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第75代応援団総部団長 菊田昇剛

こんにちは。平素より弊団のnoteをご覧いただきありがとうございます。
関西学院大学応援団総部第75代団長の菊田昇剛です。

本日、2022年1月12日の幹部交代式をもちまして、第75代関西学院大学応援団総部は第76代へバトンをつなぐこととなります。
幹部交代を迎えるにあたって4年間を振り返るとさまざまなことがありました。

関学応援団との出会いは高校3年生の夏でした。真夏のオープンキャンパスで受験生を応援している関学応援団と遭遇しました。高校に応援団がなかったため、「なんだ、この人たちは!」と衝撃を受け、関学への入学と応援団への入団を決意しました。

無事に入学し、怒涛の応援団生活が開幕しました。


1回生
入団してからは毎日のように鬼の指導していただいていました。応援団が厳しい規律、しきたりがあると分かっていたものの、見事に想像を超えてきました。
そんな厳しい日々の中で応援団に対するモチベーションが0になった日、応援団として応援する意味を見失う日も決して少なくありませんでした。
しかし、72代、73代、74代の先輩方の姿を追う中で腑に落ちたことがありました。それは「応援する側は応援される側より、厳しく、鍛錬を積まなければならない」ということです。つまり、中途半端な鍛錬を積んだ応援団の応援は選手には何も届かず、選手を超える鍛錬の末、やっと選手に声援が届くということです。ただ単に声がでかい、人数が多いから迫力があるということではなく魂のこもった応援で選手を後押しするのが応援団の本質であることに1年かけて気づくことができました。それからはどんなにきつく、どんなに理不尽なことがあろうと、乗り越えることができ、応援団1年目を終えることとなりました。


2回生(旗手&1回生指導責任者)
2回生では旗手を務めることとなり、応援では団の象徴である団旗を掲揚していました。大雨の日も、強風の日も、熱中症1歩手前の日も、掲揚時間が6時間を超える日もありました。過酷な役職ではありましたが、長きにわたる年月を積み上げてきた応援団の象徴として辛抱強く耐え誇りを持って1年間の旗手を全うしました。旗手の経験を通じて応援団と今日まで紡がれてきた伝統に対する姿勢が大きく変わりました。

また、1回生の頃、第74代の先輩方に指導していただき、指導部員として成長していきました。そんな中、第76代の後輩たちが入団してきました。恩返しとして第76代の後輩を一人前に成長させるのが私の役割であると信じ、1回生指導責任者に立候補しました。後輩たちを指導する中で、1年前の自分自身が重なり、大学入学からの1年間で応援団のことはもちろん、精神面で大人になっていることを実感しました。立ち振る舞い、言葉遣い、礼儀作法とひとつひとつの物事に対する向き合い方は1年間でこれでもかというほど叩き込まれました。指導する中での後輩の成長を嬉しく思うとともに、自分自身の未熟さを気付かされる事が多かった1年でした。かなり厳しく指導してきた第76代指導部員の7名はよくついてきてくれた。ありがとう。


3回生(団渉内&関西四私立大学応援団連盟委員)
2年間の下積みを経て、いよいよ応援団総部本部として動き出した矢先、新型コロナウイルス感染拡大によって活動が止まりました。応援団生活を振り返るにあたって切っても切り離せないのが新型コロナウイルスです。

演舞演奏や依頼活動の構成や段取りを仕切る団渉内としての活動は2020年2月の結婚披露宴依頼の2回のみ。関学・関大・同志社・立命合同演舞の連盟祭も中止となり、1.2回生の頃に構想していた企画や演出を実現できない日々が続きました。

『応援団がいなくても世の中に変化はない。』という事実を突きつけられました。
今まで疑うことのなかった当たり前の日々は崩れ、大声を出して応援をすること、肩を組んで応援歌を歌うことは非日常と化しました。応援団に所属しているにもかかわらず、応援ができない。声援を送れない。苦しい時期が続きました。「応援団として元気づける演舞を発信したい。選手を応援したい。しかし、それによって応援する立場の人間が感染し、ひっ迫した医療機関に迷惑をかけてはならない。」というジレンマに悩まされていました。来たる応援の日までと未曾有の事態でもSNSやnoteでの発信に取り組み、新たな舵を切る1年であり、真価を問われる年でした。


4回生(第75代団長&関西四私立大学応援団連盟委員長)
「4回生になる頃にはコロナは終息するに決まっている」そう思っていました。しかしながら、その想定は甘すぎました。
団長に就任し『果敢』を団方針として打ち出してからも応援への参加は秋まで叶わず、連盟祭、総部祭を開催することも叶いませんでした。

第75代として初めて活動した日は幹部就任から10ヶ月が経った10月23日。実に2年ぶりの硬式野球部リーグ最終節の応援でした。会場に入った瞬間、「2年間も球場を離れていた応援団を必要としてくれている。」と感じ、感謝でいっぱいでした。コロナ禍で悩まされていた応援団の存在意義への疑問は消え去り、団のみんなで応援活動ができることの喜びを噛み締め、秋季応援を突き進みました。その後はラクロス部、アメリカンフットボール部応援をはじめ、活動再開に向けて準備していたものを全て注ぎ込み、私自身の4年間をぶつけ、幕を閉じました。

4年間、時には逃げたくなることも、時には応援団を選んだ自分を恨むこともありました。
それを吹き飛ばす楽しさが応援団にはありました。応援団を選んで本当に良かった。

最後になりましたが、常に近くで指導していただいた先輩方、支えあった同期、支えてくれた後輩、ライバルでありながらも応援を共に志す他大学応援団の同期、OB・OGの皆様、本日まで多大なるご支援をいただき誠にありがとうございました。

関西学院大学応援団総部 
第75代団長 菊田昇剛

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