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やらねば

リバビリ。

少しでもなんでもいいから書いて、発表しようと思い立った。走り書きの日記を共有する。

スマホで適当に休みの日以外は短文でもいいので今日の報告をしてから寝る生活をしていきたい。三日坊主になる気しかしない。


今日は休み。

前々から約束していたのだが、今日は後輩が家に遊びに来てくれて、たくさんお話しできた。楽しかった。

互いにVOCALOIDが好きで後輩はクリエイターとして意欲的に活躍している。2018年くらいに活動し始めて5年、そこそこ世間様にも見られていて自分のことのように嬉しい。

さて、ここで自分の人生を思い返してみたのだが、自分は何か一つのことに打ち込めたことがあるだろうか。多分ない。だからこそ後輩を見てすごいことをしているな、と何故だか半分親目線になってしまいながらも応援している。

だが、自分は人の頑張りをみて自分を顧みないほど愚かではない。と思っている。頑張っている人を見て自分も頑張ろうと思えない人間はなんか拗れてる気がする。多分。ただ自分はそうやって反省してもそこから行動しないのが悪いのだけれども。

たとえば山口つばさの『ブルーピリオド』であったように、サッカーを観戦して盛り上がる友を見て「なんでこいつ人の努力で自分が努力したかのように笑えるんだろう」と主人公が思っていたように自分も日々そう思っている。早く行動しろ。

世間一般にはそういった、自ら何かを生み出すような職種は限られた余裕のある人間がやるかのように思われているかもしれないが、自分の周りにはそういった人間と半々くらいで命を削って創作している人間もいる。

自分がどちらになりたいかと言われればそれは後者なのだが、正直そこまで出来る気がしない。だって普通に眠いし本も読みたいしゲームもしたい。

別に自分だって何もしてないわけではない、ただずっと完成できないだけだ。書いては消し書いては消しの繰り返しで日々を浪費している。データが勿体無い。

『チ。地球の運動について』であったように、「誰もが簡単に文字を使えたらゴミのような情報で溢れかえってしまう」という気持ちになるとともに、「場所と時間を超越でき、世界を抜け出すことのできる文字はまるで奇跡」と言う気持ちにもなる。

こういった、「想いを伝え残すことの重要性」を伝える歌にたとえば、いよわの『1000年生きてる』が挙げられるだろう。

にじさんじ所属のVtuber月ノ美兎の歌ってみた動画で再評価されたこの曲だが、いよわを好きだと語っていた割にこの曲が投稿された当初は『ラストジャーニー』『水死体に戻らないで』『IMAWANOKIWA』ばかり聴いていた自分にとっては彼女の歌ってみた動画で曲の意図を深く知り、本当に涙を流した。

過去に自分の作ったサークルで即売会に参加した時にちょうどそのいよわも参加していて、その時に「創作を始めるのに年齢とか関係ないよ」「好きなことやろう」と励ましてもらったのは未だに鮮明な記憶として自分の中に残っている。

彼はきっと覚えていないだろうし、なんなら曲の投稿日から考えても全くもって関係ないのだろうけれど、自分はその言葉に勇気づけられ、さらに『1000年生きてる』で強く背中を押された気分になったのだ。ありがとう。なんだか美化してしまってそれはそれで申し訳ないなと思っている。

とはいえずっと書いては消し書いては消しでは意味がないし、いい加減何かしら発表していかないといけないよなぁ、と思いたち、リバビリとして日記を始めることにした、ということであった。

後輩と出会い話をするたびになんだこう言う、「やらねば」という気持ちに強くなる。言葉じゃなくて行動で示してもらえる自分は幸福だと思う。本当に助かっている。これからも普通に友達として仲良くして欲しい。

自分のこんな何でもない気持ちで少しでも誰かの世界を変えれることができる日がいつか来たらいいよなと、常々思っている。

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