散文詩 ウェイトレス(2006年)

あの子は喫茶店のウェイトレスをしているんだよと彼は言う。湿ったシャツの匂いがする。洗剤の匂い。部屋を整えていく時の心地よさが、隠した秘密を洗い流していく。そう彼女は月に三回くらい、充血した瞳を見せびらかしてくるような少女だった。彼女のネイルアートは3秒に4回くらい変化するみたいだった。地下鉄に乗っている時の彼女の横顔、それはフランス人形みたいな睫毛だった。部分の中に全体の情報を持っているホログラム少女だった――そういえば家に帰る途中見上げた家のベランダでは、いくつかのパラソルが逆立ちして、気前よさそうに整列していた。こびりついた水滴と、それにこびりついた裸子植物の匂いが、手をとりあって、行方不明になろうとしていた。雨の季節も終わりだと思った。ベッドシーツに、コンタクトレンズがぱらりと落ちて、やせ細った蚊がその上に止まっていた。触角をうようよさせながら。そういえば氷に熱湯をかけた瞬間、カチカチカチカチ鳴き出して、その音に耳を澄ますのがすきだった。そう口にした彼女の耳はまるでほのかな明かりに照らされて透き通っているみたいだった。毎日路地裏のポリバケツに捨てられていく伝票シートたちのぺらぺらした長方形。夜空にかかった星座をつまんで、口の中で時間をかけて溶かしていく遊びを、いつでも好んでしているせいで、いつもあの子の身体からは、薄荷とツルギソウの香りが、ほのかに薫る。――「そう、家にまで帰ってきたらね、おうちが燃えてしまっていたらどうしようかと思って、少しだけわくわくしていたの。そうしたら?そうしたらね、そこらじゅうから流れ出てくる水たちに流されて、こんなところにまできてしまったの。光でできた、明るく乾いた水たちが、幽霊になって落ちてきても平気なように、白い日傘をさしてたら、そしたらあたりは淡く揺れているみたいになって、赤く咲いている躑躅の花々の姿も、かすんでしまって、朧気になって、ルビーみたいにかがやきはじめて、とてもやわらかな様子だったの、だから食べられるんじゃないかって思った。お馬鹿さんでしょう。だけど朝から何も食べてなかったんですもの。」

(2006年頃に書き始めて2012年に完成)

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