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【現代語訳de抜粋】:天文学六講・一戸直蔵 著・現代之科学社・大正6年(1917)・第一講「天空の観察」より抜粋

 そもそも我々が肉眼なり機械なりで天体を観ることで天文学研究の基礎となす。このように目でもって感じたものは確実に信用し得るべきものであろうか。こう言うと甚だしく懐疑的な話のように聞こえるが、この点を疑わずにはいられないのである。

 もし同一物件について私が見る現象と他の人が見る現象が違わない、言い換えれば、衆目の見る所が皆一致するならば、それでよろしい。

 我々が目的とする所は、我々人間がこの宇宙を見てどの様にこれを解釈し得るかと言うことであるので、宇宙はどうあるかと言う点はもちろん間はない(訳注:知る由もない?)のである。こう言うと甚だおかしいと思う人もいるだろうが、本当に宇宙を見得たと解釈し得るか、これはかえって分からないのである。つまり我々は我々の感覚を通して見たものを人間の思想で矛盾無しに説明すれば科学者の任務が達せられた訳である。その説明した通りの宇宙がそのまま実在するかどうかは問うことが出来ない。ここで矛盾無しに説明する際に、ある人が観たのと別のある人が観たのとが違うということになると、そのある人の宇宙観と別のある人の宇宙観が違うということになる。いな同一人物でも時によって同一物件を違って見ることがある。人間の感覚はもちろん信用はするが、別々の感覚をそのままにとって宇宙観の構成の材料にすると、人間の宇宙観と言えるものとは没交渉になる。ここにおいて各個人を宇宙の問題の研究の器械と見て、この器械にある一種の癖を研究する必要が起こる。すなわち天文学でも細かい問題を研究する人にとって最も必要なのは、個人の差を消してしまいたいということである。個人的な差を含有しているものは人間一般の解釈として不都合なのである。で仕方がないから、我々は人間の普通の感覚を採用する。言い換えれば、感覚の平均状態というのが我々の研究材料なのである。ここで、この平均状態と、とある個人の目を以って見たところの現象とで、果たして差はないかと言うと、その点に差があるとわかって来た。ついには一個人の研究というものがある場合になると非常に個人的なものの影響を受ける。これを個人差と我々は呼ぶ。個人差というものは天文学者が初めて注意しだしたもので、その後、一科の独立した学科、すなわち実験心理学で盛んに研究されている。

 このような具合に、個人差を研究した結果、人間の視覚によった事実はそのまま信じ得ないと分かったので、それを省くために近頃では写真とか電気学上の現象などを利用して、その結果を研究して、なるべく個人差を消去する工夫を積んでいる。これは天文学にとって大切なことであるので特に話しておく。
(イーフラット訳)

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