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TO-Yが描いた80's。そしてボクは漫画家になるのを諦めた(笑)

ボクは常々1984年を日本の音楽シーンの大地殻変動の年と考えている。兆候は前年からあったけど、目に見える形でがっと飛び出したのは84年。前年のなんとなく吹き溜まり感が一気に払拭され、一気にシーンが明るくなった(ような)印象がやたらめったら強いんですよね。

表層的なとこだけでいえばチェッカーズの大ブレイク、吉川晃司のデビューによるアーティスティックな畑といわゆる歌謡/芸能/アイドルな古くからのスキームから生まれる無数のコンテンツとの「狭間」がマーケットとして断じてアリとなったこと。

84年以降、その「狭間」コンテンツ急増により、わかりやすくいえば「明星」とソニマガの「GB」「PATi-PATi」の区別がどんどんつかなくなった。ジャニーズとかいわゆる女性アイドルが掲載されているかいないか。それぐらいの差になってしまったと思う。それでも光GENJIや男闘呼組や少年忍者という継続的コンテンツの存在が「明星」が「Myojo」になろうと現在まで続く老舗アイドル雑誌として生命を長引かせた。ああ、ダンプ松本とTUBEがリングで戦ってる記事が掲載されてたのってどっちだっけなあ。「明星」?「平凡」?このへんは記憶が実に曖昧でよくわかんないです。


とにかく84年を境に(すでにデビューしていたとかは置いといて)安全地帯、杉山清貴&オメガトライブ、C-C-Bといった大ブレイク組から「摩天楼ブルース」だけで消えてしまった東京JAP、「おれたちA級の砂利(JARI)だからさ」というわけでデビューしたA-JARI(「卒業」は名曲)、久保田洋司というとんでもない才能のソングライターを擁し尾道発風街行きの銀河鉄道に飛び乗ったTHE 東南西北、とまあバンドが大ブレイクせずとも作詞家やアレンジャー、スタジオミュージシャン、ラジオDJとのちに巻き起こるJ-POPバブルを支える要となる才能がその「狭間」マーケット目掛けてどんどん世に送り出されていったわけです。

たとえば尾崎豊の大ブレイク。これは85年になるけど10代のカリスマなんて居なかったわけですよ。男性アイドルがデビューする際に口を揃えて「矢沢永吉」とプロフィールで尊敬する人物欄に書き込んでいた時代の終わり。尾崎があれだけブレイクしたのは単にアーティスティツクな部分だけではなく「狭間」マーケットがうまく機能したからこそ。そして彼のデビューやチェッカーズ、吉川晃司によりジャニーズ出身のアイドルたちは一斉に色あせた存在になったと思うし。だからこそ85年末にジャニーズらしさのスペシャリティ、少年隊をデビューさせたわけだしその真逆の光GENJIを世に送り出したんだと思うわけです。

「狭間」マーケットの特徴はテレビ、芸能メディア(具体的には「明星」「平凡」的なやつね)に露出していくことを厭わず、またソニーマガジンズの「GB」「PATi-PATi」戦略もわかりやすく身近なものとしてアーティストとユーザーがアクセスするきっかけを作ってくれたわけだ。そしてこの「狭間」が肥大化していったものこそボクはのちJ-POPと呼ばれるマーケットになりえたのだと思っている。

そんな時代にあるマンガの連載がスタートした。すでに別作品で連載デビューを果たした作家の2作目。それが「TO-Y」だ。1985年の春。上條淳士により描かれたこの作品は掲載された少年サンデーのどの作品よりも時代性を色濃く反映したマンガだった。

東京ライブハウスシーンの匂いと芸能界。その「狭間」の中でクールかつひょうひょうと駆け抜ける主人公、藤井冬威を上條淳士はその独自のスタイリッシュな画風で鮮烈に描いていく。上條淳士が描くと新宿あたりの薄暗いライブハウスの楽屋ですらPOPに思えてしまうから不思議だ。主人公が在籍するインディー要注目株のパンクバンドGASPが出演する日比谷野音ライブの光景とか素晴らしいですよ。野音をあれほど美しく描いた作家、ボクは他に知りません。

ソロデビューする際にマネージャーか志子が呼び寄せたヒステリックスの面々も忘れちゃいけない。ギターの鮎見初雪(風貌から間違いなくシーナ&ロケッツの鮎川誠がモデル)、そして幸田アンジェラ、ドラムのマイケル・オーキー、これは誰がモデルだったんだろうか。マイケルはなんとなくこのひとかなあって思い当たるフシはあるけど自信ないんで書かないでおきます。

そしてこのキャラは忘れちゃいかん。哀川陽司がイイんだ。モデルは明らかに吉川晃司。劇中で歌う「ボディトーク1NIGHT」ってタイトリングもイカす。ありそうだもんね、初期吉川の曲で。作曲クレジットはNO BUNNYだけどこれはNOBODYなんだろう笑。バックバンドを決めるオーディションとかツアー前の合宿風景とかいちいちツボ。ハロルド作石の「BECK」も車一台でのライブハウスツアーを廻る描写がリアルだったけど、こっちはホールツアーなので規模感が違うんだ。カマプロのマネージャー、ディレクターの遠藤とスタッフの言動もリアルなのも最高。バックバンドEDGEの面々もいい奴らばっか。ギターの亜座博史がリハ中走りすぎて陽司にダメ出しされてフテくされるシーンなんかいいじゃないですか。実際あるあるだもん。ドラムの龍谷稔、神経質でYAMAHA DX-7を使いこなす権藤くんはメンバーで唯一冬威のデビューライブに参加したメンバーだったなァ。

若き日の秋元康と泉麻人を足して2で割ったようなやつが後半出てくるけどこいつは嫌いだったなァ。名前は春日治で放送作家。この頃になると実際の時代も急変している。バンドブームはもう始まっていたし「ザ・ベストテン」を始めとする歌番組の影響力がどんどん落ちていった時期。それとリンクするかのように冬威はザ・芸能界へと背を向け始める。

ラストシーンは冬威がまだ歌を捨てずにいることがさりげなく描かれている。壁に貼られたスケジュール表のチラ見せ。ああ、続きは?ねえ、その後どうなんのよ?と思うけどいいんですよね、これで。

きっとその後訪れるJ-POPバブルもうまく乗り切り、今も歌い続けてるってことは愛読者なら全員わかってるはず。GASPのメンバーだってもしかすると一旦は解散したかもしれないけどイサミだって桃ちゃんだって昼間まったく別の仕事しながらバンド演り続けてるはずだ。アニバーサリーイヤーにはベテランバンドにありがちな一度だけの武道館公演とかあったかもしれない。哀川はカマプロから独立し、ロックシーンへ本格的に進出、でもそのポテンシャルからドラマや映画からひっぱりだこで独自の道を歩んでる可能性もある。ヒデローこと森が丘園子はどうだろうなあ。中森明菜みたいな孤高のカリスマシンガーになってるかも。うん、きっとそうだ。中森明菜はあの金屏風事件がなければそうなってたはずだもん。

山田二矢はどうだろうなあ。世界中を自由気ままに放浪してるのかな。案外普通に平凡な家庭の主婦になってるかも。子供も2人ぐらいいて。時々思い出したようにライブハウスに通ってた頃に聴いてたCD、いやサブスクリプションで室内のスマートスピーカー、爆音で鳴らしてるのかもしれない。元バンギャの皆さん、そういうことないすか?あるよね?

とっくに終わったこの「TO-Y」なる青春漫画。ボクは絶対に続編とか描いて欲しくない。いや、あったら読みますよ。でも「TO-Y 2」は嫌だなァ。ベテランロッカーとなった藤井冬威の悩める姿とか気にはなるけど読みたくないよ。続きは妄想でいい。きっと当時夢中になって読んでた方々、間違いなく実行してますよ。脳内続編。そうやって続いていく漫画があってもいいじゃん。

少年サンデーでの連載終了が87年春。チェッカーズは自作自演にシフトし、吉川晃司も86年に発表したAL「MODERN TIME」より急速に自身の手によるオリジナル曲を増やし87年の「A-LA-BA・LA-M-BA」では全10曲中2曲を除き作詞か作曲になんらかの形で関わっている作品をリリース。そして88年には布袋寅泰とのCOMPLEXですからね。世の中的には87年にTHE BLUE HEARTSがメジャーデビュー。バンドブームはどんどん加速していいった年で平凡な田舎の高校生でもギターかかえて街のレンタルスタジオに出入りするのがカジュアルな光景になっていったタイミングでもあったんじゃないかな。それこそテニスやサッカー、野球をやる感覚でコピーバンドを組んで爆音鳴らしてもドロップアウトめいて見えなくなっていった時代の始まり。ボクの住む田舎でも駅前音楽祭なるイヴェントが催された。「きみもボウイの高橋まことになろう!」と高らかにキャッチコピーが踊るダサい垂れ幕つきのイヴェント。もちろん高橋まこと(福島県出身)は不在だ。あれ、本人の許可取ってたんだろうか。

ああ、「TO-Y」の話に戻りますけどライブハウスの殴り込みとか憧れましたよ。「たかが土建業 されど土建業」と歌うジャスト80年代ライクな(C-C-B?)大学生バンドのステージに乱入するGASPの面々のシーンなんて確実に歴史に残りますよ。俺も殴りこまなきゃって思いましたよね。THE MODSやストリートスライダーズのレコードを「買ったら俺は間違いなくドロップアウトだ」とビビって買えなかった小心者の高校生だったのに、オレ。

音楽マンガの正しい姿。それは読み手の心の中で演者は永遠だってことじゃないでしょうか。

「TO-Y」の藤井冬威に哀川陽司。
「俺節」の海鹿耕治に南風原太郎、羽田清次。
そして「BECK」に忘れちゃいけない「愛してナイト」(名作)、「気分はグルービー」。
あとここに短編ですが「GO AHEAD!」も入れておかなくちゃ。


カセットテープのA面が終わってオートリバース機能でB面へ。B面終わりで気分を出してもう一度。
終わらないメロディ。永遠に鳴り止まないビート。
読み返すたびに沸き起こる感情に嘘はないし「終わり」はないんですよね。永遠に続く夏。終わらない物語。春でも秋でも冬でもない。やっぱTO-Yは人生における夏物語なんですよ。最終話ラスト近く。スケジュール表とカットインしてくる冬威の描写はまさに物語ってるじゃないですか。

ああ、そんな音楽マンガがもっともっと出て来て欲しいもんです。ほんとに。

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