RRRで、よく突っ込まれてるビームのとあるセリフについての個人的な解釈。

2023/5/11にふせったーに書いた考察です。
※個人の考察なので勝手な幻想見てんな~このオタクぐらいでとらえて貰えると幸いです。

RRRで、よく突っ込まれてるビームの「俺に非はない」についての個人的な解釈なんですけど。

私も最初思ったんですよ。
「俺に非はない」
いやいやいや!!!!!!!(邸宅にトラックで突撃&放火&野獣を解き放つ)いやいやいやいやいや!!!!!!!!!!
って。

これ多分「兄貴に責められるようなことはしていない」という意味の非はない、だと思うんですよね。
ここでのビームの悲しみや涙って、終始ラーマと分かり合えないことによるものなんじゃないかと感じてて。
「兄貴が(英国側の)警察だなんて信じたくない」
「兄貴は俺達(インド人の)仲間だ」
「(俺はあなたを信じてるしあなたが望んでそんなことを言ってると思えないから)そんなことを言う姿でさえ辛い」
「(俺達は親友だ!分かり合えるはずだ!だから)俺の目を見ろ!」
こういう思いなんだろうなぁ、という。
ビームはマッリ奪還のため襲撃する前に「英国人に請うことはない」というようなことを言ってるので、英国側に罪に問われようが犯罪者扱いされようが知ったこっちゃねぇという風には思ってたんですよ。
でもラーマ相手にはそうじゃないわけで。
何なら、彼を看病して、正直に自分の正体を明かして、隠していたのは危険にさらしたくなかったからで。
「兄貴との日々は俺の宝だ。例え死んでもそれは高潔な死だ」
これはやっぱり、ラーマと出会ったことがビームの人生の中で本当に大いなる喜びで。
あなたと出会ったから、この人生に満足していて、だから、あなたとの日々は自分の心の支えになって、勇気になって使命のために戦える。
大好きなあなたに出会えて、もうこの人生に悔いはない。死んでもそれを誇れる。
ってことなのかなと。
こう考えると、故郷にシータを置いて使命の為に警察官になるラーマと、病床のラーマを置いて使命の為にマッリの元へ行くビームって対っぽいですね。え、兄貴は……ヒロインだった……?(いや、まぁ、囚われの身だったし……お姫様だっこされてたしな……まつ毛の長さもヒロイン級だし……)

まぁ、なので。
「(俺の親友で、同じインド人で、何よりも俺の人生の宝であるあなたに責められるようなことはしていない。だから)俺に非はない」
なのかな、と。
タラクさんが実際に話してる口の動きの数と合わせると、こういうセリフになるんだろうな、と。

これは余談なんですけど、兄貴に契り紐で捕らえられて、二回ほど殴って。
そのあとのビームのうわああああ~~~~~~~!!!!!!!って慟哭がね。本当にぐしゃぐしゃに泣く子供のようで。
なんで!!どうして!!わかってくれないんだ!!!!!!!っていうラーマへの訴えというか……。
そこで流れる血が涙になるラーマ……どんなに今心が引き裂かれるように辛いか、というのを血の涙が語るという……。
創造神……うますぎるんだ……映画が……。

対のシーンといえば、
ビームの「兄貴との日々は俺の宝だ。例え死んでもそれは高潔な死だ」対になるラーマの言葉は、
ヴェンカテスワルルおじさん「命を落とすかもしれないぞ」ラーマ「望むところだ」(細かいところは違うと思うけど意訳ぐらいで許して)じゃないですか。
私は勝手にKomuramBheemdoはかつて過去に置き去りなったラーマという少年へ、地母女神の子ビームが優しい抱擁をする歌だと思ってるので(もちろんビームや民衆を鼓舞するものというのが大元として)。
ビームは何も知らないけれど。
あの歌が私には
「あなたは母なるインドで生まれた愛しい子。あなたはこの森で生まれた大事な子。ずっと辛かったね。苦しかったね。大丈夫。インドはここにある。森はここにある。誰も犯せない。何ものにも屈しない。だからもう泣くのはやめて。自分が自分であるために、心に逆らわずに、どうか生きて。どうか、笑っていて」
そういう、すごく普遍的で無垢な愛の歌なような気がして。
だからこそ、ビームにとっては自身を鼓舞する歌になるし、民衆たちにとって立ち上がる歌になるし、ラーマにとっては慰めと抱擁と苦しみからの解放の歌になるし……と思ってるんですよね……。
そういう、一生懸命に生きる姿で人の心を動かす力がビームにはあると私は思うんです。
KomuramBheemdoは、誰もが持っている自分の生への肯定の歌だから、力強くて、美しくて、優しい。
だから私この歌が本当に大好きなんです。

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