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#39「怪我と向き合う」4年 千葉大護

こんにちは。

関西学院大学体育会サッカー部4年の千葉大護です。

まずはこのような機会をつくっていただきありがとうございます。

僕は思っていることを文字に起こしたりすることは苦手なので拙い文章になると思いますが最後まで読んでいただけると幸いです。

初めに僕のことをあまり知らない方が多いと思うので自分のことを話してから本題にいこうと思います。

僕は男三兄弟の真ん中で5歳から兄の影響でサッカーを始め、小学生と中学生の時はただただがむしゃらに楽しくサッカーをしていました。高校は石川県の星稜高校に入学し、手術をするような怪我も経験したり多くの壁にぶつかったりもしましたが振り返ってみると2年時に10番を背負い、3年時には10番で主将をしていました。おそらく読んでいる人はお前がキャプテンなんてできるんかとか思ってると思います。それは僕が1番感じています。俺で大丈夫かなと思ってたし、キャプテンなんてするようなタイプじゃないから何すればいいかわからなかった、けどただ一生懸命サッカーに向き合い没頭していました。高校で10番で主将をしていたことから大学に入るときも試合に出て活躍できる、と自信をもって入学しましたが現実は厳しく、全く試合に絡めず、怪我して復帰してまた怪我してを繰り返しあっという間に4年になりましたが、最後の年になってようやくAチームでプレーできています。

ここから本題に入ります。

どのようなことを書こうかなと考える中で、これまで何人かが怪我のことを書いていましたが僕の中でも怪我というのが1番悩み苦しい思いをしたので怪我について書こうと思います。

まず僕が大きな怪我を経験したのは高校の時で1年の入学してすぐに「左足第五中足骨疲労骨折」と診断され、それから私は怪我と向き合っていくことになります。サッカーをする上で怪我はつきものですが、怪我をした際は捉え方など気持ちの面がとても大切です。怪我で離脱している時は自信もなくなっていき、不安や焦りが出てきます。ですが、その中でも学べることも多くあり、怪我で辛い時期でも踏ん張って乗り越えることでサッカーをプレーしている時には気づけないことに気づけることもありました。プレーできない時だからこそ自分の価値を客観的に考えることができたり、忍耐力やマインドコントロールなど精神的にも身体的にも向上させることができたと思います。それに僕は何よりも家族や仲間などからの「お前ならできるぞ」、「早く復帰してプレーするの待ってるぞ」などの熱い言葉に何度も助けられました。今怪我している選手や今後怪我で離脱してしまう選手がいると思いますが支えてくれる声をかけてくれる仲間が必ずいるので諦めず怪我としっかり向き合ってください。

僕は大学に入ってから今までC2からAまでのカテゴリーを経験していますが1.2年の時には度重なる怪我もありコンディションも上がらなく長く苦しみました。しかし、僕は去年の3年に上がったタイミングで初めてBに絡むことができ、コンディションも良く、やっとかという思いでこれから頑張ろうと思っていた時にまた怪我をして約半年間離脱しました。その時にも多くの方に支えてもらい、復帰してからは徐々にコンディションも戻り結果的にIリーグで日本一を経験することができました。そして、あっという間に4年になりラスト1年やり切ろうと意気込んでスタート合宿に臨みましたが、怪我をして少し出遅れてしまいました。僕は現状AにいますがAの中では底辺です。自分自身大学ラストイヤーなので引退する時に笑顔で終われるように、試合に出てこの組織のために精一杯頑張りたいと思います。

拙い文章にはなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

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