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俺はプライヴェイト・アイ〜松村雄策氏を偲んで。

「カム・アンド・ゲット・イット」に「ノー・マター・ホワット」。「ノー・マター〜」はあえて「嵐の恋」と表記するのもいいだろう。そしてボクは「プライヴェイト・アイ」って曲が好きだった。

とここまで書けば何について気づくひとはいるだろう。実際のところはさてなにを書けばよいのやら。そう思ってるうちにあっという間に数日が過ぎた。途中まで書きかけたけど、なかなか最後まで書けず2週間経ってようやく書いてみた次第。


松村雄策さんが亡くなった。ぼくは松村さんの文章がほんとに大好きだったんだな。なんだろうな、表現にものすごく困るのだけどぼくの生活の中にあって当たり前の存在。毎日飲む珈琲の匂いや毎週木曜日に買う週刊文春、最寄りの駅改札、駅行きの市営バス。
街の風景に溶け込んでいる吉野家、大通り沿いのデニーズ、土曜の朝に必ず買いに行く地元のパン屋。お気に入りのスーパーのお惣菜。人それぞれだろうけど存在して当たり前。本棚にはちゃんと著作があって、ひんぱんに読むことはないけど年に数回ページをめくって安心する。ぼくにとって松村雄策さんとはそんな存在でした。

洋楽オンチだったぼくがビートルズやドアーズ、ヴァン・モリソンのレコードを自然に聞けるように
なったのは間違いなく松村さんの遺した数々のエッセイの導きによるものだし、いちばん愛読していた高校時代、氏の「アビイ・ロードの裏通りから」や「苺畑の午前五時」の2冊があったからこそ非行や犯罪に走ることなく正しい(田舎の)ロックンロール・ライフを送ることが出来たのだ。いくら感謝してもしきれない。

松村雄策さんを知ったのは1987年、ぼくが高校二年生のときだった。

クラス替えで一緒になったのがS君でTHE WHOをこよなく愛するロッキンオン読者で彼が貸してくれたのが「アビイ・ロードからの裏通り」と「大東京トイレ事情」。どちらもロッキング・オンから刊行された単行本で、それまでぼくはロッキング・オンなど知らなかった。そもそも洋楽アレルギーの洋楽オンチで80年代の洋楽ヒッツはほぼリアルタイムで抜けている。なんでそうなったかというとハワード・ジョーンズのせいなのだ。彼が84年に発売した「かくれんぼ」。ぼくはこのアルバムを購入し、見事に理解できなかった。中学生でアルバムを買い、理解できないってのは大事件だ。なんせ3000円近い金額をドブに捨てたようなものだ。理解できるまで何回も聞こうとしたけど全身が拒否。ぼくはそのおかげでスタイル・カウンシルもエルヴィス・コステロもマイケル・ジャクソンもマドンナもスルーするはめになった。アズティックカメラにXTCなど論外、ウルトラヴォックスに関しては坂上忍が月刊明星で「海賊盤を2万円で買いました。最高っす」とコメントしてるのを覚えてるぐらい。ああ、そういや当時小泉今日子はスパンダーバレエが好きって言ってたな。ちなみに田原俊彦の朝のシャワータイムのBGMはTOTO。時代だよなァ。

結局ボクが初めてロッキング・オンを買ったのは87年か88年でした。ミック・ジャガーが表紙だったのは覚えてる。まだ人生時代の石野卓球インタビューが掲載されてる号でしたね。もちろん目当ては松村さんの文章、渋松対談だった。松村さんの文章で語られるビートルズ、ジョン・レノンやボール・マッカートニーへの愛情溢れる言葉のおかげでぼくは月刊明星を買うのをやめ、週刊少年ジャンプ購読をやめ、ロッキンオン巻末の中古レコード屋の広告と毎月にらめっこし、1960〜70年代のロックミュージシャンのレコードを収集するようになる。松村さんがいなければぼくは1990年のポール・マッカートニー初来日公演を5回も観ることはなかったと思うし、「バンド・オン・ザ・ラン」を当時組んでたバンドでコピーするなんてこともなかったと思う。バッド・フィンガーの「ノー・マター・ホワット」もコピーしたな、そういや。

そうそう。バッド・フィンガーはあきらかに松村さんの影響で聴き始めた。CD再発もまだされてなかったので中古レコードで必死に買い集めたんだ。東北から青春18きっぷで早朝出て初めて新宿の中古レコード屋街にたどり着き、ウッドストックって店の前で当て逃げされそうになったり、「ストレート・アップ」というアルバムを見つけたはいいけどジャケの色が違うおそらくブート盤かなにかで、さらに帰りの電車の椅子暖房のせいで家に帰ったら思い切り反り返ってたんだよな、レコード。おかげで初めて聴いた「ディ・アフター・ディ」はぼくの安物のターンテーブル上でサイケデリックに歪んだ音を奏でていたんだ。今もこの反り返った盤はそのままに時折ボクの家で歪んだスライド・ギターの音を奏でてる。ジョージ・ハリソンが途中までプロデュースして投げ出したのをトッド・ラングレンが引き継いで、なんてエピソードも松村さんのエッセイで知ったんじゃないかな。そうそう、初めて手に入れたバッド・フィンガーのレコードは「マジック・クリスチャンズ・ミュージック」。ギリシャ盤でしたね。

松村さんがミュージシャンをやってたことは氏のエッセイでも書いていたけど、なにせ中古レコード店が1軒もない街に住むぼくにとって探し当てるのは至難の技。そうそう東京にも行けないので何ヶ月かにいちど西武デパート特設催事場で行われる中古レコード祭りは(当時はそんな言葉はなかったけど)まさにひとりフェス状態。とんでもないお祭りである。ぼくはその日のため昼飯を抜きお金を必死で貯めた。もちろんアルバイトもやった。2週間温泉旅館泊り込みで朝5時から深夜0時までほぼノンストップで働き続けるブラックなやつとか。なんとかかんとかお金を貯め、ビートルズやローリングストーンズ、THE WHOにドアーズ、ビーチボーイズのレコードを必死に収集する中で88年の夏、ようやく松村雄策のレコードを手にいれることになったのが「PRIVATE EYE」と題された氏のセカンドアルバムだ。中古で2000円以内だった気がする。もしかしたらもう少し高かったかもしれない。ぼくはこのアルバムのジャケを見るまで松村さんの風貌を知らなかった。若き日の松村さんは岡村靖幸みたいな顔だなあと思った記憶がある。もちろん音楽性はぜんぜん違うんだけど。あの頃はまだドアーズの楽しみ方もわかってなかった。ましてジャックス、早川義夫を楽しむにはぼくのロックンロール偏差値はまだまだ低かったのだ。

ビートルズ来日を扱う小説としては松本隆の「微熱少年」もある。松村さんの「苺畑の午前五時」と2冊、ほぼ同時並行で愛読していたな。ああ、ボクにとっては村上春樹の「ノルウェイの森」もそのカテゴリー。東北の片田舎で80年代の狂騒から距離を置き、ぼくは過ぎ去りし60年代の東京に想いを馳せた。ジェリー&ペースペイカーズ、ピーター&ゴードン、デイヴクラークファイヴ、ホリーズにゾンビーズ。ぼくのレコード棚はリアルタイムで進行する80`sヒットチャートと逆行し(日本のものでもネオGS以外は聞かないと思ってた時期があった。恥ずかしいなあ。隠れキリシタンの如くEPIC SONYものをこっそり聴いてたんですよ。アハッ)80年代に10代の時期を過ごさなければいけない自分を呪ったこともありました。10代の思い込みって恐ろしいよな。もし東京に生まれ育ってたら。いや、東京とは言わない。せめて中古レコード屋があって、民放FMもちゃんと聞けて、オールナイト・ニッポン2部までチェック出来る環境だったならボクの人生、だいぶ違ってたろうなァ。だいたいボクは長らく少年ジャンプの発売日、水曜日って思い込んでたんだよ。つらいネ。

松村さんの文章が好きすぎて、ぼくは日々ノートにとりとめのない言葉を書き記すようになった、とかほんとは書いたほうがいんだろうけど、実際のところはそうじゃない。だけどロッキング・オンに寄稿してみたいと思い原稿用紙を買ってきて何度かはチャレンジしたのは事実。無理だったなあ、まったく書けなかった。なんせ居酒屋にも行ったことがないし、ビートルズのアルバムをコンプできたのは大学入学後。なんど書いても薄っぺらい文章しか書けなかった。なんでもない言葉で丁寧に綴られる松村さんの文章の凄味はちょっとでも言葉に携わる仕事をしてるひとならわかるはず。ああゆう文章ってそう簡単に書けるものじゃない。いや、ほんとにそうなんですよ。小難しい表現よりも平易な言葉の組み合わせ作業がどれだけ大変なことか。小難しくいかにもな言葉を羅列して雰囲気だけ作っていくのは「慣れ」作業というかそこそこ努力すれば作れます。だけどね、シンプルな表現で「伝わる」文章、「残って」いく文章ってのはほんとに難しい。

おそらく誰もが思っていたことだけど、松村さんのエッセイはいつでも安心して読めるものだと思ってたんじゃないかな。毎月発行されるロッキング・オンをめくればとりあえず掲載されているってことでの安心感。もちろんそれも数年前から氏の体調不良でままならぬものだったことは知ってはいたけども。毎月購入しなくなっても「渋松対談」と松村さんのページだけは読んでる時期が長かったもの。

残念ながらぼくは氏と直接会うことはなかったし、自分が持ってる「苺畑の午前五時」にサインを入れてもらうこともできなかった。これはとても残念なことだけど仕方がない。


「どうせもうろくな死に方できない」(fromプライヴェイト・アイ)、と歌った松村さんはSNS上でしかボクは拝見してないけどたくさんの方々に追悼されたと思う。無意識下の影響受けたひと、ほんとに多かったと思うんですよね。特にいまの50代の元ロッキング・オン読者。

今や松村さんののすべてが手に入りやすいわけではないので(、文庫でもいいし新装版でもいい。渋松対談を含めてぜひ今いちど出して欲しい。できれば紙がいいな。愛ある解説つきで読んでみたい。



ガキの頃からしみついている 熱い匂いが生きてる証さ
俺の弾丸 受けてみるかい 

「プライヴェイト・アイ」作詞/ 松村雄策より



意外とたくさんいると思うんだよね。
文章という形だったけど、松村さんの熱い「弾丸」を真っ正面から受け止めたひとたちは。さて、ぼくは今夜にでも松村さんの「アビイ・ロードからの裏通り」をひさびさに読んでみようかと思います。もちろんバッド・フィンガーを聴きながらね。


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