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《散文》脱皮

7月の終わりの日、出がけに蝉のぬけがらを見つけた。今住んでいるアパートの植え込みの前。

蝉のぬけがらは、わたしにとって好ましい。好き、というよりは興味ぶかいという方向に。

ぬけがらには命はない。
命は脱け出ててしまっている。
ただの殻。
命である当の本人にとってはもう、なんの役にも立たないもの。まったく別のもの。

ーわたしが蝉ならば、脱皮の前はどんなにか怖く、心細い気持ちになるだろうか。

(ここからは想像、空想、妄想)
長い間土の中で眠り、時がくれば地上へ這い出て木に登る。
そのタイミングに、蝉は、わたしは異変を感じとるはずなのだ。
なにかおかしい。外側が、おかしい。
最初は環境がおかしいと思うだろう。周りが変わった、しかしもぞもぞと蠢く内にいや、違う、これは、と気づく。これは自分の「外側」だ。
なにか自分の周りに膜が張られたような感覚。自分と外界の距離が遠い、そしてどんどん遠くなっていく。でも確かにこの体で土を踏んでいる。変だ。こわい。
不快感と恐怖で強ばるのに、体は勝手に土から出て、適当な木の適当な高さめがけて足を動かす。土から逃げるように。あまり涼しくもない夜。
さらに膜は硬くなっていく。まるで世界との間に壁ができたよう。温度も音も風も香りもなにもかもが薄れていく。
体の動きが止まる。

ここでしぬんだな。あー、あー。

痛みもない。ただ感触だけが残って、膜の硬さが窮屈だ。

ふつっ
とそこで全てが途切れる。
外から眺めていれば、時間をかけゆっくりと背中が割れ、青白い新しい生き物がにゅるんと出てくるのだろう。
でもきっと、それはなにもかも忘れた別の個体だ。
己が土の中に眠っていたことすら知らない別の生き物なのだ。
命をひとつにしながら、生まれ変わる生き物。

ジーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

わたしが本当に蝉なら、あんなに安定したテンポでは鳴かない、きっと、とんでもなくへたくそだ。
いや、生まれ変わるならもしかしたら。

ぬけがらを見つけたその日、帰宅時にアパートの横を通ったとき、一匹の蝉が植え込みからジジジッと鳴いて飛び出して、そしてどこか高いところへ羽ばたいて行った。
あのぬけがらの主かもしれなかった、でももうあの蝉には関係のないことだ。

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