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67 全力でやらないという美徳

こんにちは。
眠り子です。
少し久しぶりのnoteです。
卒業論文の執筆が無事に終わったので、ようやく少し時間ができました。

この前もある方に、「最近note書いてますか?」と訊かれたので、「書いてないです」と答えたら、「何でですかー!」と言われてしまいました。

「卒業研究が忙しかったので」
「お疲れさまでした!!」

その後、そんなやりとりをしたのですが、そうなんですよね。1月は思ったより忙しかったです。そんな中でも、アルバイトは2つ掛け持ちしており、一方で研究もしっかり進め、我ながらよくやったなぁという感じです(自画自賛)。

さて、そんな感じだったので、私が抱えていたタスクすべてを100%全力でやろうとすると、私のキャパが足りなかったんですよね。そんなとき、こんな言葉をかけてくれた人がいました。

「これだけは大事にするっていうのを一つ選んで、それ以外のところでは手を抜くことも覚えた方がいいよ」

何故そんなことを言っているのかは分かったのですが、どうにも受け入れがたい感じがしていました。

だって、

今まではすべての物事に対して、自分が出せる最大限のエネルギーでもって取り組み、その時の自分の中で最高の出来のものを作っていたから。

だって、

学校では、一生懸命やること、全力でやることが美徳とされていたから。

やろうと思えばまだできるのに、ほどほどのところで終わらせるなんて、考えたこともありませんでした。手抜きなんて許されない。そう思っていました。

******

そんなとき、こんな話をしてくれた人がいました。

あるレストランでのお話。
そこでは従業員に、全力の70%で仕事をするように言っていたと言います。
出しているのが全力の70%なのだから、まだまだ仕事の質を上げることはできます。
しかし、100%のパフォーマンスは短期的に発揮することはできても、いつか必ずパフォーマンスが落ちる時がきます。

例えば、料理の盛り付けが今までより簡素なものになるかもしれない。
その時に、お客さんは何を思うでしょうか。
生まれるのは、不満、落胆、失望などかもしれません。
それに、既に今100%のパフォーマンスで物事をこなしているのに、ここに更に追加でやらなければならないことが入ってきたらどうなるでしょうか。


一方、初めから70%のパフォーマンスで物事に取り組み、常に余裕を持ちながら仕事をしているとどうでしょう。
ガス欠になることはなく、クオリティを維持することができます。
また、少し余裕が出てきて、同じことを60%のパフォーマンスでも達成できるようになったとき、また少しだけやることを増やし、70%にしたとしましょう。

お客さんの側から見れば、更に質が良くなったと捉えることができます。
また、普段から70%のパフォーマンスで物事に取り組んでいれば、新しくやることが増えても、多少であれば対処できるでしょう。
どちらがいいかは、明白です。

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仮に100%でできることでも、それを長くやっていくのであれば、70%くらいのパフォーマンスにしておいた方が、自分も苦しくないし、相手からの評価もいい。
常に一定以上の質を提供し続けるというのは、現時点での質に満足してくださっている方に対して、重要なことだと思います
相手側も別に望んでいなかったほどのクオリティを出して、どこかで落ちてしまうくらいなら、安定して供給し続けられるようでありたい。
これからも、大切なことを大切にするままでいるために、余裕をもって継続することの大切さを知りました。

お読みいただきありがとうございました。
素敵な一日になりますように。

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