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#74「平凡な俺」4年 徳弘匠

こんにちは。
74人目の部員ブログを担当させていただきます。
関西学院大学体育会サッカー部4年の徳弘 匠(とくひろ なる)です。
この部員ブログでは、私の今までのサッカー人生現状これからを書きたいと思います。おそらく最初で最後であろう今回の機会、精一杯書きますので最後まで読んでいただけると幸いです。


まず初めに、自己紹介をします。
私の出身は高知県で、俗に言う田舎です。田舎ですが、食べ物は美味しく、自然は豊かで、人がとにかく温かい。とても素敵な場所で育ちました。

父と兄の影響で物心ついた頃からサッカーを始めて、当たり前かのように現在まで続けています。しかし、今までサッカーだけをやってきたのではなく、幼い頃はたくさんの習い事をやらせて貰いました。水泳、陸上、毛筆、英会話、塾、ピアノ。その他にも、やりたいと言ったことはやらせてもらえる恵まれた環境でした。

サッカーを続けているのは、好きだから
この一言に尽きると思います。

私の性格の紹介をしようと思うのですが、最近はMBTIという便利なものがあります。私はISTPで、自分で細かい説明を見ても納得しています。
気になる方は見てみて下さい↓


今までのサッカー人生

ここからは本題です。
小学生になって、父がコーチをしていたサッカークラブに入りました。チームに入ってすぐ、自分は才能があると思いました。足が速かったので、前にボールを蹴って走れば相手は抜ける。シュートは感覚で打てばだいたい入る。この理論で得点を量産し、自然とFWをやっていました。学校が始まる前も帰ってからも、常にサッカーをしているサッカー小僧でした。

中学生になって、県内で1番レベルが高いと感じたサッカークラブに入りました。県内の優秀な選手が集まったので、今までよりレベルが高くなり更にサッカーが楽しくなりました。そして中学2年生の冬、地域対抗戦の四国代表選手に選ばれました。そこには同年代のトップ選手が集まっていて、自分より上手くて、強くて、速い選手ばかりで、レベルの差を感じたと同時に、このレベルでサッカーがしたいとも感じました。気になって当時のメンバーを調べてみたところ、パリ五輪のメンバーや今のチームメイトがいて、改めて貴重な経験をさせてもらったなと感じています。
気になる方は見てみて下さい↓

https://www.jfa.jp/youth_development/national_tracen_u14_2016/member/Latter_u14.pdf

進路を考える時期になった際、選手権への憧れや地域対抗戦に参加した経験から、全国レベルでサッカーができる高校に行きたいと考えました。選手権に出ることだけを考えたら県内でも良かったかもしれませんが、より高いレベルの選手が集まる環境を考えて県外を選びました。この時、県外に行くという選択に対して、背中を押してくれた両親と監督には感謝しています。そして、縁もあって神戸弘陵学園に進学することになりました。

高校生になって、右も左も分からない田舎者は兵庫県で寮生活をすることになりました。そこには、私が望んでいたハイレベルでサッカーに集中できる環境がありました。入学した年からサッカー部専用グラウンドは人工芝になり、いつでも使うことができました。寮は学校内にあり、美味しい食事も作ってくれて、サッカーをするにあたってこれ以上ない環境でした。

サッカー面では、入学してすぐの紅白戦で何もできなかったことを今でも覚えています。その試合をきっかけに、FWからSBにポジション変更をすることになりました。当時は悔しかったけど、今となっては大きく成長するきっかけになったと感じています。不慣れなポジションながらも、試合に多く出させてもらったことにより自信をつけることができました。

2年生になってAチームの試合に絡むこともできました。チームとしては、憧れであった選手権の全国大会に出場することができました。その時の立ち位置はサブでしたが、初戦でスタメンの先輩が負傷したことにより、試合に出場することになります。その試合で運良く点を決めて、大会を通してスーパーサブとして試合に出場しました。

そしてベスト16で帝京長岡高校と対戦をして、0-5の大敗を喫しました。その試合で私は決定機を外してしまいます。点差や流れからして、あのシュートを決めていれば結果は変わっていたかもしれない。自分のせいで先輩の最後の大会を終わらせてしまった。個人的にとても悔しい終わり方をしたと同時に、またこの大きな舞台でサッカーがしたいと強く思いました。

2020年1月3日

3年生になって進路を決める時期になり、たくさん悩みました。全てを書くと長くなるので書きませんが、何度も気持ちが変わって両親や先生にたくさん迷惑をかけました。悩んだ末に、関西学院大学に入学することが決まりました。

進路も決まって望んだ最後の選手権。私は10番を背負うことになりました。中心選手として試合に出場して、結果を残すことが求められる立場でプレッシャーもありましたが、県大会を無事に優勝し、全国大会へ出場することができました。

そしてベスト16での試合。相手は前回と同じ帝京長岡高校。同じ舞台で同じ相手と対戦できるということで、リベンジする絶好の機会だと思いました。結果は負けてしまいましたが、個人的には点を決めることができて、チームとしても前回より成長した姿を見せることができました。やり切った気持ちで高校生活を終えることができました。

2021年1月3日

ようやく大学生編です。高校で自信をつけた私は大学でもすぐに通用すると思っていました。しかし蓋を開けてみれば1番下のカテゴリーからのスタートでした。大学生はフィジカル的にも技術的にも更に高くなり、今までスピードに頼り切っていた自分は全く通用しませんでした。

そこから、自分が今まで逃げてきた技術や思考と向き合い、2年の夏にBチームに上がることができました。3年目もBチームからのスタートでした。しかしこの時点でスポーツ推薦で入学した同期のほとんどがAチームにいました。劣等感や無力さを感じながらも、腐らずサッカーに向き合った1年間だったと思います。その結果、BチームはIリーグで日本一になり、私はその後のインカレに帯同してAチームの公式戦に出場することができました。そして今年、4年目にしてようやくAチームからスタートすることができています。

現状

今シーズン当初、私は試合に出場して攻撃を牽引する自分を想像していました。しかし3月の遠征で怪我をして、サッカー人生で初めて長期の離脱をすることになりました。焦って復帰をしてまた痛めたり、復帰はしたけど全く体が動かなかったりと、苦しい時間を過ごしました。

ようやく試合に復帰できたのは、6月の関西選手権でした。後輩にもいじられましたが、6月16日の龍谷大学戦。後半から出場した私は、全く試合に入ることが出来ずに30分ほどでピッチを後にしました。試合も負けてしまい、夏の全国大会に出場することは叶いませんでした。

期待に応えられなかった申し訳なさや自分への不甲斐なさなど、今までサッカーをしていて味わったことのない気持ちになりました。そこからしばらくはサッカーをやりたくなかったし、考えることもしたくありませんでした。

チームとしては切り替えてリーグ戦に臨み、前期を終え首位で折り返すことになりました。私は最終節の立命館大学戦でようやくリーグ戦初出場。後半途中から出場しましたが、個人的には全く納得のいかないプレーでした。

チームは関西選手権の敗北を糧に前に進んでいるのに、自分はまだあの試合を引きずっている。

自分は平凡なんだ。

そんな気持ちになり、下を向きそうになりました。

ところで平凡な俺よ。下を向いている暇はあるのか。

分かる人も多いのではないでしょうか。
これは私の好きな「ハイキュー!!」の田中龍之介というキャラの言葉です。
ネガティブな気持ちになって下を向きそうになったとき、この言葉が自分にはとても響きました。


今のまま大学サッカーを終えると、確実に後悔が残ります。仮にインカレで優勝して日本一になったとしても、「日本一に貢献できた」と、胸を張って言えるか分かりません。

チームへの貢献の仕方は様々な形があります。
その中でも自分はプレーや結果で貢献したい気持ちが強いです。
だからこそ、現状には全く満足していません。


これから

今までのサッカー人生を読んでいただいたら分かる通り、上手くいかない時期は何度もありました。それでも下を向かずに頑張ってきたから、乗り越えることができて、今の自分があります。

残り半年しかない大学サッカー。
サッカー人生も終わりになるかもしれない。
下を向いている暇なんてありません。
Aチームはこれから暑い夏を経て後期のリーグ戦を戦います。
チームとしても個人としても、これからどんな未来が待っているかなんて誰にも分かりません。まだまだ苦しい時間が続くかもしれません。

それでも私は、下を向かずに頑張ります。

インカレで優勝して日本一になったとき、
「平凡な俺でも日本一に貢献できた」
と、胸を張って言えるように。





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