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<転載>雲仙ゴルフ場訪問記①

遅めのお正月休みを頂いて、以前よりずっと行きたかった長崎県の雲仙ゴルフ場へ行ってまいりました。

ここで感じてきたことを超私的にレポートしようと思います。

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雲仙ゴルフ場が開場したのは、大正2(1913)年。

今から102年前のことで、現存する日本のゴルフ場では、神戸ゴルフ倶楽部に次ぐ二番目に古い歴史を持つゴルフ場です。

雲仙といえば普賢岳という活火山があり、1991年の噴火と火砕流による被害も、私は小学生ながら記憶に残っています。

その火山につきものなのは温泉です。

雲仙の温泉街も江戸時代には開発が始まりました。


この温泉街およびゴルフ場は標高700m~750mほどの山の中腹にあります。

やはり平地よりは気温も低くなりますので、夏の間は避暑地として特に賑わいます。

雲仙は外国との窓口でもある長崎に近いということもあり、上海や香港に住むイギリス人も多く訪れました。

この外国人を呼び込み、観光地として繁栄させ、外貨を獲得する目的で、日本国内初の県営の雲仙公園が開設されました。


するとこの公園内にある牛馬の放牧地で、イギリス人たちがなにやら木の棒のようなもので球を打つ遊びをしていました。

それが何かと訊ねてみれば、「ゴルフ」という球技で、日本には神戸、芦屋、根岸の3か所にのみ競技場が存在し、外国人が親しんでいるスポーツだとのことでした。

ここに長崎県も目をつけ、より観光地としての魅力を高めるために、グラバー邸の子息の倉場富三郎が中心になり、9ホールのゴルフ場が日本初の公営コースとして誕生しました。


開場当初は外国人ばかりの利用でしたが、徐々に日本人の利用も増え、ゴルフを通した外国人との交流が始まりました。

雲仙ゴルフ場のある土地は、もともと寄合の地主の所有する土地でしたが、長崎県に99か年無償で貸し出しされました。

そしてその契約が切れた2011年に、雲仙ゴルフ場株式会社に経営は移りましたが、セミパブリックとして誰でも気軽にプレーすることのゴルフ場として存続しています。


東京(羽田)から長崎空港まではおよそ1時間40分、空港でレンタカーを借りて、雲仙ゴルフ場までは1時間20分ほどの道のりでした。

長崎県という土地は平地がほとんどなく、海から急に山に登っていきます。

雲仙ゴルフ場もおよそ標高750mの土地ですが、途中からかなりの峠道を登り、温泉街を抜けた先にあります。

避暑地として栄えているということもあり、平地より気温は5度ほど下がりました。

真冬に避暑地を訪れるという、ちょっとずれた旅行でしたが、風が吹くと確実に体感温度は氷点下まで下がります。

今度は夏に訪れてみたいと思います。


そんな山の中腹に、大正時代に作られたゴルフ場ですから、ほとんど機械を使わずに造成されています。

フェアウェイはよく言えば細かなアンジュレーション、悪く言えばボコボコです。

しかも火山なので、下は粘土質でもっちりしています。

今時の管理の行き届いた芝付きのゴルフ場と違い、まるで畑でゴルフをしているかのような、昔ながらのゴルフの本質を感じ取ることができました。


そもそもゴルフというのは自然との戦いです。

火山というのは温泉という恵みをもたらせてくれます。

その一方で噴火や火砕流のような災害にも襲われます。

しかしそれは人間に対し癒してやろうとか、危害を加えてやろうとか、誰かの意思が存在するわけではありません。

そこにただ自然があるだけです。

そんな大自然に対し、ちっぽけな人間が技やテクニックを駆使して戦いを挑む。

これがゴルフの面白さではないでしょうか。


この後、パサージュ琴海という、平成になって開場した美しいコースもラウンドしてきましたが、まるで人工的に作られた見せかけの自然のようにも感じました。

ありのままの自然の姿のゴルフ、整備され管理の行き届いた戦略的なゴルフ。

どちらが良い悪いではなく、どちらも楽しむべきゴルフの形だと思います。

コースの概況はここまでとして、次回は各ホールについて解説していこうと思います。


<2015/1/23の記事を加筆・修正したものです>

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ゴルフギアに携わる仕事をしていますが、ゴルフの面白さ探しを趣味にしています。どうして多くの人がゴルフにはまっていくのでしょうか。それを研究しています。