見出し画像

コロコロコミックとジャンプの時代part 2〜コロコロなりのラブコメマンガ「ドキドキララバイ」について。


ラブコメブーム全盛期に発表された幻の作品「ドキドキララバイ」というマンガを知っているだろうか。
おそらく誰も知らない。もしくは記憶の片隅に放置されているマンガだ。

ガッツな笑いとド迫力。そんなキャッチに飾られた時代のコロコロコミック。藤子不二雄作品を大量掲載、+内山まもる(「どぐされ甲子園」)による「ウルトラマン」シリーズ、「リトル巨人くん」や山根あおおにの「名探偵カゲマン」といった小学館発行の学年誌で人気コンテンツだったものの再録、川崎のぼるの「いなかっぺ大将」もそうでした。それが「ドラえもん」のアニメ化→ブレイクスルーにより部数拡大、そのへんから確実にコロコロオリジナルの作品に力を入れていった印象は小学生ながら感じてました。

坂丘のぼるによるジャンプの「ドーベルマン刑事」を激しく意識した刑事もの「ザ・ゴリラ」、梶原一騎と「悪役ブルース」でコンビを組んだ峯岸とおるによる野球マンガ「あばれ隼」、桜多吾作の「釣りバカ大将」や大林かおるの「ラジコンボーイ」、おそらく映画「少林寺」に乗ったと思われる拳法格闘ものの小林たつよし「ドラゴン拳」などこうして振り返ると実に多彩なマンガを掲載しチャレンジしていた雑誌だったんだなと。当時のジャンプやマガジンを研究しコロコロなりの少年マンガに仕立て上げた当時の編集スタッフは優秀だったんだろうなあ。

そんな本誌コロコロへのステップアップとして新人や既存のマンガ家が作品を掲載していたのが別冊コロコロコミックだ。ジャンプにおけるフレッシュジャンプみたいな立ち位置。主力は本誌で人気の高い作品の再録や長編を掲載しつつ、受験格闘もの「轟!一番」で人気があったのむらしんぼによるドッジボール漫画「ドッジ球太」とか掲載していた。ドッジボールってジャンルがすごい。ターゲット層、明確ですよね。そしてボクの長年の謎でもあるコロコロコミックpresentsのラブコメ漫画もこの雑誌に掲載されてたんだな。

いわゆる正真正銘のラブコメだった。掲載されたのは別冊コロコロコミックでたしか82年発行号だったと記憶している。作者は田中道明。藤子スタジオ出身でのちに「新・キテレツ大百科」のコミカライズなども手がける生粋のコロコロ出身マンガ家。「迷犬タマ公」で藤子不二雄賞を受賞、「ぐゎんばる殿下」などのスマッシュヒットもあるマンガ家がなぜかラブコメに挑戦した作品。それが「ドキドキララバイ」だ。

従姉の女子大生がある日突然居候、というラブコメ王道パターン。年上の女性にドキドキする主人公(小学校高学年か中学生かだった。中1とか?)がひたすらドキドキする話だが2〜3回で掲載されただけで当然未単行本化。今や田中のwikiにも掲載されていない幻の作品である。

おそらくコロコロなりにラブコメを模索していたんだと思う。まだファミコンも登場以前で「ドラえもん」を始めとする藤子作品以外のヒット作は「ゲームセンターあらし」以外皆無だった時代。おそらくまだまだ試行錯誤の時期。「トイレット博士」のとりいかずよしを招聘し「ロボっ太くん」なるお下劣ギャグを連載してみたり。関連商品でKPバッジなんてのもありました。応募者全員当選するバッジだったな。数年前実家に帰省したとき自分の部屋からKPバッジが出てきたときは情けなくて泣きたくなりましたね。KPがなんの略かは「ロボっ太くん」、KPバッジで検索すればいい。泣きたくなるよ、まじで。

82年といえばボクはこの年の秋より週刊少年サンデー購読者になり、83年いっぱいまでそれは続く。
少年ビッグコミック(旧「マンガくん」)かサンデーか。悩みに悩んでサンデーを選んだのは「うる星やつら」の高橋留美子が連載していたから。とはいえ少年ビッグコミックは憧れの雑誌ではあった。

小3からコロコロ読者を続け、ある瞬間からとある雑広が気になり始めた。たしか「コロコロコミックのお兄さん雑誌」というキャッチコピーがあったときも。それが少年ビッグコミックだった。
あだち充の「みゆき」に村生ミオの「結婚ゲーム」。尾瀬あきらの「初恋スキャンダル」、柳沢きみおの「あ!Myみかん」とラブコメ勢が勢ぞろい。そこに「がんばれ元気」長期連載終了後の小山ゆう「愛がゆく」、かけだしの教師を主人公にしたはしもとみつおの「いつも放課後」(ユニオン映画製作の日テレ青春ドラマみたいで実にいい)などなかなかいい作品が揃ってたわけです。「ザ・番台少年」(石川弥子)なるマンガもあったなァ。中1のボクはちょい背伸びして読むマンガ誌ってイメージでいつもドキドキしながら立ち読みしていた。なんとなくちょい大人な印象だったんですよ。のちにヤングサンデーに引き継がれる直前掲載ラインナップに原秀則「冬物語」、細野不二彦の「東京探偵団」なんて作品もありましたから高校生〜大学生をメインターゲットにしようとしていたのだと思いますね。サンデーよりはちょい大人、みたいな。
なので小学館の戦略としてはコロコロ→サンデー→少年ビッグときて、スピリッツへたどり着けばマンガ読みとしてはエリート、とかビジョンを組み立てていたのかも。まあ想像ですけど。

さて「ドキドキララバイ」の話に戻ろう。少年ビッグコミックへの読者誘導という狙いがあったのかもしれないと思いつつ、小学生〜中2以前読者の深層心理、年上の女性へのほのかな憧れっていうのはそりゃあなくもない年頃ではあるが「ゲームセンターあらし」や「とどろけ!一番」におけるテレビゲームや受験(テスト)ほど重要なものではないのも事実。コロコロ読者にとってみれば「おじゃまユーレイくん」のようなストレートなエロコメディのほうがよっぽどわかりやすいものだった。

まあ少年ビッグコミック、前は「マンガくん」なる誌名のマンガ雑誌だったわけで、水島新司が「球道くん」連載していた時代ですよ。藤子F不二雄の「エスパー魔美」はそこで連載されていた作品なわけです。なので藤子スタジオ出身の田中のF先生直系の絵柄でラブコメって発想は無理がない、、と思っても仕方がないけど読んでてやっぱり違和感ありましたよね。おそらく描いてる本人もそうだったんじゃないかな。絵柄はおそらく「エスパー摩美」時の藤子F先生のフィーリング。コレならラブコメいけるかもという実験意図は(今思えば)理解できる。だけど絵柄がとか物語がとかではなく、やはり「ガッツな笑いとド迫力」がキャッチコピーの誌面にラブコメは似合わない。コロコロ読者が「おもコロ」と感じるのは年上のお姉さんへのほのかな憧れではなく、出っ歯でゲームのコントローラー乱れ打ちとか答案2枚同時に解答したり、ある日交通事故で死んじゃうけどユーレイになって好きだったあの娘の部屋に忍び込んじゃうマンガのほうにドキドキを感じてしまうのは仕方ない現実なんですよね。


なので「ドキドキララバイ」は2〜3回掲載されたあと、何事もなかったかのように終了。いや終了って文字すらなかった。ばっさりカットアウト。次号から田中も「ミラクルブッシュくん」なる児童ギャグマンガ連載してたし。そうそう、この当時ブッシュマンってブームだったんです。少年マンガにこの安易さって絶対必要だと思うんですよ。

すでにコロコロ読者は卒業寸前だったボクにとってはか「ドキドキララバイ」はちょうどよかった。もうこの頃は立ち読みでマガジンの「胸騒ぎの放課後」(村生ミオ)、少年ビッグの「みゆき」(あだち充)、「結婚ゲーム」(村生ミオ)は読んでいたし。

実はこの手の謎のラブコメ的マンガってブームの最中、かなり量産されていたのではないかと思うんですよね。連載も続いて単行本にもなったけどすっかり忘れ去られてる作品たち。たとえば雑誌GOROで長期連載されてた「微熱MY LOVE」がどんなマンガだったか覚えてるひとがどれだけいるだろうか。

前々から気にしてはいたんですよね。歴史に埋もれた名もなきラブコメマンガたちってテーマで掘ってみようかな。ちゃんと系統だててまとめておきたいんですよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?