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俺の・私の野球史-吉田吏岐

学生コーチを務めております吉田吏岐です。
平素より、幣部の活動に多大なるご尽力を賜り厚く御礼申し上げます。

タイトルが「俺の野球史」ということで、今までの野球人生を振り返りながら拙い文章ではございますが、思いを綴らせていただきます。

私は小学2年生の頃、親父に連れられて地域のソフトボールチームに入ったのが私の始まりでした。私がチームに入った時、チームメイトは10人。気づいた時には背番号4を渡され、ルールも知らない中試合に出場していました。倉敷市内でも最下位を争うチームであり、外野にボールが飛べばホームラン、フライをキャッチしたら優勝をしたかのような盛り上がり、そんなチームで5年間ソフトボールを続けていました。

小学校卒業後は地元の中学校に入学。チームメイトが10人程度のチームでプレーしていた小学生の頃から一変し、中学では部員60人を超える野球部に入部、私の野球人生がスタートします。
倉敷でも治安の悪い中学校であり、ガラスが割れるのは当たり前、タバコの吸い殻が落ちているのも当たり前、黒色のシャツを着ていただけで先輩に胸倉をつかまれるそんな中で3年間野球を続けてきました。あの当時同期と共にヤンチャばかりしていたあの生活は今でも忘れません。
野球部vsサッカー部でグランドの取り合いをしたこと、サッカー部のサッカーボールを頻繁に隠してサッカー部を部活停止にしたこと、怖いバスケ部の顧問をキレさせて監督が謝る姿を見て爆笑していたこと、本当に中学の頃は野球部の同期とヤンチャばかりしていました。引退後は高校受験に向けて勉学に励む生活がスタートします。

高校入学後は迷わず野球部に入部し、夏の大会7年連続初戦敗退のチームで高校野球がスタートします。自分が入部する1年前に県内でも有名な指導者が監督として就任し、私はその指導者のもとで野球がしたいと思い受験勉強に励んでいました。
入部当初はメンバーに入れず中途半端に野球と勉強に取り組んでいました。しかし、3年生が引退後、仲のいい先輩の影響もあり、本気で野球に打ち込むようになり、高校2年の夏に7年ぶりに夏の大会1勝を掴むことが出来ました。
弱小校であるがゆえに、試合に行けば舐められ、馬鹿にされるそんなチームでプレーしていました。最高学年になってからは、「顔が怖いからとりあえず主将に怖そうなやつ置いとけば舐められないだろ」そんな理由で主将を務めることになりました。
先輩が引退してからは2学年合わせて10人、小学校のソフトボールチームに戻った感覚でした。10人では練習メニューも限られ、試合に行っても補欠は1人、そんな中で野球に没頭していました。しかし、この厳しい環境で野球に打ち込んできたことは、練習メニューを決めるミーティングや、コーチとして日々練習に励む中で非常に生かされていると感じています。
最後の夏の大会は2回戦敗退したものの、自身が主将として経験したことは現在も非常に役立っていると感じています。

このブログを書くとなるとメインは準硬式野球部の話になると思います。この話に辿り着くまでに非常に長く拙い文章を綴らせていただきましたが、もう少し辛抱して最後まで読んでいただけると幸いです。

1年生の頃はコロナ禍によりほとんど活動ができず、日々自宅で過ごす毎日でした。自分自身高校で主将を務めたことをきっかけに組織を主体的に動かすことにやりがいを感じ、大学では今まで以上に大きな組織を統括していきたいという思いがありました。
1年生の冬に連盟役員を決める投票で自分を含めて5人(早川、立岩、小野、澤田京)候補として上がり、この5人で「決め方おかしすぎるやろ!」と愚痴を言い合ったあの日を懐かしく感じます(確か小野君が一番愚痴ってました)。
正直、体育会学生本部に所属しながら連盟委員長を務めるのは自分自身非常に覚悟のいる選択でした。しかし、連盟委員長として大会の運営、渉外、広報など様々な業務をこなす過程では、多くの困難に直面したものの、自己成長するという点では非常に良い経験ができたと感じております。後任としては山下剛が連盟副委員長に就任しますが、彼なら私以上によりよい関六を創り上げてくれると期待しております。




私は1年生から2年生の秋まで選手としてプレーしていましたが、大学2年生の秋に選手とは違う形でチームに貢献したいと思い学生コーチに転向しました。
2年生の秋にコーチに転向してからは1学年上の先輩にいろいろと口出しし、迷惑をかけることも多々あったとは思いますが、その中でも最後まで声をかけてくださる先輩方の姿は非常に感慨深いものがありました。
先輩方が引退されてからはチーム小森としてスタートし多くの困難に直面しながらも、非常に雰囲気の良いチームで日々活動できていると感じています。秋季リーグ戦優勝という経験をし、自分の代で優勝を経験できたというのは長い野球人生でも初めての経験でした。自分自身選手起用やメンバー選考に加えて合宿等の運営にも携わる中で、学生間での衝突も多々ありましたが、同期と共に運営してきたメンバーにはとても感謝しています。

【主務の古賀、副務の島田へ】
二人の仕事に取り組む姿勢には多々ボロカスに言ったとは思うけど、引退までもう少し耐えてください。遠征や合宿などの業務に徹してくれたことには本当に感謝しています。二人ともまだ髪の毛はあると思うので大丈夫だと思っています。髪の毛がM本君ぐらいまでになるともう少し優しくします。



ここから本当に最後の戦いが始まります。春季リーグ戦優勝、関西制覇、全日出場に向けて険しい道のりが続くとは思いますが、「One direction~頂へ~」のチームスローガンのもとチーム小森として、戦うことは勿論、過去の先輩方の想いも背負って結果で恩返しすることが自分たちに与えられた使命だと思っております。
日々練習を共にしてきた仲間と共にまずは春季リーグ戦2連覇、秋春連覇を達成できるように残り数日活動に励んでまいります。



結びにはなりますが、関係者の皆様方には今後とも幣部へのご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。


吉田 吏岐(よしだ りき) / 商学部・倉敷天城

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