しており、それに付随して経済制裁の解除も考えられる。

それに対して、UAE、サウジを含む湾岸諸国は強い懸念を示している。

オバマ前大統領が、イランとの核交渉を進めている間も、何度となく交渉停止を申し入れ、核合意に反発を示してきたUAE、同じくイランと敵対する、トランプ政権との関係を深め、イランに対する強い姿勢を見せ続けていた。

UAEからすれば、バイデン政権がイラン核合意を復活すると、イランは合法的に核開発を継続し、地域の脅威となり、経済制裁が解除され湾岸地域のパワーバランス変化を懸念している。

トランプ政権がイランに対して「最大限の圧力」をかけ続けることを期待している。事実、トランプ政権は1月10日、イランに対する経済制裁の強化を発表。

このように、トランプ政権は、今回の大統領選挙でバイデン氏が就任した場合の、イランの台頭による中東の混乱に対して、UAEとイスラエルの国交を結びイラン包囲網を強め、バイデン氏が動きずらい状況を作っているともいわれている。


今回、UAEとイスラエルの国交樹立に、サウジがUAEと歩調を合わせなかった理由の一つに、サウジ国内にイスラエルとの国交正常化に対して反対する勢力が強く存在し、行動の自由がなかったからではないかとの見方がある。

これまでのサウジのムハンマド皇太子は、自らに権力を集中させるため、政治的ライバルとなる王族を逮捕、ホテル軟禁などで、封じ込めてきたが、その手荒な手法に対して国内で多く反発されている。

2020年に入りサウジとロシアの間で原油価格を巡る争いがあり、加え新型コロナウイルスの経済活動の停止が、原油の需要を引き下げ、価格が下落。さらに、サウジの経済状況も不安定となり、ムハンマド皇太子の足下は不安定になっている。

宿敵であるイスラエルと国交正常化することは、「アラブの大義」を信奉するグループが多くいるサウジでは、政治的紛争を引き起こす結果になりかねない。

サウジは簡単には動けないと見るべきとの見方が強い。

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サウジアラビア:ムハンマド皇太子


UAEは重要な湾岸諸国の一つではあるが、UAE、バーレーン、オマーンなどがイスラエルと国交正常化しても、サウジが動かない限りは大きな中東の勢力関係の構図が変わるとは考えにくい。

サウジの反対派にもみられるように、中東のアラブ人、アラブ連盟の思惑とは何なのか?

アラブ連盟:

パレスチナ解放機構(PLO)を作ったのは、アラブ連盟。

イスラエルを建国する時に、そこに住んでいるアラブ人の為に色んなバックアップを行い、国を作るという事を第一回アラブ会議にてPLOが出来た。

初代議長は、初代パレスチナ大統領のヤーセル・アラファート

コンセンサス(アラブ連盟の対イスラエル共通政策):イスラエルと和平せず、交渉せず、承認せず。

その上でPLOが出来ている。

1945年3月、アラブ諸国の共通利害を守るためにエジプト王国が主導して結成。当初アラブ系7ヵ国が加盟。イスラエル建国に反対で一致し、中東戦争では重要な役割を担ったが、エジプト・イスラエルの和解で共同歩調に乱れが生じ、結束力はなくなったが、組織上は現在も20ヵ国以上の加盟で存続している。

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アラブ連盟

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ヤーセル・アラファートパレスチナ国初代大統領

1929年8月24日 - 2004年11月11日


サウジアラビアの反応:サウジアラビアもUAE同様、「サウジアラビアビジョン2030」の国策にもあるように、国内産業の多角化を図りたいという思惑がある。

しかし、サウジアラビアは今回の国交樹立に対して、声明を発していない。

理由として2つ考えられる。

①賛成の声明を発表:国内のイスラエルとの国交反対派の台頭により政権が不安定になる恐れや、アラブ連盟などのアラブ諸国のイスラエルとの和平や交渉に対する反発への反応による、アラブ諸国との関係悪化の恐れあり。

②反対の声明を発表:技術を誘致したいイスラエルとの関係が悪化し、国交樹立が困難になる可能性がある。

この2つが考えられ、動けない状況にあると思われる。

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サウジアラビアビジョン2030


パレスチナ問題

中東は世界で最も不安定な地域で、その引き金が中東戦争。

中東戦争は、第一次(1948)、第二次(1956)、第三次(1967)、第四時(1973)の4度に渡って、イスラエルとアラブ諸国の間で発生した戦争。

大きな背景にあったのが、ユーラシア大陸とアフリカ大陸のつなぎ目にあるパレスチナの領有をめぐる「パレスチナ問題」。

19世紀以降、ヨーロッパで次々に国民国家が成立し、各地で民族の自己認識が促されると、ユダヤ人オスマン帝国領のパレスチナに入植し始めた。

第一次世界大戦でオスマン帝国は崩壊し、シオニズムに押された大英帝国と列強は国際連盟で「ユダヤ人のナショナル・ホームをパレスチナに確立する」としてイギリス委任統治領パレスチナの創設を決議した。

シオニズム:シオン運動、シオン主義は、イスラエルの地(パレスチナ)に故郷を再建しよう、あるいはユダヤ教、ユダヤ・イディッシュ・イスラエル文化の復興運動(ルネサンス)を興そうとするユダヤ人の近代的運動。

イギリス委任統治領メソポタミアのように、パレスチナという古い呼称を復活させたのはマーク・サイクスの方針。

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マーク・サイクス大佐

パレスチナの初代高等弁務官はユダヤ人のハーバート・サミュエルが選ばれた。

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初代高等弁務官 ハーバート・サミュエル


第二次世界大戦後、ホロコーストで同情を集めたシオニズムに押され、アメリカ合衆国などの国は、国際連合でパレスチナ分割決議を採択した。

この分割は、ナチス・ドイツによる虐殺(ホロコースト)への同情と、第二次世界大戦中の連合国に対する協力への配慮から、ユダヤ人たちに有利な内容(土地の約56%)であった。

パレスチナ人やアラブ諸国が反対のなか、分割決議に基づき、1948年にユダヤ人がイスラエルを建国

パレスチナ自治区は、イスラエル建国直前の1947年に行われた国際連合総会決議181号(パレスチナ分割決議)が定めた、パレスチナをユダヤ人、アラブ人、国連統括地の3つに分割する決定を基礎としている。

現在のイスラエルは、紀元前にカナンなどと呼ばれており、ユダヤ教の旧約聖書に記載されている元々ユダヤ人の国だった。

約2000年前、古代ローマ帝国にこの地を追われたユダヤ人が、19世紀末から大挙して帰還し始めた。

ユダヤ人の数が多くなるにつれ、2000年の間にこの地に暮らすようになっていたアラブ人(パレスチナ人)との間で、宗教の違いや所得格差に基づく衝突が絶えなくなった。


パレスチナ問題の中心である、ユダヤ人とアラブ人の関係を決定づけたとされるのが、イギリスの第一次世界大戦に行った、対オスマン帝国対抗制作である、3枚舌外交にまつわる3つの密約とされている。

3枚舌外交:

フサインマクマホン協定:軍事支援でパレスチナへアラブ人を独立  ②サイクスピコ協定:英仏露の分割、戦後パレスチナを分割
バルフォア宣言:ロスチャイルドから資金支援でパレスチナへユダヤの建国

世界大戦後、イギリスはこの外交条約への対応が困難となり、国連に対応を委任している。

1947年 国連パレスチナ分割が決議した。
ユダヤ国家56.5%、アラブ国家43.5%エルサレム国際管理

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パレスチナ分割決議

その後、1947年11月ユダヤ人の建国に反発した、アラブ諸国とイスラエルとの間で、第一次中東戦争勃発➡イスラエル側が勝利し、ユダヤ国家イスラエルのパレスチナの80%を占領。


中東戦争の移り変わり

周辺アラブ諸国は、同じくアラブ系イスラム教徒が多い、パレスチナ人を支援し、4度に渡る中東戦争に突入。

対して、国民皆兵制アメリカからの援助のもと、イスラエルはいずれもアラブ諸国からの攻撃を撃退。

しかし、中東戦争は回を重ねるごとに、複雑なものになった。

まず、中東一の軍事大国となったイスラエルが、攻勢に転じたこと。

特に第三次中東戦争で、1947年の国連決議でパレスチナ人のものとされたヨルダン河西岸地区ガザ地区を占領。その後、ユダヤ人の入植が始まった。この時期に多くのパレスチナ人が難民化していった

イスラエル国内では、ユダヤ教保守派を中心に、パレスチナ全土の領有を主張する意見がある。

しかし、国連決議に反するイスラエルの行為は、徐々に国際的な批判を受けるようになった。


一方、アラブ諸国の温度差も浮き彫りになった。

中東戦争に一貫して参加したのはエジプトだけ。多くのアラブ諸国にとって、「外国」のパレスチナのために、軍事大国になったイスラエルと衝突することは、リスクが高かった。

さらに、サウジアラビアなど大産油国にとって、イスラエルを支援するアメリカ最大の顧客

そのため、ほとんどのアラブ諸国は外交的非難にとどまるようになった。


中東戦争後の中東

1979年アラブ諸国で唯一全ての中東戦争に参加していたエジプトが単独で、イスラエルとの平和条約に調印

そのためエジプトはアラブ連盟から追放された。

エジプトの損失が大きすぎることからきた決定だった。結果、イスラエルとアラブ諸国の直接的な衝突は影をひそめた。

エジプトの追放後、アラブ連盟の中で、台頭してきたのがイラク。

当時のイラクのサダム・フセインはアラブ連盟のトップになり、アラブの盟主になりたいという思惑があり、アラブ連盟内の各国に対して、影響力を作りたかった。

その後、イラン・イラク戦争に繋がる。

その後の湾岸戦争が始まるまでに、エジプトは、湾岸諸国の国々との国交修復に力を入れ、アラブ連盟に復帰する事になる。

湾岸戦争の時期に、アラブ連盟の多くの加盟国のコンセンサスは、イランに対して非難決議を出しが、パレスチナ、PLOはイランを支援した。

アラブ全体はパレスチナの為の国を作るためにPLOを作ったにも関わらず、そのPLOは、湾岸戦争時に多額の支援をしてくれたイラク側についた。

対してアラブ連盟はクウェート側についた。PLOはアラブ連盟を裏切った形になった。

PLOへの多額の支援は、PLOをイラク側へ抱き込むためのサダム・フセインの戦略であった。

そこから亀裂が入りギクシャクした関係が続いている。

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サダム・フセイン:イラク共和国大統領(スンナ派)

( 1937年4月28日 - 2006年12月30日)

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イラク国旗


このことは、アラブの一般市民の間には、自国政府がイスラエルのパレスチナ占領を「見逃す」ことへの不満が増幅

現在の過激なイスラム思想の高まりとともに、パレスチナ問題は多くのイスラム系テロ組織の求心力に繋がっていった。

一方、イスラエルに敵意を示し続ける国もある。

厳格なイスラム国家イランは、イスラエルを念頭に核やミサイルを開発しているとみられている。

また、第三次中東戦争で領土の一部であるゴラン高原を占領されたシリアは、その後も反イスラエル・イスラム組織の「ヒズボラ」を支援してきた。

中東戦争の残した爪痕は、中東に今も深く残っているといえる。


中東戦争

中東戦争の流れ

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現在のイスラエル国


イエメン内戦問題

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イエメンとは?

イエメン共和国はアラビア半島の南東に位置し、人口約2900万人の国。

現在の形に至ったのは、1990年 南北イエメン統一1994年の内戦を経た結果である。

首都サナアを中心とする北部では、第一次世界大戦後、ザイド派の指導者イマームを首長とする王国が樹立されたが、1962年の革命によるイエメン・アラブ共和国建国、エジプトの干渉を経て、1970年まで内戦が続いた

南イエメンは、19世紀にイギリスが中心都市であるアデンを占領支配していたが、1967年に独立し、イエメン民主主義人民共和国となった。1994年の内戦の結果旧北イエメン勢力の優位が確定し、アリー・アブドッラー・サーリフによる長期政権が続いたが、度重なる戦乱弱体な中央政府、葉を噛むと軽度の覚醒作用があるカートの栽培と使用が広がり、そしてイスラーム過激派ISの跋扈(ばっこ)のような問題を抱え、世界最貧国の一つといわれていた。

2011年に「アラブの春」が波及した抗議行動により、サーリフ大統領が辞任し、GCC諸国による提案と国連安保理決議に基づく政治移行が図られ、アブドラッボ・ハーディーを大統領として移行が進んだ。

この移行の失敗こそ、現在の人類史上最悪の一般市民を巻き込んだ人道危機に陥っている紛争の発端と言える。

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アブドラッボ・ハーディー イエメン2代大統領


紛争の流れ?
 

イエメン紛争はサウジ(或いは支援しているアメリカ)とイランとの代理戦争・国際紛争である。または、スンナ派とシーア派との宗派紛争と思うかもしれないが、イエメン紛争の一部に過ぎない。

①国内の事情

イエメンの国内紛争との側面から考えると、2012年以来の政治的移行の失敗移行過程の欠陥が重要な原因である。

政治的移行は、サーリフ大統領を辞任させた後、同人やその与党を問責せず、引き続き、イエメンの政界、軍で勢力を温存させるという問題などであった。

結果、サーリフ元大統領らは復権、ないしは既得権益の保持をめざし、アンサール・アッラー(フーシー派)と手を結びハーディー政権を放逐するに至った。

北部の辺境地域のザイド派信徒からなるアンサール・アッラー(フーシ派)は、地域の政治・社会運動として2002年ごろから顕著な動きを始めた

対し、サーリフ政権、ハーディー政権は、イスラーム過激派IS、アル=カーイダ「系」、親イラン勢力とレッテルを張り、両者は繰り返し衝突した。

当初から、紛争前の政治過程に破綻に至るまで、北部の辺境地域の人々への政治的権益の配分はないがしろにされていた。

同様に、イエメン南部にも1994年以来の北部による覇権に不満を持つ人々がおり、分離独立派として抗議行動を行っていた。彼らへの権益の配分も政治的移行の過程で十分配慮されず、イエメン紛争の当事者となった。

現在は、「南部移行評議会」と配下の武装勢力アデン市内の重要施設を制圧

結果、「国際的に承認されている」はずのハーディー政権は、イエメン国内では活動できず、大統領以下閣僚や議員、同政権を承認している各国外交団もイエメンに入ることが困難となっている。

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アリー・アブドッラー・サーリフ イエメン初代大統領

( 1947年3月21日- 2017年12月4日)

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イスラム過激派IS

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アル=カイーダ

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ウサーマ・ビン・ラーディン:アルカイーダ創始者


②国際的な事情

アンサール・アッラー(フーシ派)が宗教的な動機でイランと結びついていると信じるのは無理がある。

ザイド派はイランの国教である12イマーム派のシーア派とはずいぶん異なる宗派で、この二つの宗派の信徒間に宗教的仲間意識が生じるとは限らない。アンサール・アッラーも、別にイエメンのザイド派全体を代表する勢力でもない。

イエメンでサウジ+アメリカとイランの争いは、宗教・宗派的理由ではなく、ペルシャ湾を対峙している両陣営にとって押さえておきたい場所という動機が考えられる。

イランにとって、中東全域をで12イマーム派のシーア派の信仰を共有する仲間」はイラクレバノンにいる程度である。


③イスラーム過激派IS

アル=カーイダ含む、イスラーム過激派ISも、イエメン紛争の重要な当事者。

イエメンでは、2000年、夏、アデン港でアメリカ軍の駆逐艦がアル=カーイダの攻撃により大破した事件が発生。

また、2008年~2010年ごろ、「アラビア半島のアル=カーイダ」がイエメンに拠点を置き、アメリカの航空機内で爆発物を発火させる事件を起こしたり、英語機関誌で様々な攻撃の手段を世界中に発信した。

さらに、「アンサール・シャリーア」という別動隊で領域支配を試みた。

2014年から「イスラーム国 IS」に従う者たちが「州」を設けたと主張して活動するようになった。

アル=カーイダと「イスラーム国」は相互に対立し、時に交戦しつつも、彼らから見ると異教徒に過ぎないザイド派のアンサール・アッラーを攻撃した。

サウジ率いる連合軍は、イスラーム過激派ISを特に鎮圧する様子もないアメリカは、オバマ政権時代からイエメンのイスラーム過激派に対し頻繁に無人機を用いた爆撃を実施。誤爆による被害を出している。

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アンサール・シャリーア


④イエメンの現状

内戦による難民360万人が1,700カ所のキャンプで暮らし、なんとか戦火を逃れているが、グテーレス国連事務総長によればイエメンの人口の80%を占める2,400万人が援助を必要としている。

空港が閉鎖や、国からの電気(2014年から)、ガスなどのインフラが途切れている。電気は、民間でソーラーシステムや発電機を使い高額で国民に支給している。ガスは高額で手に入れるか、木などを燃やしている。

ガソリンが無く、エネルギー資源はブラックマーケット(闇市)で高額でやり取りしている。

村や首都以外の地域では、水の確保が困難になっており、そこに住む富裕層が給水車を呼び、水を得ている。

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首都サヌアの葬儀中への空爆後

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サウジ空軍によるイエメン各地への空爆


食糧

内戦による不安定な国内事情の影響や、東アフリカから押し寄せた大群のサバクトビバッタの影響で、空前の食糧危機に陥っている。

イエメンは飢餓状況にあり、現在、約1,800万人が十分な食事をとれず、食料の確保に不安を抱えている。

中でも800万人以上が深刻な食糧不足に陥っており、完全に海外からの支援に頼っている状態。

栄養不良に陥る子どもの割合が、最も高い国の一つでもある。

栄養状態は悪くなる一方で、調査では、約3分の1の家族が食材を欠いており、豆類、野菜、果物、乳製品や肉などの食品をほとんど摂れていないことが分かった。

妊婦や授乳中の母親、5歳未満の子供300万人以上が栄養不良の改善、または治療を必要としている。

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イエメンの食糧を求める人々


学校

首都は通えていたが、周辺地域は学校の数も足りていないとの事だが、通えていなかった。しかも新型コロナの影響で学校も休止している。

さらに学校にも空爆が行われ、民間人の命が奪われている。

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空爆を受けた学校


病院(新型コロナ・コレラ)

イエメンの平均寿命は66歳で、中東では最も低い。

イエメンの政府支出に占める医療費比率は、2015年の段階でわずか2.2%(日本2018時点23.6%)で、内戦以降は統計をとることすらできていない状態。

市立病院は高額で富裕層しか利用できていない状況。

国境なき医師団の方々が支援しているが、医療物資、酸素吸入器、医療従事者が不足しており、対応が出来ない状態が続いており、入院患者の4-5割が死亡しているという。

ジョンズ・ホプキンス大学によれば、7月2日午前2時半の時点におけるイエメンの新型コロナウイルス感染者は1,190人、死亡者は218人であり、致死率は27%にまで及ぶ。

さらにそんな病院にたいしてサウジアラビア側から空爆を受け、患者や医療関係者が被害にあっている。

イエメンでは、2015〜2019年の内戦、疫病、飢餓による死者数が約23万3,000人に及んでおり、それ以上の人々が新型コロナウイルスで死亡する可能性が高い。

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国境なき医師団への空爆

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病院への空爆後


経済:仕事

アラブの最貧国などと言われ、もともとイエメンの経済力は貧弱で、そこに内戦が発生、さらに新型コロナウイルスが襲いかかっている。

まさに三重苦

イエメンの一人あたりGDPは、日本のわずか0.8%で、1%にも満たない。

2015年の内戦開始からまともに給与が支払われていない。

6か月に1度のみ支給されている事が多く、サウジなど海外に出稼ぎしている親族からの仕送りなどに頼っている事も多いそうだ。


内戦の近況

UAEの報道機関であるアル=アラビーアによると、ムハンマド皇太子により、イエメンの4つに分かれている勢力を3つに統合するため、南部暫定評議会とハーディ政権の統合を組立てるという方向性に動き始めたと、サウジのムハンマド皇太子の腹心である、ハリッド・ビン・サルマン防衛副大臣が発言した。

イエメンの暫定政府側ハーディ大統領南部暫定評議会のズバイディ氏は元々ともに、イランが支援するフーシ派と争っていた。

そこで、紛争に乗じて入り込んできたのが、アル=カイーダ・アラビアンぺニシュラン(AQAP)で、暫定政府、フーシ派、アルカイダの3つの勢力で争っていたが、暫定政府側がハーディ暫定政権と南部暫定評議会が対立し、分離に至り4つの勢力になってしまった。

この対立の理由として、南部暫定評議会のズバイディ氏は元々、イエメン南部のアデン県の県知事であり、そのアデン県を独立させたいという思惑があった。

それは、ハーディ氏と共にイエメンをまとめることが不可能と判断したためとされる。

その後、南部暫定評議会とハーディ政権はそれぞれ個別に他の勢力と戦っている。

その南部暫定評議会を支援しているのがUAEハーディ政権を支援しているのがサウジフーシ派を支援しているのがイランという構図である。

そのUAEとサウジはアラブ諸国連合として一緒に支援していたが、イエメンの将来像に対して、意見が食い違ったことをきっかけに、亀裂が生じている。

そこで、今回サウジのムハンマド皇太子が提案したことが、リアド協定であり、南部暫定評議会とハーディ政権が再び手を結び、一つの政府として、他の勢力と戦い、国をまとめるというもの。

リアド協定:南部暫定評議会が南部自治を撤回する事。政府はアデンの知事を任命すること。北と南を等しく代表する新政府を樹立。30日以内の新政府結成を要請した。

NHKの報道によると、リアド協定発表後、イエメンの南部勢力が、自治宣言撤回したと報道され、暫定政府の再統合に進んでいるようだ。

イエメン内戦構図


以上が、中東の大きなトピックを私なりにまとめたものだ。

中東の問題に対して、各国、先進国の影響も大きい事から、読者の皆様も、この記事が少しでも参考になれば、世界情勢の動きが分かりやすくなるのではないだろうか。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

今後も、役に立つような情報を提供できるよう頑張って参ります。よろしくお願いいたします💛