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「史上最低」と呼ばれたTRPGの帰還

今からかなり趣味の悪い質問を投げかけるので、どうか寛大な心で話を聞いてほしい。……「史上最も評判の悪いビデオ・ゲームはなにか?」と問われたら、貴方なら一体どんなゲーム・タイトルを挙げるだろうか? 例えば1982年に発売されたAtari2600の”E.T.”。「大量の在庫が砂漠に埋められた」というウワサは半世紀をかけて世界中に拡散し、今でも半ば伝説的な存在としてワースト争いに名前を挙げられることが多い。例えば2003年に発売された”Big Rigs”。Metacritic 8/100というレビュースコアは現在もなお破られていない前人未到の低評価であり、こちらも度々槍玉に挙げられる作品だ。

それでは「史上最も評判の悪いボード・ゲームはなにか?」ならどうだろう。遊び方の違いもあって、こちらのほうが名前を挙げるのに苦労するかもしれない。とは言え、やはりと言うべきかまさかと言うべきか、一部の愛好家たちはこの分野でもとかくワーストの座を語りたがる。タイタニック沈没をテーマにした不謹慎なゲームに、進化論を否定するために作られたプロパガンダゲーム。ちなみに、古今東西ありとあらゆるボード・ゲームのユーザーレビューを収集しているBoardGameGeekによれば、ユーザーに最も低評価をつけられているのは……”三目並べ”だそうだ。(馬鹿じゃねぇのか?)

愛好家たちはゲームを愛好するがゆえに、造詣を深め、知り、情報を並べたがる性質を持つ。「情報を並べたがる」。これは文化を語る上で素晴らしい性質である一方で、文化を語る上で最大の障害にもなる困った性質でもある。情報を並べるまではいい。しかし一度並べてしまった情報は、どうしたって比べずにはいられなくなる。好きなものの全てを知ろうとする欲求のたった一歩先に、わざわざ好きなゲームの中から最低評価のものを決めるという最高に趣味の悪い試みがポッカリと口を開けて待っているのだ。

……それなら、「史上最も評判の悪いテーブルトップ・ロールプレイング・ゲームはなにか?」ならどうだろう? TRPG。その名の通り、テーブルに相対したプレイヤー同士の対話によって進行するロールプレイングゲーム。ビデオ・ゲームのようにバグの問題も発生しづらく、ボード・ゲームのようにコンポーネントにケチがつくこともない。ゲームマスターの裁量によってどのようにでも展開を左右出来るTRPGであれば、そもそもその中から「史上最低を決めよう」などという無為な試みは行われないのではないだろうか?

結論から言えば、TRPGの世界にも「史上最も評判が悪い」と呼ばれるゲームは、ある。最も代表的なものは1981年、コロラドで行われたSFコンベンション「Denvention II」において発表されたゲームだろう。この作品が他のジャンルのワースト作品より知名度が低いのにはいくつかの理由がある。まず第一に、このDenvention IIでは後にTRPGのデファクトスタンダードともなった大作”Call of Ctrulfu”が発表されており、その巨大な影に隠れてしまったということ。そして第二に、そもそもこの作品、当初世界でたったの17冊しか売れず長らく愛好家達から実在すら疑われていた……ということにある。

そのゲームの名は”The Spawn of Fashan”。 当時まだ大学生の身であった若きゲームデザイナー”Kirby Lee Davis“によって製作された小冊子で、全96ページ1冊8.95ドルで販売されていた。内容はD&D的なダークファンタジーをベースに流行りのSiFi的ギミックを盛り込み、そんな世界がモンティ・パイソン的なユーモアで語られるという……まぁ要するに、当時のオタクが好きだったもの全部を一つの世界に詰め込んだような作品だった、ということだ。そしてこれまたご想像通り、その手の若々しい作品を批評家たちは「若気の至り」とか「整合性が取れてない」とか、お馴染みの調子で評した。

時には「史上最低のTRPG」だなんて不名誉極まりない二つ名で呼んで。

あれから40年。60歳を迎えたKirby Lee Davisは現在、愛猫をテーマにする小説家として活躍する傍ら、カントリーソンガーとしても精力的に活躍している。本人のFacebookのプロフィールによれば、時にはジャーナリストとして新聞に寄稿を行い、時には写真家、時にはグラフィックデザイナーとしても活動している。そしてなにより重要なことに、40年という長い時を経た今、彼はかつて名乗っていた肩書きをも取り戻そうとしているらしいのだ。

https://www.kirbyleedavis.com/

「こんにちは!私はKirby Lee Davisです。若き日に世界中のエレクトロニック・マンチキンの皆さんに笑いものにされた”The Spawn of Fashan”を製作・公開していた著者です……覚えてました? もしも皆さんがまだ興味があるなら、この作品を復活させようと思ってるんですが、どう、興味ある?」

https://www.facebook.com/fashanbooks/posts/811089909374739

The Spawn of Fashanが帰ってくる。一時は実在を疑われ「オタクを笑わせるためにでっちあげられた趣味の悪いエイプリルフール・ジョークでは?」と囁かれていたThe Spawn of Fashanが。数少ない熱心なファン達ですら「もしもキミがThe Spawn of Fashanをキライっていうなら、たぶんボクのこともキライになると思うけど、うん、でも、仕方ないよ……」なんていう弱気な標語のTシャツを作って着ていたThe Spawn of Fashanが。TRPGプレイヤーの4類型を説明するマンチキン・テキストの中で、悪ふざけをするプレイヤー"ルーニー"がお決まりのジョークとしてしつこいほど名前を挙げてオチに使っていたあのThe Spawn of Fashanが!

”ゲームデザイナー”Kirby Lee Davisは何故、半世紀もの長い年月を経て復活に至ったのか。今回は史上初(?)となる本人への直接インタビューを敢行。SoF復刻に至るまでの道のり、製作エピソード、そして自身のゲームの評価に対する評価まで、SoFに残された秘密の全てを赤裸々に語ってもらった。

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・貴方の新しいファンのために、軽い自己紹介をお願いします。
それではゲームのバックストーリーの説明がてら、私自身について少しお話ししましょうか。私、Kirby Lee Davisは、図書館を愛するクリスチャンの家族に生まれました。一時期、あの美しいカーネギー図書館のそばに住んでいたんです。 当然、幼い頃から私は本に夢中でした。スース博士の作品や弟が小学校で読んだという指輪物語などの話を聞いて、私はすぐに小説家になる夢を抱いたんです。最初の小説を書いたのは小学校に通うよりずっと前。高校に入ると(1974年)、いつしか惑星の誕生から死までの歴史を書くことに夢中になりました。The Spawn of Fashanというゲームのストーリーラインもまた、実はSFと聖書のテーマを組み合わせたTolkienとDonaldsonへの私の愛情を反映したものだったんです。今になって振り返ってみると……、私の作品はそれまで見たり読んだりしてきた他人の作品とはかなり異なっていましたが、まぁ、自我はそれを認めていませんでしたけどね。

オクラホマ大学に入学するまでに、私はこれらのモンスター小説を2冊(ダブルスペースのタイプライターで700ページ以上!)完成させていました。そしてそれと時を同じくして、あの”Dungeons & Dragons”に出会ってしまったのです。私はすぐに、そのゲームシステムが(1)連続性の維持、(2)ランダム要素の予測と対処、(3)プロットの複雑さの解決を補助することで、作品執筆における多くの問題を解決してくれる可能性を見出していました。しかし、当時のD&Dのゲームシステムには多くの問題がありました(まぁ、この件は若気の至りでもあることを思い出してください)。そのため、私は独自のゲーム・システムの開発に乗り出しました。それこそが、後にThe Spawn of Fashanとなるゲームだったというわけです。私は2年生と3年生の間、大学で日々友人達とゲームシステムの改善に取り組んでいました。すると、テスターとして協力してくれた友人のうち何名かが、私に「このRPGのコピーはどうやったら入手できる?」と質問してくれるようになりました。そしてこれらの出来事は、私の人生にとって大きなほかの二つのイベントと同時並行に発生していたものでした。

1981年、当時コロラドのSFファン達は丁度、世界的SF大会であるDenvention IIの開催を計画していました。私の好きな作家の何人かも、デンバーのダウンタウンの会議に出席する予定だったんです。その上、当時の私は大学卒業を控えた身で、卒業論文のために二人の作家(DonaldsonとC.L. Moore)にインタビューしたいとも思っていました。そこで私はテスター達に「もしも皆さんがゲーム製作にもっと協力してくれるなら、ルールセットを50部印刷し、一人1部づつ配布した後に残りをSFコンで販売しますよ」と提案しました。売れ行きが良ければ分け前を渡します、売れなければ残ったコピーを渡します、と条件を付けてね。彼らはすぐに同意してくれましたよ。そして次に、春季英語学の課題提出を名目に、私はDenvention IIについてのテーマ・ペーパー……”ゲーム・ルール”執筆を教授に提案したってわけです。

その夏の初め、私はコミュニティの新聞で働きながら、せっせと物語をルールブックに植字し、友人のブルース・アンダーソンの描いてくれたファンタジーアートを表紙に張り付ける作業に没頭しました(一部の人々は彼の貢献こそがThe Spawn of Fashanの最高の部分だと思っているらしいですが!)。Denvention IIには何人かの友人と一緒に向かいました。そこでインタビューの間に、17冊のルールブックを販売しました。自動販売機で休んでいる間にゲーム雑誌2誌にもコピーを渡しました。 1つは”The Space Gamer”で、次号で1週間にわたるレビューを掲載してくれました。彼らはゲームのコンセプトが気に入ってくれたようでしたが、私の文章と頻繁なタイプミスまたはルールのバリエーションについて細かく洗い出していました(詳細は後で説明します)。もう一誌は”The Dragon”、こちらは翌春にレビューを掲載してくれました。エイプリルフール問題と呼ばれる2ページで、The DragonはSoFを史上最低のRPG、史上最高のRPGパロディと呼んでいましたが。

それは明らかに、あらゆる種類のファンの無益な関心に拍車をかけました。なぜなら、私たちのゲームのルール・ブックは全米中のどの店でも見つけることが出来ないシロモノだったため、一部の愛好家達はThe Spawn of Fashanというゲームの実在を疑ってかかったからです。しかし、同時に一部のファンの好奇心も強くそそったようで、それを執拗に探し出そうとする人々も現れました。特に、実際にゲームが見たり遊んだりすることのできる大会でプレイされた際には、90年代も終わり頃になると、2人の熱心なファンが私の電話番号を追跡してまでやってきました。彼らはインターネットでThe Spawn of Fashanの名を検索し、決まってコピーを入手できるかどうか尋ねてきました。そういう一人一人の積み重ねにより、10年以上にわたって電子メールと郵便で再販を行ってきた結果、今ではほとんどすべての大陸のバイヤーにルール・ブックを販売できる体制が整ってしまったというわけです。

Donaldson  … 作家ステファン・ドナルドソン Tolkien   … 作家ジョン・ロナルド・ロウエル・トールキン
C.L. Moore  … 作家C・L・ムーア


・今回の再販計画はどのような経緯で始まったのでしょうか?
今回の再販計画は、The Spawn of Fashanのリメイクではなく、あくまでオリジナル版の再販であることに留意しておいてください。ゲームのリブート、または”ガントレット”と呼ばれるシンプルなゲーム・デザインの転用も検討してきましたが、今の私の主な焦点は、コミュニケーション作業と小説の執筆と販売、つまりキャッシュフローで生き残ることです!しかし、プリントオンデマンド技術の進歩に伴い、1998年以降The Spawn of Fashanの復刻も容易になりました。今回、目次と索引を追加し(これはThe Dragonのレビューで指摘されていた「このゲームに欠けているもの」のうち二つを取り込むため!)、電子書籍が機能するかどうかを確認したいと思っています。

・……日本からも買えますよね?
私はそう信じていますよ!計画がうまくいけば、Amazonでゲームを販売する予定です。そして、私のウェブサイトやeBayでも販売する必要がありますね。 実際、2000年代初頭には日本の愛好家にも何冊か販売しましたから。

・最初のSoFリリースとDenventionⅡの思い出を教えてください。
1981年の夏、私はコミュニティ新聞でアルバイトをする傍ら、同時にピザ屋でもアルバイトをしていました。そうして翌年のオクラホマ大学への支払いに十分なお金を稼ぎ、あの日々を過ごしたDenvention IIに行ったんです。新聞編集部は営業時間外に組版機とライトテーブルを使用することを許可してくれたので、毎晩ピザ屋で午前零時まで働いた足でオフィスへと向かい、ゲームの組版に取り組みました。物事が複雑になってしまった関係上、私はひとまず春季英語学の上級クラスのテーマ・ペーパーとしてゲーム・ルールを作り上げましたが、その夏にRPGとしてそれを販売するためには、未発表の小説から多くの要素を取り入れなければなりませんでした。つまり、ルールの大部分を書き直す必要があったんです。全ては私の頭。当時はデスクトップワードプロセッサも発売間もない頃でしたので、ゲーム・ルールはスペルチェッカーや校正を受けることがなく、肩越しに読む人さえいませんでした。それは、後のレビューで正当化された批判の多くにつながりました。

Denvention IIは爆発的でしたよ。当時のSF大会は、24時間上映の映画ルームから作家の朗読に講演、深夜や早朝まで行われるディスカッションや議論、歌唱、グループゲーム、衣装、お気に入りのシーンの再現、ばかげたスキット、ファンイベントなんかを中心に構築されました。そしてもちろん、その他あらゆる種類のろくでもないことにも。会議はデンバーのダウンタウンのいくつかの場所で開催され、ベンダーの部屋は市のコンベンションセンターのメインルームを占めていました。私たちのテーブルは、ルーカス・フィルムのディスプレイから通路を挟んで2か所隣にありました。そこでは”The Empire Strikes Back”や”Return of the Jedi”などで使用された実際のモデルを紹介していました。近くの映画館では、”Star Wars”と”Empire Strikes Back”が紹介されていて、2つの映画を制作したGary Kurtzと”Empire Strikes Back”を監督したRichard Marquandの紹介が行われました。Kurtzは”The Dark Crystal”のプレゼンテーションの一部としても参加していましたね。ホールの一端を埋め尽くす展示には、映画から実際のセットと人形も並べられていましたよ。

私自身のインタビューの他に(DonaldsonとC.L. Mooreはとてもフレンドリーで、私の衝動的な性格を許してくれました)私の最も素晴らしい経験の1つは、ゲーム開発の話に参加してSoFのプレイデモに立ち会ったことでした。緊張しながらですが、話を上手くこなすように言われました。残念なことに、後者はヒューゴー賞のプレゼンテーション中に行われたので、この体験を「楽しい」と言ってくれたプレイヤーはごくごく少数だったのですが。

Star Wars        … エピソード4/新たなる希望
The Empire Strikes Back … エピソード5/帝国の逆襲  Return of the Jedi     … エピソード6/ジェダイの帰還

・ゲームデザイナーとして、このゲームの長所と短所は何ですか?
The Spawn of Fashanはルールブックであり、パッケージを開ければすぐプレイできるような全てが揃ったゲームではありません。所有者は、独自のファンタジーの世界を作成するためのテンプレートとしてThe Spawn of Fashanを使用します、彼自身のルールのバリエーション、生き物、文化、バックストーリーなどを創り出すために。ほとんどの愛好家は、80年代初頭にはRPGにそのようなシステムを期待していました。この事実こそが、私がこれまでSoFを再起動することをあまり考えなかった理由の1つ。言い換えれば、弱点です。私はナレーターなしのベーシックなRPGの一種である”ガントレット”と呼ばれるタイトルを含め、かつて作成したいくつかのボードゲームを提供することを検討していました。それは実際The Spawn of Fashanの後半ページでほのめかされており、そこでは今後の製品展開について話しています。

そしてこれは、元のルールブックで気に入っている点の1つでもあります。行き当たりばったりに多くを製作していて、睡眠不足から次第に疲れてきたので、”Monty Python”志向のユーモアが湧き始めたんですよ。プロジェクトが終わるまでに、純粋に風刺として、過去に作成した別のゲームのプレイサンプルと説明文をリリース予定の「製品」のものとして載せてしまうことに決めたんです。(はい、The Spawn of Fashanの中に登場する”Bunga!Bunga!Bunga!”はワイルド・ファンタジー・ボードゲームの名前だったのです) まぁ、The Spawn of Fashanのコピーが完売でもしない限りは、それこそホットケーキみたいにバカ売れでもしてくれない限りは、これらの「製品」を販売する予定はありませんでしたが。それはおそらく幸運だったのだと思います。それらを裏付けるルールブックを製作することはそれほど難しくありませんでしたが、ボードゲームを製作するとなると、なかなか……。

・それでは逆に、貴方からファンに何か質問はありますか?
ファン!?私にファンがいたんですか!?それは……とてもクールなことですね! あー……誰かがこのゲームについてメールを送ってきてくれるとき(そう、それは未だに起こるんですよ)、私はいつも彼らにThe Spawn of Fashanについてどのように知ったのか、なぜ彼らがそれに興味があるのか尋ねるんです。それはそれは楽しい読書の時間になるんですよ。この遊びは未だ私の心をくすぐります。最近だと……、ちょうど貴方(インタビュアーである赤野)からお問い合わせをいただいた時、そのように感じましたね。まったくもってステキな一日をありがとう!

・最後に、ファンへのメッセージをお願いします!
いやぁ、本当に私にファンがいるなんて知らなかった!ファンを名乗る人がもし実在するのなら、私の公式サイト(www.kirbyleedavis.com)をご覧になっていただければ、人々は私、私の小説、私の歌、私の写真などについてもっと学ぶことがかもしれません。彼らはまた私のメールアドレスをそこから見つけてしまうかもしれませんね。熱心なファンは私のFacebookやYouTubeのページで「Kirby Lee Davis」をフォローすることもできます。現時点ではThe Spawn of Fashanとはほとんど関係がないページですが、人々が興味を示してくれるなら内容が変化する可能性もありますから……。

・最後にもう一つだけ……、他に新しいゲームの計画はありませんか?
まあ、もし私がパトロンを募るルートを選んだとしたら……ゲームの制作には非常に費用がかかる可能性がありますからね。それが実行された後、何人の人々が新しいゲームに興味を示したかが分かるようになるでしょう。

・それでは最後に……、本当にこれが最後なので。実際のところ、The Spawn of Fashanの評価について、現在あなたはどう思っていますか?
人々がそれを語るときはいつも驚かされるんです。史上最悪のRPGを作成することで世界中で知られることは私の人生の野望ではありませんでしたが……、私の兄弟はそれをとてもクールだと思っているみたいですよ。

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~以下、日本の熱心なSoFファンからコアなQ&Aをどうぞ~

・SoFのルールブックを読んだのですが、「このゲームは、多数のテーブルを提供することにより、ゲームのレフェリーを可能な限り自動化している。もしかするとこれが開発理念だったのでは?」という印象を受けました。……もしかして、そのような設計意図を念頭に置いていましたか?
おっと、これは複雑な質問ですね。テーブルの主な役割は、システムがどのように機能するかを説明することでした。これによりルールブックの所有者は独自の世界を設計するときに独自のテーブルシステムを作成できました。 100ページのルールブックの約半分は、このようなサンプル・テーブルに充てられています。これらのサンプル・テーブルは使えると言えば使えたのですが、肝心のルール・ブックの方がそれらを使用してゲーム・プレイするのに十分なものではありませんでした。さらには本の構成方法とタイプセットの関係で、それらのテーブルがゲームプレイの助けになったのと同じくらいには、また別の疑問を生み出す要因にもなったと聞いています。

・セクション8でのゲームプレイ例はかなりばかげています。これは実際に行われた記録ですか?そうでなければ、流石に架空の卓の出来事でしょう。実際にサイコロを振ってゲームの展開を決定しましたか?
お察しの通りそのゲームプレイ例は”なりすまし”でしたが、その一部は私が経験した一部のプレーヤーからの反応を反映したものですよ。

・セクション8の終わりにある「あなたの人生にはいくつのBoosboodlesがいますか?」というジョークの意味が分らないのですが……。
そのフレーズは、当時のテレビ・コマーシャルにあわせて、視聴者に似たような質問をするジョークだったんですよ。後にルールブックからその行を繰り返し読んでしまう人がいると聞きましたが、最も頻繁に繰り返されたSoFジョーク(少なくとも私の知りうる限り)では、「メルビンが現在立っている北」を指す方向インジケーターが付いたマップからのものでした。それは、初期のコミック志向の時代にメルビンという奇妙なキャラクターにしばしば言及した”MAD"への私の愛を反映しています。

MAD … ECコミックスが発行している風刺・コミック雑誌

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