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隠されたミャンマーとの繋がりと父の影

以前、事業立ち上げの地にミャンマーを選んだ理由を書きました。言ってしまえば「全くの偶然」でミャンマーを目指した訳ですが、実はミャンマーと私の間には「隠された繋がり」があったのだと後年分かり、嬉しくなったことがありました。

私の生き方、人格や価値観形成に切っても切れない影響を与えたのが父でした。父は中高一貫校の教師でしたが、もう一つの顔も持っていました。今では国際協力分野で日本を代表するNGOの一つへと成長したSVA(シャンティ国際ボランティア会)ですが、「NGO」どころか「ボランティア」という考えさえ社会に根付いていなかったであろう早期から、父はこの団体を支えた会員であったようです。

私が3歳の頃(1987年)にはすでに会員だったみたいで、父はその後SVAの代議員も務めることになりました。そんな環境だったので、私の幼少期の記憶にはSVAとの関係が深いエピソードが数多く残っています。タイやラオス、カンボジアの少数民族を支援するための民芸品が家の中に溢れていたり、バンコクのスラムで生まれ育ちながら、SVAの教育支援を受けて外交官にまでなったタイ人の女性が家に宿泊してたり、お正月にもらうお年玉を毎年募金したり、、、。その後も、大学時代、ミャンマーで事業を立ち上げた後、とSVAの関係者の方々には色々とお世話になるのですが、それはまた別の機会に。

さて、子どもの頃の記憶なんて曖昧なもので、当時の私にはタイもラオスもカンボジアも、数十もある少数民族の区別もつかずに、SVAが支援している対象を何となく捉えていました。その後大学を卒業してから10年近くSVAとは関わることが無かったのですが、ミャンマーに移住してから、ある繋がりを知ることになったのです。

それはSVAもミャンマーに関わる事業を行っていた、という繋がりでした。「ミャンマー(ビルマ)難民支援事業」として、2000年から開始したそうですから、中学生だった私が覚えていないだけで、毎月の会報や父との会話では、きっとこの事業についても触れたことがあったのではないか、なんて今では思ったりします。何の繋がりもないと思っていたところに、父を介した繋がりがひょっこり立ち現れて、何だか運命めいた繋がりをもってミャンマーに招かれていたような思いになったものでした。

そのような思いや別の偶然も重なり、ミャンマーに来て以来、SVAとのご縁はより深くなりました。実はSVAミャンマー事務所の方とのご縁がきっかけで、新しいチームの立ち上げに欠くことができないアメリカ人がDJ社に参画するなど、感謝しても仕切れない程お世話になったりしています。将来しっかりとお返しできるように、まずは事業を成長させないといけませんね。(汗)

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