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考察/大滝詠一〜ヤンキー全盛下のA LONG VACATION。 ボクは「EACH TIME」が好きだった。


NetFlixの「モルモン教徒殺人事件」ってすごいタイトルだなァと思ってたら、たった今、藤原ヒロシがRadio(元春世代としてはレディオと表記したい)で
「タイトルに惹かれたんだけど、ヤラれたなァ」とレコメンしていた土曜の午後。土曜の午後、って書いてるだけで意味なく気分はブリージン、つーか、シティポップなフィーリングになるのはどうしてなんでしょうね。ガッツ石松的にいうなれば「なぜなぜホワイ?」。

初めに書いておくと、ボクは圧倒的に大滝詠一至上主義であります。山下達郎のALBUMは持ってる。細野晴臣もYMOもはっぴいえんどもカタログは揃えてるし、高校時代、角川書店主催の読書感想文コンクールで学校指定図書を「無視」して書き上げた「微熱少年」(松本隆著)で入賞も果たしたボクではありますが、やっぱり大滝詠一に帰ってくるんですよね。

そもそもなんでそんなことになったのか。

初めてまともにリスニング体験したのは1984年の「EACH TIME」だ。ボクがなんとなく音楽、芸能カルチャーに目覚め始めたのが83年で、その時点で「A LONG VACATION」は大ヒット後、すでに次作発売が延期になってたタイミングだと思う。雑誌でのお姿を初めて観たのはその年の西武球場でラッツ&スター、サザンオールスターズらと共演したイベントレポート。たしかボクが読んだのは「明星」に掲載されていたもの。

当時、ボクが住んでたエリアは福島県郡山市でシティでアーバンな環境からは程遠く、どちらかといえば「3年B組」シリーズの荒川の土手が延々続くようなシチュエイション、さらにローカライズされたクリームソーダ文化が紛れ込み、学生服の裏ボタンやズボンの太さ、丈にこだわるあの感じ。要するにヤンキー文化の巣窟だった。ちなみに中一の終業式は前日バスケットボール部主将が「先生への反発」をあらわすべく教員室前で醤油の一升瓶(なんで?)を一気飲みして救急車で運ばれ、それが原因で休部、それを卒業まで根に持っていた主将は終業式前夜に体育館に忍び込み、マットレスにガソリン撒いて放火。全焼したので終業式は青空開催。まさに「青空のように」である。ニコニコ顏、しかめっ面なその場に不釣り合いな頑強な連中(警察ですね)が揃うなんとも微妙な雰囲気で主将は式が終わると連行されていった。

そんな環境だからこそ、ボクは違う空気を求めた。たとえば「トム&ジェリー」。ああゆうカートゥーンからこぼれ見えるアメリカ。穴のあいたチーズや瓶に注がれたミルクやオレンジジュース、ハンバーガーがやたら神々しく見えた。ボクは「EACH TIME」1曲目「魔法の瞳」(当時はそうでした)からそんな異国情緒な空気感を嗅ぎ取った。「夏のペーパーバック」のペーパーバックの意味もわからず、ボクの心は南の島へ飛び、「木の葉のスケッチ」で綴られる別れた男と女のクールな心理劇に(恋愛経験もないのに)苦悶し涙した。「銀色のジェット」や「ガラス壜の中の船」といったメロウ路線、「恋のナックルボール」のコミカル路線もほどよくスパイスとして機能し、「ペパーミント・ブルー」「レイクサイドストーリー」という大団円へつながるあの流れを何度繰り返して聴いただろうか。ちなみに「1969年のドラッグレース」を理解するには時間が必要だったが、この楽曲の意味に気づいたとき(自分なりにですよ)驚愕しましたね。はっぴいえんど前夜の話が元に描かれた歌詞世界ですが、85年のALL TOGETHER NOWで再結成果たしたとき、演って欲しかったよなァ。

ちなみに「A LONG VACATION」をその後すぐに手を伸ばさなかったのには理由がある。いわゆるボクの最終回恐怖症のせいなんですけどね。もちろん「EACH TIME」が好き過ぎたのもあるし、この時点で寡作のアーティストなんだなって中学生なりに気づいたんですよ。

あとはNHK FMサウンドストリートの特番で大滝さんが帯で担当なされたときがあり。記憶が曖昧なので時期を書くのは避けるが、そこでボクははっぴいえんどやコロムビア時代の大滝さんの楽曲を知った。「EACH TIME」の頭ではっぴいえんどの「春よこい」は衝撃というか、うかつにこの人のディスコグラフィーに手を出せないってことだけは思いましたね。「ブルーバレンタインディー」もこのとき初めて聴いた。なのでナイアガラ関連はおそるおそる少しづつ、、なので「EACH TIME」の次が「ナイアガラ・トライアングルvol.2」なんですね。それも佐野元春で耐性つけてからでこれが85年の夏。ロンバケはだいぶ遅くて結局86年の暮れにレコードを手に入れた記憶がある。

結局ロンバケの素晴らしさに気づいたのはかなり遅くて大学生になってから。「君は天然色」や「恋するカレン」が名曲なのはわかるけど、、と少々カラダに入っていくのに時間がかかった。下手すると「カレン」は映画「微熱少年」サントラの方が先だったかも。ボクはこの映画、実は大好きでVHSも持っているほど。UP-BEATの広石武彦がいい味だしてんですよね。60年代青春模様の仮想体験。あの頃、ボクはビートルズが来日したあの東京に居合わせることが出来なかった(生まれてないんだし仕方ない)自分を悔やんだ。

89年の夏。クーラーもない、六畳一間のボロアパート。汗だくになりながら(京都の夏はほんとにつらい)ボクはロンバケをちゃんと聴いた。きっかけは「スピーチ・バルーン」なんですね。「定本はっぴいえんど」をたまたま部屋でごろごろしながら読んでて、この曲にまつわるくだりで「おう、久々に聴いてみようか」と。で、ようやく腑に落ちた。ただ、よかった。余計な理屈なしに。頭で考えてうんうん唸りながら体験しようとしても理解出来ないときってあるじゃないですか。そういうのがまるでなく、すっと入ってきた。まさにBREEZEが通り抜けた瞬間だった。

今回、ロンバケVOXはもちろん手に入れ、封入されている資料関係諸々の情報量の多さに驚きつつ、移動中解禁されたサブスクで大滝作品を楽しむ日々が続いている。おそらくロンバケ〜ナイアガラトライアングル〜「EACH TIME」ていう正統派のリスニング体験と、ボクのように「EACH TIME」〜ナイアガラトライアングル〜ロンバケでは印象もだいぶ違うんだと思う。トライアングルVOL.2に関してはこれはこれで好き過ぎるので語り出すと長くなる。裏ジャケの3人がヴオーカル・ブースで何かを語ってるあの雰囲気。ボクは勝手に「東京」を感じた。「街」から生まれる恋人たちの物語、季節が終わり、「街」へと帰る心象風景、ダンスミュージックかどうかはさておき、ボクにとってのシティ・ポップな光景ってそんな感じなんですよね。あえていうのであれば。都市生活者の孤独な視点、なんて表現が正しいのかどうかわかりませんが。「EACH TIME」ってそんなALBUMな気がします。歌われる風景の中に恋人はいるけれども、すでに別れていたり、ただその眠るような横顔を眺めていたり、空想世界の中だったり、壜の中の船みたいに身動きすらとれなかったり、、全体に漂う圧倒的な孤独感。あれってなんなんだろう。ボクだけか、そんなこと思うのは。

とはいえ、ボクが思うにあえてシティポップなるジャンルの特性を考えたときに思うのは「ここではないどこかへ」かっ飛ばしてくれる、トリップさせてくれる音楽ってことじゃないかと思う。これは渋谷系でも同じことが言えて、誰もがカフェ行って雑貨屋で買い物してZESTで7インチ買って東京ガールズブラボーな生活送ってないわけです。圧倒的少数。毎日そんなモラトリアムな生活送れないし誰もが梅ヶ丘にマンション借りれないし徒歩圏内に下北沢はないじゃないですか。憧れのライフスタイルを演ってる世界観だからこそ、ムーヴメントになりやすい。シティポップ全盛時、誰もが湘南までドライブ出来たわけじゃないし、山手線圏内でお洒落なマンションに住めたわけじゃない。六畳一間トイレ共同風呂なしのボロアパートで山下達郎「FOR YOU」が鳴り響いてた可能性もあるわけで、どっちかといえばボクはそこにリアルを感じる。リアルに生きてるか?ってやつね。よく似た背中を見つけるたびに今でも少し胸は痛むってね。


もちろんロンバケは好き。だけどもやっぱり「EACH TIME」に惹かれていくのはインプリンティングってやつなのかもしれませんね。今回のロンバケ40thであらためてその事実に気づいた次第。


それにしてもバスケ部の主将、いまどうしてんだろうか。「金八シリーズ」の直江喜一似(坊主頭でした)だった主将。練習帰りに学校近くのヨークベニマルのフードコートでてんぷらうどんを爆食してた先輩。愛読書は平松伸二の「リッキー台風」で後輩の僕らに指四の字固めをかけたがってたなァ。もちろん卒業式のあと、連行されて堀の中でロンバケしてたかどうかはさだかではない。初めてクリームソーダのロゴ入り長財布、教えてくれたのも先輩だった。制服の裏ボタンロゴは愛裸武勇。渚をすべるディンキーならぬ、中学卒業時にいきなり人生スリップしてしまった先輩の十八番は松田聖子の「風立ちぬ」の替え歌だった。風立ちぬ 今川焼き と部活の帰り道、先輩はいつも歌っていた。その諧謔精神にちょっとだけナイアガラを感じる・・わけないか(笑)

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