見出し画像

[僕が漫画家になるまで] ハタチのころ① <専門に入るまで>

画像1

(2005年/落書き)

 定期購読マガジン、カガミツキログ第3回です。第3回は無料版です。

 有料版の方では商業仕事のネーム公開など、こういった形でコラムを書いていますので気になる方はそちらも宜しければゼヒ(早口宣伝)。


画像2

(2008年4月/落書き)

[何かになりたくて10年が経ちました]

 ちょうど10年前、20歳だった僕は専門学校に入学…、というかもうあの専門学校時代が10年前なのか、と思い立って20歳の頃の自分を振り返ってみようかなと思い、特に予定もなかったんですが色々書いてみることにしました。

 僕は3月21日が誕生日でして、今月で30歳ももう少しで終わっちゃいますし、その記念碑的な意味も込めて…。29歳が終わる時よりも精神的ダメージが低いから出来ることかもしれませんね。

 20歳からもっと遡るところ18歳の時、進学するか就職するかの道を選ぶ時に『何かになって何かを残したいという気持ちだけは強かった青年でした。本屋に行けば本が、CDショップに行けばCDがある。「自分が生きていた証みたいな存在を別の物として残す」ことにすごく憧れがありました。

 じゃあ具体的に何になりたいのかというと…

画像3

(2009年4月/落書き)

[何になりたかったのか]

 ①絵の職業(イラストレーター)
 ②ミュージシャン(ドラマー)

 この頃はミュージシャンの方が関心があったかもしれません。ロックバンドが大好きでライブに行ったり、フェスに行ったり、友人たちと遊び程度のコピーバンドをしてみたり…。その熱が一番あった時期だったので。

 絵の職業に関しては、2000年頃から家にパソコン・インターネット環境が整ったこともあり、2002年6月に自分のイラストサイトを立ち上げました。前から趣味で細々と落書きをしていたのでその延長線上って感じでした。ネット上では色々な凄腕のイラストレーターの方々の絵をずっと見てたので、そこを目指すのはかなりの根気が要るのは前から分かっていたことです。この時、まだ漫画家を視野には入れてません。漫画は大好きでしたが、描ける訳なんかないと思い込んでました。

 一度その旨を両親に話したら、家族会議みたいなのが始まって話し合いました。両親からは「趣味で楽しむの方がいいんじゃないか」と説得され、実際にプロになれるのかということに関しては僕自身も半信半疑なところもあったので「じゃあ就職する」と決断しました。

 高校卒業し、町工場な印刷会社に就職しましたが、これがあっさりと2年で退職します。

画像4

(2008年/落書き)

[辞めることで心が入れ替わった]

 就職してからは仕事を覚えることで必死で、1年間は我を忘れるくらいになってたんですが、ある程度覚えた頃にふと「このまま、この会社に骨を埋めてもいいのだろうか」という考えが思い浮かびます。

 原因の一つに、直属の上司(40歳くらいの)のボーナスの金額が僕と全然変わらなかった事。このまま20年働いてもボーナスが変わらないならここでずっと働く意味はあるのだろうか?

 なら辞めるしかない。辞めるなら早めのほうが絶対にいい。辞めた先は?やりたかったこと、やるべきじゃないか?

 その想いが爆発して、2年目に入る時に仕事を辞めることを決意し、その1年間は辞める為の準備期間にしました。

画像5

(2004年12月/落書き)

[辞めた先]

 両親にも話すと「そんなにやりたいならやればいい」と納得してくれて、イラスト系の専門学校に行くことにしました。ミュージシャンの方はどんどん気持ちが薄れたというか…、絵の方向なら複数(バンド)じゃなく一人で出来るし良いな!という気持ちになっていました(コミュ障)。

 夏頃には資料請求した後、気になる専門学校を3つピックアップして体験入学・説明会に足を運びました。

 そこで僕が一番惹かれた学校の学科が『キャラクターデザイン学科』という学科でした。


(続きます)

気に入ってくださりましたら何卒ご支援のほどよろしくお願いします。