ぼくの目標の立て方

先日、武石さん主催「正義について語る会 」(仮)がありまして、そのなかで様々な人の人生においての選択の話が出たわけです。

今回は、そのなかで出たぼくの人生における選択のお話を書いていきたいと思います。

キャリアにおける選択

ぼくの人生は常に割り切り舵をきるの連続でした。

小学生:俺にクラブチームでサッカーは無理、受験し自分がスタメンで出れそうな学校を受けよう

高校生:俺にプロのサッカーコーチは無理、高校の顧問になろう

大学1年:俺に部活は無理、強いサークルに入ろう

大学3年:俺にFトップレベルのコーチになって、フットサル界を変えるのは無理、就職しよう

こんな感じで、よく言えば現実的な選択、悪くいえば逃げてきた人生でした。先のZoom会では、

例えばマラソン大会で一緒に走ってる友達がぶっちぎって走り始めたら、早々に諦めて自分なりに頑張るタイプ

という表現でやや半ば自虐的に表現しました笑、ちなみにこの自分なりに頑張るというのは、例えば

あの2本目の電柱まで頑張ろ…というようなちょっと頑張れば届きそうな短期的目標に向かってがんばるレベルのものです。そしてその短期的な目標を達成すると、じゃあ次はあの曲がり角まで…というように更新されていくわけです。

はい、これ、一見すると「頑張り続けてて偉いじゃん!」と思えるかもしれませんが半分惰性です。マラソンと一緒でなんか知らんけど脚が動いてる…みたいなもんです。そのような状況では当然トップにはなれません。ということで僕は残念ながら今までの人生を半分惰性で、エリートコースを1度も走ることなく生きてきたのです

そんな私も、自分でいうのもアレですが大学生ながらFリーグのトップチームコーチという立場にまで来ました。ありがたいことに周りの方からは若いのにすごいね!と言われることも多くあります。自分の能力のなさに割り切りをしまくった人生ですが初めて誇れるかなと思ったことが出てきたのです。(一応補足すると、自分のことを凄いとは全く思っていません。いつも上には上がいることを痛感させられ、悲しくなります。やはりFの世界に限らずどこに行っても絶対にこの人には敵わない…という人がいて、Fのなかでも自分が底辺であることをいつも自覚させられます。)

なぜぼくはここまで来られたのか?

先程、わたしは「半分惰性で、エリートコースを走ることなく生きてきた」と表現し、自分のことを下げまくりました。しかしたったひとつ僕が自信もって言えるのは惰性ではあっても自分が頑張ればギリギリなんとかなるレベルのことを自分で選択して、やってきたということです。これが僕の人生のなかで最も重要なことであり、これこそが僕がここまでたどり着けた理由だと思っています。

僕は、上には上がいることを痛感させられながらも自分がちょっと頑張れば何とかなることを決断するということだけはやってきました。

僕の人生でいえば、中学では偏差値45からちょっと頑張って60ちょいの学校に入ったことや大学受験で偏差値55から62.5の早稲田目指して頑張ったこと。他に背伸びだけれどもアスピランチにチャレンジしたことがそれに当たります。

たしかにエリートでも決意を持った固く素晴らしい人間でもないですが、ほんの少し頑張るというのを繰り返すことでいつのまにか自分に出来ることが増え、それに伴い選択肢が増え、いつのまにかFの舞台にたつことになっていました。

さて、まとまりもなくここまで進んでしまいましたが最後このご時世、進路やこの先どうするかと迷っている人にぜひ伝えたいことを伝えて終わりたいと思います。

迷ったら困難なほうでも優しい方でもなく、すこーーーし頑張れば自分が届きそうな方を選べ。そうすれば知らないうちに世界は広がるよ

自分に自信がなく、折れそうな人に届けば嬉しいです。

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