見出し画像

空の歌姫 永遠に

暑い・・・暑すぎる!長かった雨ばかりの日々が一区切りついてやっとギラギラの太陽が顔を出した。隠れる前よりもずっと元気になって・・。

でも、この茹だる様な暑さも含めて、夏の始まりは個人的に何かが始まるワクワク感がいっぱい感じられて、1年を通しても1番好きなシーズンです。

ちなみに1番嫌いなシーズンは冬ではなく、夏の終わり。何かもうあの何とも言えない寂しさが苦手です💦

さて、note10日目【野生の魅力 雲雀との出会い】の続きになりますが、ざっとおさらいをしていきます。

①犬太郎は生き物好き→生き物に関する本も好きということから、『シートン動物記』、『ファーブル昆虫記』といった本は幼少期~少年期の犬太郎のバイブルだった。

②‟好き”から発展して自分も動物記や昆虫記もどきを書いてみたい!と思うようになる。→実際に小中学校時代にかなりの数を書いたようで、現在部屋の整理をする度にあちこちから出て来る。

③犬太郎は中学2年の春、ひょんなことから雲雀の巣を発見し、卵から巣立ち迄の期間を観察していくことになる。

というのが、大まかな流れでした。

今週はシートンに憧れた犬太郎少年が当時③の出来事を②の流れで綴った『犬太郎動物記』をご紹介します。

最初に申し上げておくこととして、先週のお話と違い、こちらは事実や実体験をベースにはしておりますが、シートンのようにガチな体験が乏しくそれっぽく書きたいがために部分部分で作り話も入っております。・・・が、シートン風に作った物語の中でも恐らく8割がた実体験が多いのもこの作品だったので、この作品を選んでみました。

作品の良し悪しというよりは、犬太郎のシートンへの憧れを感じ取って頂けるとと幸いです。では、しばし、物語の世界へどうぞ!


私はこの町が嫌いだ。見渡す限りの原っぱ、田んぼ、、、。コンビニもなければスーパーもない。大きな川に囲まれたこの町は辺境の地と呼んでも良いこの郡の中でもさらに1つだけ仲間外れのように孤立している。町内の中学校すら自転車で30分くらいかかる。もう辺境オブ辺境、キングオブ田舎だ!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ある5月の日曜日、私は親戚の勝也と買い物に出かけていた。買い物と言っても地元の駅から電車で30分くらいの駅からさらに歩いて20分くらいの地元では有名な大きな百貨店にである。母の日のプレゼントを買いに来たのだが、ド田舎の中学2年生にとってはもう旅である。

勝也は私と同じ年で近くに住んでいたので、従妹とか親戚というよりは友達という感覚で、この日もたまたま遊びに来ていたのだが、私の急な思い付きに付き合ってもらっていた。

電車に一人で乗ったこともなければ、二人でこんなに遠くの駅まで来たのももしかしたら初めてかもしれない。迷路のような店内を何とか攻略してお目当てのプレゼントを手に入れると、田舎にはないザ・都会の雰囲気にトキメキを隠せないまま、勝也と私は電車の中でもはしゃぎながら再びド田舎駅の地に降り立った。

そしてすぐにアスファルトが途切れ、ボコボコした草原を歩いていたその時、突然バサバサッ~~と足元から何かが飛び立った!

鳥だった!そして私はその鳥が雲雀であるとすぐに直感した。何故なら雲雀は私がこの町に来てからず~~~っと、ず~~~~っと追いかけ続けてきた鳥だから。何もない、何もすることがないこの町の中で、動物や鳥が好きな私は祖父に、この草原の真上の空で鳴いているのが雲雀だということ、そしてその雲雀の巣の見つけ方を教わってから、私にとっての唯一と言って良いくらいの楽しみになっていたからである。

だが、その楽しみを知ってから1年余り、巣を見つけることは出来なかった。野生の雲雀は慎重で、外敵から身を守る為、巣の近くでは飛ばないらしい。中学生の私VS野生の雲雀。雲雀の全勝である。

そんな用心深い雲雀がこんな近くに来るまで飛び立たないなんて珍しいなぁ~と思いつつ、もしかしたら巣が近くにあるのかもしれない!久し振りに探してみようかな、と一緒にいる勝也の存在を完全に忘れ、勝手にテンションがドンドン上がってきた私は、今から5~6時間は犠牲にする覚悟で最近は半ば諦めかけていた雲雀の巣探しを決意した。そして、今飛び立った場所を中心にまずはその周辺を探そうと、私の足元の雲雀が飛び出していった草むらを見た。そして、驚いた‼️

覆い繁った緑色の草の中に、色の違う茶色の草のようなもので編み込まれた巣、そしてその中にくっきりの見える真っ白い卵が4つ。あれだけ探しても探しても見つからなかったもの、長い間、探し求めていた物がそこにあったのだ。

雲雀の巣だったー。

もうテンションはマックスに達した私は、それでも冷静に『おじいちゃんを呼んできて!』と勝也に叫び、自分はその場に残った。

あれだけ苦労して、それでも結局見つからなかった私にとっての幻の鳥の巣が、完全な偶然で今目の前にある。それも卵4つのおまけ付きで・・・。しばらく待ったが、全然長く感じなかった。それほど充実した達成感と感動を私は感じていた。

どれくらい待ったであろうか?勝也に連れられて駆けつけたおじいちゃんの案で、でっかい石を巣の前に置き、目印にしてその場を去った。

次の日から私は学校へ行く前に早起きをして毎朝散歩を始めた。もちろん、雲雀の巣を見たいというのが理由だ。

とんでもないお宝を発見したかのような喜びは、やはり自分の胸にだけしまっておけるような年頃ではなく、近所の友達や年下の子供を集めては戦利品のように見せて自慢した。ただし、この頃になると小学校時代に非常にたくさんの鳥たちと暮らしてきた経験から、子育て中や卵持ちの親鳥がどれだけ神経質で繊細なのかはしっかり理解していた。飼っていたセキセイインコの巣箱を覗いたが為に、親鳥が卵を割ってしまったり、雛を巣箱から落として育児を辞めてしまったりした苦い経験があるからだ。だから、巣から少し離れたところからそ~っと見るようにした。そ~っと、でもず~っと。近所の友達や子供達もやはり珍しかったのか、巣の近くに行くときは常に何人か一緒についてきた。そして、はっきり見えるギリギリの位置までできるだけ離れて見ることがいつのまにか暗黙のルールになっていた。そして皆時間を忘れていつまでもむち夢中で観察した。

学校から帰ると常に誰かと見に行くことが多くなり、私が一人で落ち着いて雲雀の卵を観察できるのは朝の散歩の時だけだった。巣の前に置いた大きな大きな石(岩?)のそばまで来て巣を覗き込むと、そこから見える景色は2パターンあり、真っ白い卵が4つくっきり見えている時と、茶色の何かモフモフした物体に巣が覆い尽くされている時。そう、親鳥がいる時である。

『お、今日はいるのか。』『ワーク、今日もお疲れさま。』私は、この親鳥をワークと名付けた。毎日の長い観察の結果、この雲雀巣には父親はおらず、母親1羽で卵を必死に守っている。そしてほとんど巣におらず、これから産まれる子供達のために飛び回っている。そんな母鳥の姿に、ちょうどその頃中学校の英語の授業で習った単語work=[働く]がしっくりきたので、そう呼ぶようになったのだ。『ワークご苦労さん、ここからは僕が卵を見てるから、安心して行ってきな!』そういうと、ワークは卵は頼んだと言わんばかりに大空に飛び立っていくのである。

さて、私が雲雀の巣を発見して半月近く経つ頃、我が家のある新興住宅では雲雀の巣を見たいという人間が増えていた。友達の弟、妹とかその友達とか、もはや私と面識のない人を巣まで連れていくことも多くなっていたのである。そして雲雀の巣を通して仲良くなる・・・私はちょっと嬉しかった。時には大人もいた。この町に暮らしている大人であれば雲雀など、珍しくもないだろうし、巣だって見たこともあるかもしれない。しかし私が暮らしているのは、そんなザ・ド田舎の中に不自然に建てられた50~60軒くらいの新興住宅の集合である。将来的には700~800軒建ち並ぶ住宅街にしていくらしいが、当時はまだその第一期目である最初の50軒だった。当然皆、昔からこの町に住んでいる人達と違い何処かから引っ越して来た家族ばかり。私と同じように、以前の暮らしがここま以上に田舎だった家族の方が、やはり多かったのであろう。雲雀の巣や卵を見たよと、子供から聞いた父親が休みの日に一緒に同伴して見に来るなんてこともあった。

そこまで広がっていくと、私の親も興味を持ったのか、実はここまでまだ一度も巣を見ていない母親が、見てみたいと言い出した。

そしてこの日、いつも通り他の人がいない早朝の時間に母親を連れて巣のある草むらまでやって来た。あの白い卵を見て母親はどういう反応をするのだろう・・・私は少しワクワクしながら目印の巨大な石の前まで来てそ~っと覗き込んだ。

『ほら、あれだよ・・・・・ん?』何か変だ。真っ先に見える白い4つの物体がない。ワークもいない。『何もないじゃない。』卵を見つける用の目になっていた母親は、当然そう言う。しかしモフモフも白い物体もないその場所は、ただ巣があるだけの状態とは違う。確実に何かいるのだ。もう少しだけゆっくりと近づいてみる。何か小刻みに動いている。

『あっ!!産まれてる!!!』

雛の誕生だった。4羽すべて無事に産まれている。鳥の雛はセキセイインコで何度か見ているが、野生の鳥の巣を見たのも初めての私である。当然雛など、しかも産まれた直後など、初めてだ。セキセイインコの巣箱を勝手に開けて雛を見たことのある私と違い鳥の雛自体初めての母親は凄い瞬間に立ち会ったことは感じていたようだが、雛独特の羽毛のない肌色の状態が生々しかったらしく、あまり凝視は出来なかったらしい。

その後、巣に行くのが今まで以上に楽しくなった。形の変わらない卵の時と違い1日1日で大きく成長していく雛を見ていると、全く飽きないのだ。何時間でもその場所にいられる。ワークとも連携が取れてきて、仲良くなった気がしていた。

その朝もいつもの場所に行って、雛の成長を見ようと巣の前に立った。

『!?』

ワークがいる。珍しいな。いつも朝は最近いないのに・・。『ワーク、代わるよ。』そう言って目の前に来てもワークは動かない。

嫌な予感がした。その場に座り込んでそ~っとてを伸ばし、ワークに近づけた。動かない。とうとう手はワークに触れた。冷たい。

ワークは死んでいた。夫を持たず、たった1羽で卵を守り、4羽の子供をそだてるために働いて働いて、働き詰めだったワークの体は限界に達していたのだろう。ワークの身体の下では少し羽毛が生えはじめた4つの身体が身を寄せ合い、母親の下に隠れている。まるで死の直前まで子供たちを守ることを考えていたかのように、また結果的に実際子供たちを覆い隠すようにワークはその生涯を閉じた。

溢れ出る涙を拭き、巣から少し離れたところにワークのお墓を建てると、私は決意した。

あの4羽の親はもういない。

私が親にならなければ!!

それからは、虫やミミズを取ってきては巣に持っていき、子供たちに分け与えた。

産まれてからは、雛の成長は異常に感じるほど早く、やがて1羽1羽の身体がワークと変わらない位まで大きくなっていた。もう巣全体の大きさと変わらない。ちょっと動くと巣から身体が出てしまう。

人間の手から差し出される餌は、意外と問題なく4羽に受け入れられ、私が巣に行くとじ~っとして一声も発っさない4つの口が一斉に上に大きく空いた。

親と認めてもらえたようで嬉しかった。と、同時に身体の大きさから、私はお別れが近いことも感じはじめていた。そう、巣立ちの時期である。

その日は、茹だるような暑さだった。私自身暑さには強いのだが、人生で初めてその日熱中症っぽいものにかかり、学校から帰ったあとしばらくは、寝込んでいた。

・・・が、そんな時でも親代わりとしては4羽が気になる。こんな異常な暑さの中で彼等は無事だろうか・・・。居ても立ってもいられず、巣まで走った。目印の石の近くには、今日も雲雀を観察しに近所の子供達が二人立っていた。そして、その子供たちもこの暑さが心配で見に来たという。

『ねえ、どうしよう。この暑さじゃ雲雀、死んじゃうよ!!』泣き出しそうなチビッ子の発言が背中を押した。

私は初めて巣に触り、巣ごと草から引き抜いた。そしてチビッ子の自転車のかごに巣と4羽を乗せ、家まで連れ帰った。

少し涼むだけ。暑さが一区切りつくまでの応急処置だ。

いや、本当はそんなこと、ただの言い訳だったのかもしれない。確かに異常な暑さでつい数時間前に私自身も倒れかけている。しかし、野生の生き物の生きる力というのは、もっともっと強いものだ。この時の私もきっと心の何処かでは分かっていたのだと思う。だから無闇に人の手を加えるべきではないことも・・・。

分かっていて何故、あれほど守っていた距離感を破ってしまったのか?それでも暑さから守るべきだと思う心が強かったからというのも確かにある。しかし、今考えるとず~っとこの雲雀の一家を見続けてきた私だからこそ感じていたのかもしれない。

今日が最後の日になることを・・

理屈ではない。一ヶ月近く毎日毎日一緒にいて、私の学校以外のすべての時間と心を注ぎ込んだワーク一家。今日を逃すと二度と会えなくなる・・・もう語りかけることも触れることも出来なくなる、根拠はなかったが確信に近い何かを感じていた私はもう感情がコントロール出来なかったのだろう。そこに暑さの決定打があっただけで、きっと別れが耐えきれなくなったのだと今は思う。

家について涼しい場所に移動した私達はしばらく間近で雲雀の子供達と戯れた。

すると最後になるかもと今まで押さえていた気持ちが溢れて来た。今まで人間の臭いが付くと外敵に狙われたりワークが育児放棄をしたりの可能性もあるので、触れることは押さえていたが、1羽1羽たくさん触りながらコミュニケーションをとった。しかし、触れれば触れるほど雲雀との別れが耐えきれなくなった私は、『ねえ、家で飼えないかなぁ?』と涙混じりに懇願していた。

『雲雀はインコや文鳥と違い、この高い空を自由に飛び回って歌う鳥なんだ。お前はこの子達の美しい歌声を聞きたくないか?』

雲雀について色々教えてくれた、おじいちゃんが諭すように喋りだした。

その一言で、私の心もまとまった。私はまだワーク一家の歌声を聞いていない。歌声どころか声自体聞いたことがない。野生の鳥は外敵がいっぱいである。まだ飛べない雛達は無闇に居場所を知らせないように、あまり鳴かないのだと以前おじいちゃんは教えてくれた。

夕方、自転車のかごに4羽を乗せ元の場所に巣を戻すとき私はもう一度だけ雛を撫でた。もちろん4羽すべてを・・・。そして振り返り自転車を発進する時、

ピピィィィ~~~~!!!

4羽が口を揃えて1度だけ、でも確かな声で短く鳴いた。初めてである。

もう立派な大人だな!やはり巣立ちはもうすぐだろう。親心に満ちた想いで家路に着いた私は何故か気になってその30分後に再び巣に向かった。理由は分からない。まあ今までも1日に何度も行き来していたし、特に理由なんてなく、また顔が見たくなったからかもしれない。もう残された時間も少ないこともあるだろう。

巣に着いた時、4羽はすべて姿を消していた。まるで最初から存在していなかったかのように。引き抜かれた巣だけがそこに残りその寂しさと綺麗な夕陽があまりに物悲しすぎて私は大声で泣きまくった。もう中学生。分かってはいる。でも涙だ止まらなかった。

ワークの子達が無事に大空へ飛び立てたのか、直前でたくさん触れたことで人間の匂いが付き、猫や蛇などの外敵に襲われてしまったのか、実際は分からない。しかし、巣の側には争いがあったかのような鳥の羽毛は見当たらなかった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今振り返ると、私はこの町に来て良かったと思う。雲雀は自然の残っている綺麗な場所にしか生息しないと祖父は言っていた。その大自然と私は話せたのだ。

あの4羽との別れ際に聞いた最初で最後の鳴き声、あれは子供たちからのサヨナラの挨拶・・・自然の囁きだったと私は思うー。

                 (完)


以上が物語の方で実はこれは中学校3年の学校の作文か何かにも少し短くして提出したもので、これを選んだ理由は物語だけど90%くらい事実を元に書いたものだからです。

雲雀の巣発見から卵の孵化、観察、犬太郎の感情、当時の情景、そして一番大事な別れ際のエピソード。全部実話です。

では、何が嘘・・というか物語の為の脚色かというと、ワークの死は作りです。そしてその後の犬太郎が餌を与える行為は事実ですが、実際食べたかどうかは謎です。ちなみにワークは最初に巣を発見した時に飛び立って行ってから姿を見たことは1度もありません・・・💦まあ、無事に雛が大人になったのだから、邪魔な人間がいなくなった後、ちゃんと巣に戻ってしっかり育てていたはずですよ、きっと。

あれから20年以上時が過ぎ、この町は日本の中ではまだまだ田舎ですが、コンビニも何軒か建ち、犬太郎の住んでいる住宅街も当初の予定通りおそらく800軒くらいは建っていると思われる。便利にはなったが、あのワーク一家の巣があった場所は、その住宅に変わっていて、あのただっ広い草原は大分小さくなってしまった。

それでも、まだかろうじて残る草原の真上を見上げてみる。快晴の大空で今日も雲雀の美しい歌声が聴こえてくる・・・。

   《11日目終了 12日目は新生物登場》








大好きな犬はもちろん、動物全般、、、いや鳥・魚・昆虫・植物に至るまで生き物に関することをいろんな角度から私、犬太郎の想いをただただ好きに語っていく日記です。