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笑顔の強制

攻撃的ポジティブ
一見矛盾しているように見えるフレーズだが、意外とこういう人はたくさんいるものだ。ネガティブな人や事象に対して過剰に反応し、ポジティブでいる、またはポジティブに見せるためには、他者への攻撃的態度も許している。少し扱いづらいかもしれない、そんな人たちに溢れた土地が世界には存在している。

ベリーズの離島

中米ベリーズに知る人ぞ知る離島がある。その島は地理的には中米に位置しているものの、文化的にはカリブ海文化に近く他の中米諸国と違って黒人が占める割合が高い。ちなみにこの島の男の人たちは、私が旅した国の中で一二を争う色気を纏っている。ここの島民と関係を持つことを目的に旅行に来ている女性が相当数いるはずだ。ブラックとヒスパニックとマヤ系先住民の混血の妖艶さが観光資源になるとは、17世紀のコンキスタドールたちは思いもしなかっただろう。彼らは典型的なカリブの男といった雰囲気で、揃いも揃ってプレイボーイだ。そこが彼らの魅力なのだろう。

魅力的な男性に加えてその島の特徴と言えば、カラフルな建物、ダイビングが盛んな美しい海、国民食のフライジャック、リラックスした雰囲気、そして陽気さだ。カリブ諸国に典型的なその陽気さは、真面目なで勤労な東洋の国から来た者にとっては、少し度が過ぎている。彼らは陽気でいることに「固執」していて、この性質を持ち合わせていない、または一時的にそうすることができない人を容赦無く批判してくる。

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過激な陽気さ

この島の人たちは、他人が笑っていないと怒ってくる。この上ない矛盾だ。ただ怒るだけでなく、まるでそれが罪かのように扱い、この島にはそんな陰気な奴はいらないと追放しようとしてくる。人のことをとやかくいう前に今自分自身の顔を鏡で見てみろよ、と言いたくなる。そうやって道の反対側から大声で叱られるまでは全てがうまく行っていたし、きっとそのポジティブな雰囲気を壊しているのは、皮肉にもポジティブを強制しているあなただよ、と誰か代弁してくれる人がいてほしい。しかもこの「笑っていない」には真顔も含まれている。彼らにとって真顔は怒っている顔なのだ。これは多人種に比べ顔のパーツが小ぶりで表情筋が弱く、無表情と捉えられがちな東洋人にとってはなかなかハードな基準だ。そのため私は彼らの恰好の的であり、一日に何回も知らないおじさんに叱られた。どこの国でも他人に文句を付けてくるのは、暇なおじさんである。

私だってできることなら毎日笑顔でいたいけれども、しつこく笑顔でいろと強制されると頭にくるものだ。しかも自分は100%幸せでいるのに、たまたま笑っていない一瞬を抜き取られて「お前は笑っていないからこの島に似つかない」と言われると、その不条理さにより一層怒りが込み上げてくる。その怒りは単に他人に叱られているからではない。その叱ってくる人が矛盾している上に、彼らのアドバイスは理にかなっていないからだ。笑顔でポジティブにいることはいいことだ。科学的にも健康に良いと証明されている。しかし、ポジティブでいることばかりに固執して、ネガティブな側面を無視し偽の笑顔を作ることはなんの問題の解決にもならず、それでは人として前進することはできない。文化的には、きっとそれが彼らの素性には合うのだろう。しかし、みんながみんなその方法で幸せになれる訳ではない。私のような、前に進むには一度立ち止まってポジティブな面にもネガティブな面にも両方向き合い、人生を熟考するタイプの人は、こうやって「表面的な」ポジティブさを強制されると余計鬱になってしまうのだ。

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ポジティブ思考とは

私は物事を深く考えがちなタイプの人間なので誤解を招くこともあるが、非常にポジティブ思考が得意だ。それは、リスクを過小評価し楽天的に考えているという意味ではない。どんな状況においても、正確にその状況を判断し、そこから得られるものを探すのが得意だという意味だ。無職で貯金が1万円を切った時も、船が目的地とは全く違う知らない場所に着いた時も、電車の中でアルジェリア人家族のギャングに囲まれた時も、もう一生起こり得ないだろうその状況をどれだけ楽しみながら切り抜けられるかに心が高揚していた。

私が好きな言葉の一つに "When life gives you lemons, make lemonade"(人生がレモンを与えた時は、レモネードを作れ)という諺がある。ここでいうレモンとは、酸っぱいものつまり好ましくないことの例えで、レモネードは美味しいもつまり何か良いことの比喩だ。人生で何か好ましくない出来事があった時は、それを利用して事態を好転させよという教訓である。私はいつもみんながレモネードを作るのならば、それはそれでつまらないので "When life gives you lemons, go look for mint and rum and make mojito!" (人生がレモンを与えた時は、ミントとラムを探しに行ってモヒートを作れ!)と思っている。人生に試練が与えられた時は、そこで止まっていても何も解決しない。自分でミントとラムを見つけにいくことで、他の人とは違った美味しい結果を得ることができる。

私は常にこの考えを実践しているので、ネガティブな人間だと言われると、自分自身の核となる考えを否定されているようでいたたまれない気持ちになる。だけれどもきっとベリーズの人たちはそこまで深く考えていないだろう。彼らは「笑っていない=悪」の概念が深く刷り込まれているので、その笑顔でない顔の裏側にあるポジティブさは見抜けないのだろう。深く考えていないからこそ、笑っていないと叱る行為に矛盾が見出せないのだ。この深く考えないという性質は、ベリーズなのかカリブなのかは分からないが、彼らの文化に深く根付いているもので、この笑顔の件以外にも彼らの行動に矛盾は多数見られる。例えば、彼らはせっかちな人も笑っていない人と同じくらいに嫌い、少しでも駆け足で進むと、その駆け足の私を自転車で追い越しながら、走ることでいかに私が島の雰囲気を壊しているかの説教をしてくる。自転車はいいのに駆け足はダメなのか。また女性に対しても浮気をしておきながら、それが原因で振られると感情を顕にして悲しんでいる。その結末は見えていなかったのか。彼らは深く考えないことで、あの底抜けに明るい文化を維持しているのだろう。

彼らはきっと私がポジティブ思考な人間だとは、一生かけて説明しても理解できないだろう。それはそれで別に構わないし、私もあのカリブの楽天的な文化のファンだ。そして彼らは私に、もしかしたら私も誰かに対して自分の幸せの基準を押し付けている時があるのではないかと顧みる時間を与えてくれた。そのことに気づけただけでも、彼らの文化の中で過ごした時間は価値のあるものだった。

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