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色を「いただく」という動詞に自然に対する謙虚さを感じた

染織家で人間国宝の志村ふくみさん。著書『色を奏でる』の中でこう述べている。「ある人が、こういう色を染めたいと思って、この草木とこの草木をかけ合わせてみたがその色にならなかった、本に書いてある通りにしたのにという。わたしは順序が逆だと思う。草木がすでに抱いている色をわたしたちはいただくのであるから。どんな色が出るか、それは草木まかせである。ただ、わたしたちは草木のもっている色をできるだけ損なわずにこちら側に宿すのである」。自然を相手にした人ならではの言葉がこころに響く。「支配する」のではなく「いただく」という動詞。雪の中でじっと春を待って芽吹きの準備をしている樹々が、その幹や枝に貯えている色をしっかりと受けとめて、織物の中に生かす。その道程がなければ自然を侵すことになる。どうかして草木の色を生かしたい、その主張する声を聴きとどけたい。自然が主であるか、人間が主であるか。この前提の違いは大きいのだ。

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