散文詩 対の世界で(2010年)

もっと上手にあたしのことをものにしてみせてよと口にした、きみの素顔をわすれさせていくものおとを追いかけていくあしどり、足跡のついた雪の道を、雲の道を、そう、張り巡らされた光の網目を、たどって歩いた、そこで、何が必要で、何を求めて、何を引きずり廻して遊ぶ気があるのか、今度雪の中で会った時に教えて、と笑った、あたしなんて囲いこまれてしまったらきっとひとたまりもない、簡単にスコップで掬い取られてしまうから、そう、あなたのからだのなかに棲んでいるおんなの人があたしのことを何て言っているのか、見せてごらんなさいよ、そしたらあたしはもっとあなたから自由になって、つめたくなれる、そう、さむい冬に生まれたなんてそんなの知らなかった、裏づけを採ろうとするのがおかしくて無視した、まるで裏庭に咲いている綺麗な花を摘もうとしているみたいで可愛いじゃない、決して鵜呑みにしたりなんてしないって嘘をついた、じゃあどんな動物なら飲み干してみせるつもりだろう、たぶんすこしからかってみたかったんだと思う、本当に関心なんて絶対ないってそぶりで嘘をついたと思わせて、本当に傷つけるつもりなんて絶対なかったなんて口からでまかせをいって、ひとのからだをばらばらにできる人形みたいに考えて、それでどうするつもりなんだろう、もっと中にまではいってくればいい、さむいところに棲んでいるから、つめたいみずのなかに隠れているから、とても暖かいのみものがほしい、のどのなかは冥い、まるで洞窟のなかにいるみたい、まるで子宮のなかにいるみたい、口をあけたら光が見えるでしょう、あたしたちの体が、ありとあらゆる空間のすべてにとけあって、目に見えるもののすべてを、ふたりっきりでいる時のしたわしさの気配で、したしさの空気で、やすらかにコーティングしていくのがわかるでしょう、透き通っている、何か塩の粒よりも、砂糖粒よりも清潔でみずみずしいガラス状の物質を融け合わせて作っている、きらきらしている河のなかであたしたちの体は生まれ変わって、きっと神様に肌があるのならこんな風になめらかなものなんだろうって、思うんでしょう、そう、霊魂はみずのなかに、みえないものの内側に隠れて、呼吸していて、ふくらんだりちぢんだりしていく枕に沈んで、あたしたちはやすらう、ゆれながら、ただよう、そのゆめのどこかで、ずっと高いところにある、明るい水面の向こう側から、音連れてくる誰かの声に、耳を澄まして――「まるでくじらのお腹の中で眠っているみたいなきみの寝顔がとても可愛い、ぼくは幸せだったころのことを思い出してよく泣いた、まるで自分の内側からそういう罰を与えられているみたいに、嗚咽し続けることの心地よさのなかで、体中が蒸発して空気の中にほどけていって、そしたら自分の内側に棲んでいる亡霊たちが、なりをひそめてくれるような気がしていたんだ、かれらはみんな、天使に変わって、もっと静かで、懐かしい歌を、歌ってくれる、そういう気がしてならなかったよ、砂漠の向う、この海のやすらかさの届かないところにさえも、風に載って、記憶に混ざってふきつけてくる、まぶしいさざなみのきらめきみたいに、とどいて欲しいと思っていたよ、そうして僕はきみの歌声をききたくなったんだ」――この夢が醒めたら、あたしたちはまた誰かをさばいて、何かを決めて、きっとだれかに裁かれる、つめたい場所まで、乾いた場所まで、押し戻されて、遺される――むしろ気付かなかったと言われたかった、口先だけでもそういえば良かった、できる限り上手に自分のことをものにしてくれるだれかをさがして、場所をさがして、いつか信じられないくらいに苦しそうな思いをしながら、あたしの手をとってくれた人のことさえも見捨てた、ううんちがう、袖口がすこしほつれているのを見つけて、つくろいたいと思った、追いかけてほしいだなんて、言うわけがない、そんなこと言える筈がない、誰にも気付かせないままで、あたしのいいなりになってほしかった、そういう自分が怖かった、嘘をついた、あなたは笑った、それがどういう笑いだったか、分からなかった、人間関係にあまりにも観念的なものが混ざりこんでしまえばそれは破綻してしまうのだと、誰かが言ってた、あなたが怒っていた時にさえもあたしは無視した、声を震わせ、がまんしきれず、あたしのしうちをなじった時にも、あたしはあたりまえのことしか言わなかった、言うつもりもなかった――「だってこんなの話が違う」「そんな言い訳なんて聞きたくなかった」「もうこの場所には二度と来ないで」「二度とあたしに入ってこないで」「だけれどあたしはどうすればいい」「ここからいったいどこにいけばいい」――アクセサリーに、アクセント、アクセルを踏んで、ばらばらになった貴金属が夜のアスファルトの上できらきら輝いていた、まるでばら撒かれている鍵束みたいに、そのドアに合うキーを見つけられずに、何度も手紙を書き損じていく夢を見た、あたしは様々な色たちが混ざり合っているアクリル絵の具の中にいる、濁った水にひたされたまま、冒されたまま、あなたのことを、あなたの名前を、だれにともなく、口にしていた、アクアリウムで、あたしはあなたに会いたかった、だけれどいつもうまく口にすることができなかった、うまく伝えることができなかった、振り向かせることができなかった、夢の中にでてくる時には、声だけが聞こえて、顔も見えずに、あなたの素顔を忘れさせていく物音の、そのあしどりを、追いかけていた、.足跡のついた、粉石灰の、おとなしい道を、あたしはひとりで、歩き続けて――「前に長い手紙を書いてから、僕の気持ちは変わっていないよ、本当はいつも会いたいけれど、今すぐじゃなくたっていい、自分の気持ちがすぐに分からなくなるんだ、だって僕たちは、離れたところに棲んでいる、全く別の、生き物みたいだったから、自分と違う人間だってことに苦しんでしまうっていうことが、よく怖くなるんだ、どうして誰かを赦さなければ、愛することができないのだろう、どうして僕たちは単純になれないのだろう、自分自身を見失わずに、別の誰かを愛せるくらいに、いられたらいいって、いつでも高すぎる要求を、自分自身につきつけてしまうんだ、こんなにひとのことを感じてしまうのに、苦しんでしまわないわけがないのに、すべてが一瞬で解決してしまうわけなんてないのに、すぐに安心してしまうことを選んでしまうんだ、そうして堂々巡りを繰り返してしまうんだ、僕たちは馬鹿だよ、すくなくとも僕は馬鹿だ、ひとは自分がどこにいるのか本当には知らない、もしかしたらそれはとても単純なことだったのかもしれない、そう、やってくる全てを、引き受けることしかできなかったのかもしれない――そうして僕は、僕たちは、こんな風にしかいられなかったのかもしれない――だから、僕たち自身の向こう側から、いつか誰かがやってくるのを、いつか何かがやってくるのを、待っているんだ、待つしかないから――今すぐじゃなくたっていいよ、だけれど、いつか、またきみの声を、聞ける日が来るのを、待ってるよ、こんな風にしかいられなくてごめんね、いつもうまく伝えられないよね、だけれど、それでも、どこかで、とどいてくれればいいって、思うんだ」

(2010年)

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