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リーダー修行記⑫(へっぽこリーダーの私が『コンパスを持たずに砂漠に線を引いている』話)

前回のつづき)

私はいま、競馬の祭典「日本ダービー」が行われる東京競馬場内を散々迷ってようやくたどり着いたUMAJO SPOT(女性専用ラウンジ)でこれを書いている。もちろんかなり親切に書かれた場内地図は持っている

さて。
「けやきさんは『いちかばちか』で方向を決めてる感じがする」
とリーダーレッスンで言われた私。その理由はうっすらわかっているものの言語化するのは厳しいなと思いつつ、「いちかばちか」書いてみたら、思いもよらぬ結論が導き出せたのが前回の記事(こちら)。

この話をレッスンでしたら、衝撃的な一言を放たれた。

「僕がいつもけやきさんに渡してるルーティン図は、上からフロアを見下ろしてるイメージで描いてますよ」

「・・・・・・・」

そうなの!?!?!?

前の記事で、夫が観ている世界は「立体」で、私が観ている世界は「平面」だという話を書いたが、これを仮にダンスに置き換えてみよう(夫はダンスをしないが、踊る人だと仮定して)。

夫は、天井から見下ろすようにフロア全体を俯瞰して観ていて、「自分がフロアのどこにどの向きで立っているか」を、そこに存在するあらゆる物質(壁や人含む)との距離や位置関係で客観的に把握している。だから、自分が回転しようが想定外にルートを変えようが、正確に自分の位置を捉えることができる。
一方の私は、フロアという名の「平面の板の上」に自分ひとりがぽつんと立っていて、自分の目線からしか空間を見ておらず(しかも見える世界は風景写真)、足元からフロア上に伸びる矢印をイメージしてその軌道を踏むように前進している。基準は自分の脳内イメージ以外に何もない。極端に言えば「砂漠の真ん中でコンパスも持たず、砂上に線を引いている」ような状態である。当たり前だが回転量は正確ではないし、いつか必ず道に迷う。

この話を行きつけの整体師さんにしたら、めちゃくちゃ共感された。
曰く、「2つのタイプのドライビングゲームにたとえると、『自分が運転する車を斜め後ろから観ている』ゲームが僕の視界で、『画面が運転席のフロントガラスのようになってる』ゲームが僕の奥さんの視界」なのだそうだ。
「街中でスマホをくるくる回している人の脳内は砂漠なんですねえ」と感心されたが、私は「なるほど夫は自分の車を斜め後ろから眺める世界に生きているのか」と感嘆した。

思い起こせばこの3年。全体像をすべて把握しておきたいという私のため、ルーティンを変えるたび先生が地図を描いてくれて、毎度それを広げてレッスンを受けてきたのだが、微妙に話がかみ合わないなという瞬間が何度か…そこそこあった。

私「(ルーティン図を示しながら)この辺の『方向』がわからないんですよ」
先生「(フロア上を歩きながら)この位置からこういう軌道を通ってこの辺に行くんですよ」

うん、それはわかっている。私は先生が精魂込めて(かどうかは知らんが、少なくともその時間を割いて)描いてくれた地図をほぼ完璧に頭に入れているので、その通りにフロアを歩けと言われたらできる自信がある。

私「それはわかってるんですけど、『方向』がわからないんですよ」
先生「???なんの『方向』が???」
私「ステップの、『方向』が・・・」
先生「・・・・・」(それはいま答えたという表情をしている)
私「・・・・・」(なんで伝わらないんだろうと思っている)
先生「あ、回転量のことですか?」

うん、まあ…回転量といえば回転量、なんですけどね。
なんだろうか、この、いまいち「違う視点で話をしている」感…。

私、社交ダンス界きっての名ユーチューバー、竹田マサフミ先生の「フロアクラフト攻略」動画が大好きで、特にリーダーを始めてからは、めっちゃ参考になるわ~と何度も見返しているのですが。
あのフロアクラフト図が「上から見たイメージ図」だという発想がなかった。確かに動画内で「2階席から実際のフロアを見下ろして描いている」と話されているけれど、よもや本当に上から俯瞰した図を描いているとは思っていなかった。私があの地図を描くとすれば、自分の足元から伸びる軌道を自分の目線でまっすぐ追うイメージで線を引くからだ。リーダーを始めてからは、実際自分で描くこともあるが、自分の目線が進行方向に向くように用紙を回しながらでないと線が引けない

もしかして、先生たち、用紙を回さずにあの地図描いてますか?

3年もレッスンを受けておいて今さら言うのは憚られるが。
私、先生の描いたルーティン図を、おそらく先生の意図とはまったく違う読み方で読んでいました…。
あれがふたりの教科書で共通言語だと信じて疑いもしなかったが、ぜんっぜん共通していなかった。完全に異言語だった。話が通じるはずがなかった。使用言語が元々違っているのに、「めっちゃ簡単なこと聞いてんのになんでわからんのじゃ」とか思って申し訳なかった…。

思えば2020年、最初の緊急事態宣言のときに始めたオンラインレッスンが私にドはまりしたのは(詳細はこちら  )、あれが二次元のコミュニケーションだったからではなかろうか。三次元の世界線で生きている先生が、オンラインという二次元の状況下でどう教えれば私に伝わるかを創意工夫してくれたので、そもそも二次元の世界線で生きている私にフィットしたのではないか。先生は、ホワイトボードにルーティン図を描いて私に見せながら、どう言えば二次元の画面越しに三次元の世界が伝わるかを相当考え抜いて説明してくれていたのだと思うが、私は「あ、全然普通にわかりますよ」という感じだった。おそらく先生が本当に伝えようとしたであろう三次元の世界はまったく受け取っていなかったが、二次元を二次元で処理していた私の脳はノーストレスだった。

この仮説が正しいとするならば、まるで違う世界線を生きている先生と私は、まったく空間を共有していないことになる。私と夫が空間を共有できなくてもさしたる不都合は生じないが、ことはペアダンスである。パートナーとしてなら、このダンスはそもそもそういうものなのだろうし、若干の気持ち悪さを我慢すれば折り合いをつけられるが、リーダーはどうだろうか。よもや私はリーダーレッスンで教えてもらっている多くのことを、まったく違う方向に理解しているのではないだろうか。ろくに上達しないことの言い訳をするつもりは毛頭ないが、「フロントガラスだけを見て運転している人」に、「自分の車を外側から俯瞰して見ている人」の言うことが、正確に理解できるとは思えない。私と夫が「オマエが何を言ってるのか意味がわからん」と、日々お互いに言い合っているのがいい例である。

性別で安易にくくってしまうのは正解ではないし、私と夫が対極すぎるのは承知の上で言うが、もし傾向としてそこに性差があるのだとすれば、世のリーダーさんの多くは、程度の差はあれど「自分の立ち位置を俯瞰する能力」を持って生まれていることになる。コンパスを持たずに砂漠に線を引いている私がリーダーとして同じフロアに立ったら、ひとりだけ完全に違う世界線を突っ走ってしまう未来しか見えない

・・・・・・・。

あれ。
なんかいつになく絶望的な記事になってません?
まあ、「リーダー修行記シリーズ」はだいたいいつも絶望的なんですけど、これはちょっと重症な結末じゃないですか。いつかリーダーでプロアマに出ると豪語している私にとっては、身も蓋もない感じじゃないですか。

わたくし、今回わりと大きな発見をして、長らく不思議で不思議で仕方なかった夫の驚異的空間把握能力のナゾを解いた爽快感でいっぱいなのですが、肝心のダンスに関しては…

なんだこの阿保みたいに絶望的結論

・・・・・・・。

コンパスなしで砂漠を歩いても迷わない方法を誰か教えておくれ。

(『つづく』かもしれないし『おわり』かもしれない。いやここで終わったらだめか。解決するしかないか。いつかつづきます!多分!)

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