(31) まいにち三題噺【ホラー】本/地雷/新しい城

(31) まいにち三題噺【ホラー】本/地雷/新しい城

「A、本屋さんまでひとっ走り行ってきてくれないかしら」
 Aは母の頼みを快く引き受けた。病名は聞かされていないが、入院したと聞いた時点で退屈を凌ぐ方法が必要と分かっていた。何を用意するかは後にして、真っ先に新しいバイクで駆けつけた。こうして指定を受ければAも楽になる。

「いいとも。その本の題名は?」
「少し待ってね。――はい」

 折り畳んまれたメモを受け取った。中にタイトルが書かれているらしい。

「本は知の拠点、圧政の標的。たとえ身内でも易々と教えてはいけません」
「そういうもんなのか」

 ジャケットの、線ファスナー付きポケットにメモを入れた。「行ってくるよ」と気楽な顔で手を振る。このときAは知らなかった。本屋さんへの道は、決して安全ではないことを。

 バイクに跨り、直線だが休みどころのない道を走る。左右を森林に挟まれて、ときどき動物が飛び出してくる。この道を通る車が少ないゆえに、動物たちが危険と覚える機会もない。

 突然、熊が飛び出してきた。目では離れているように見えても、バイクの速度では衝突まで普段の一歩に等しい。ブレーキ、間に合わない。ジャンプ、まだ安定しない。そうなれば打てる手はひとつだけだ。

 Aは熊の横を通り過ぎようとした。が、熊も同じ方向にずれた。歩行者同士でも時に骨を折るすれ違い失敗を、バイクでやってしまった。Aの体は錐揉み回転をしながら空中に投げ出された。Aは猫ではなく人間だが、今回は不幸中の幸いで脚から着地できた。とはいえバイクは上下を逆に地面に叩きつけられて、そのままの勢いで滑っていった。

「ごおおおん!」

 熊が雄叫びを上げる。突然の出来事に驚き、威嚇しているのだ。状況はお互い同じなので、Aも負けじと雄叫びを上げた。

「ごおおんじゃねえんだよ! お前は無事みたいでよかったよ。でもな、俺はバイクを失っちまった。高かったんだぞ。四〇万円もしたんだ。今日は朝からウキウキだったのが、お前との出会いでパアになっちまった。しかもおつかいを投げ出したとなったら、俺の評判は駄々下がりだ。今月からは人間じゃなくても賠償責任があるんだぞ。お前、なんか言うことはあるかよ」

「それについては申し訳ありません。この道を昼間に通る人間が今までいなかったもので、油断してしまいました。今すぐにはお金の持ち合わせがないので、どうでしょう。今は僕に乗っていただいて、その道中でお金を工面してもよいでしょうか。僕としても目的のお邪魔は不本意なので、できる協力は惜しみません」

「提案はいいけど、俺は今から本屋さんに行かなければならないんだ。あまり寄り道はしてられないし、君を巻き込むことにもなってしまう」

「それならちょうどいいですよ。僕の心当たりは本屋さんの近くにあるんです。買い物の後で、ちょっとだけ付き合ってくださいまし」

 熊の提案は存外に悪いものではなかった。熊は法定速度が定められていない分、バイクよりもずっと早く到着できる。Aは頷いて、熊の脇腹を膝で掴むようにして跨った。

 熊のおかげで、法定速度を前提にした罠を全て回避できた。特に脅威が高い振り子刃を回避できたのは大きい。遠くから見ただけでも赤が見えて、数えきれないバイク乗りを屠ってきたとわかる。

 本屋さんに到着した。店員さんにメモを渡すと、すぐに封筒に入った状態の本を渡された。

「五万円です」
「え、そんなに?」
「ご安心ください。中にお釣りが入っていますよ。お値段からの推測を避けるためなので、どうかご了承ください」

 Aは渋々、五万円を払って封筒を受け取った。この封筒を母に渡すまではなけなしの小銭でやりくりするしかない。店員さんはその様子を見て、一枚のカードを渡してきた。

「もし、お連れ様とのお食事がこんなんになるならば、このカードをお使いください。現金と比べると使える店舗は限られますが、この頃は多くの店で使えますよ」

 Aは礼をいい、熊を探しに行った。建物の中にあるいくつかのテナントを眺めて、熊の足跡を探す。屋外駐車場の前にある事務所まわりへの道に来たら、足跡を見つけた。その近くで待った。中からの話し声に聞き耳をたてたが、扉も壁も厚く、音は何もわからない。

 しばらくすると別の方から熊が歩いてきた。

「おや、どうしました、こんな所で」
「どうってもちろん、君を探していたんだよ。足跡があったからここだと思ったんだ」

「それはそれは。思ったよりお待たせしたようで申し訳ない。私は話をつけたので、あとは向かいの小屋で受け取るだけです」
「そうかすぐに行こう」

 Aは駐車場を横切って歩き始めた。
「お気をつけください。この駐車場は地雷原なので」

 熊の警告がAに届くと同時に、踏み下ろした足が信管を作動させた。足の下にある地面のさらに下で、小さな火花が弾ける。その火花が火薬を刺激し、猛烈な勢いで燃焼した。勢いで駐車場のアスファルトを吹き飛ばし、巻き込まれたAの右脚も吹き飛ばした。重心の支えが二箇所である前提の姿勢をしていたので、脚の一本を失うと同時に、支えが無くなった右側へと倒れる。咄嗟に手で地面への衝突を防ぐ。普段ならば無事に済む所だが今は、割れたアスファルトが鋭い凹凸を作っている。手のひらに食い込み、勢いに負けて皮膚が裂けた。アスファルトに封じられていた破傷風菌が牙を剥く準備が整った。仰向けに倒れこんだAの下へ、熊が駆け寄ってくる。

「Aさん! 意識を確かに! 対人地雷は後遺症を残して負担をかけるための武器なので死にません! すぐ病院に連れていきます!」

 熊はAの体を担ぎ、モールの裏口一階にある病院へ持ち込んだ。医師に引き渡した後、向かうはずだった小屋へ駆けて、お金を持ち帰った。これを治療費にと看護師に渡した。

「ところで君、破傷風菌のワクチンは打ったかね」
「もちろんです」
「エボラは?」
「ばっちりです」
「マーズは?」
「打ちました」
「そうか。それならもう帰っていいよ。残りの話は緊急手術の後、麻酔が切れた後で本人にするから」
「お気遣い感謝します」

 熊は帰り道に向かった。用事を済ませたので帰るつもりだったが、駐車場を通るときに、落ちている封筒に気づいた。確かこれは、Aが母に渡すと言って持っていたものだ。熊は出会った時に、協力を惜しまないと言っていた。この封筒が持ち主に渡らなかったら、熊としても寝覚めが悪い。まずは封筒を拾い上げた。この封筒をAの母が待つ病院まで持っていく。

 ただそれだけだが、熊には一つ不安がある。道中の罠だ。この大型モールへの道は領地に入る者を襲いかかる罠とは別に、出る者への罠が仕掛けられている。しかも、出るほうが苛烈だ。Aが一緒ならば、万が一に備えた残機があった。しかし今は熊一人だ。こんな状況で飛び込むのは、いかに優れた熊といえども恐ろしい。

 店の前でまごついている熊に声をかける老人がいた。

「お若いの、何かお困りかな」

「あなたは?」

「私はこのモールのオーナーだよ。お困りの様子を見て見ぬふりをするのは義に反する。私にできる協力は決して惜しまないよ」

 熊はここまでの経緯を話した。それを受けてオーナーは「ついてこい」と言って、モールの最上階にあるオーナー室へ案内した。

「実はこのモールは、移動城砦なのだ」
「そうだったんですか。何度か来ているのに知りませんでした」
「隠しているからな。それじゃあ出発するぞ。各テナントとトイレの出入り口と窓を封鎖したので、もう秘密は守れる」

 オーナーが鍵を回すと、エンジンの起動音と同時に、モールの下部に六本の脚が伸び、立ち上がった。ゆっくりと一歩ずつ進んでいく。脚の動きは遅くとも、一歩一歩が熊より遥かに大きいので、移動速度は熊の全速力よりも速い。

「こいつはすごい!」
「そうだろうとも。敵がどこへ逃げようとも必ず追いつける」

 数々の罠が待ち受ける道を楽々と踏破していく。熊は移動城砦の溢れるパワーに目を丸くするばかりだ。そんな楽観的なオーナー室に警報が鳴った。足元からの攻撃だ。森林に隠れてロケットランチャーを構えた人影が並んでいる。

「どうしましょうオーナーさん! 一体何者がこんなテロ行為を!」
「落ち着くのだ熊くん。彼らはこの地域に逃げ込んだとされるレジスタンスで、名前とかはこっちの資料を読んでくれたまえ。私たちは体制派じゃないから、武装解除だけしておこう」

 オーナーがギアを操作すると、屋上の貯水槽に見せかけていた大型の機銃が動き始めた。強力なKTW弾が的確にロケットランチャーの弾頭を撃ち抜き、使用不可能にさせていった。

「よしよし。これでもう大丈夫だ。発車するよ」

 オーナーは精密射撃を難なくこなしてみせた。熊はその様子を見て、まるで射撃ゲームをやっているかのように感じた。熊の腕前はキルレシオを四捨五入しても〇だった。画面を見ての射撃は難しいと理解している。オーナーの実力をもっと見たくなった。

 まもなく病院の敷地が近づいてきた。門番が拡声器を使って声を確認する。オーナー室はトラックよりも高い位置にあるので、門番は言葉をひとつずつ叫んでは息継ぎをする。

「いらっしゃいませ。この先はZ病院ですが、お間違えは無いでしょうか」
「ええ、間違いなしです。入場料はおいくらでしょうか」
「当院は入場無料となっております。どうぞお入りください」

 門番の案内を聞いて、発車した。

「ですが気をつけてください。駐車場の手前には対移動城砦地雷が並んでいます」

 その言葉を聞いてオーナーは大急ぎでハンドルを切った。しかし脚の着地場所はまだ悪く、信管が作動した。この対移動要塞地雷は、黒い未亡人と呼ばれる対人地雷をベースに改造したものだ。地面から飛び上がり、想定した高さで鉄片の雨を撃ち込む。卵型が飛び上がり、オーナー室の正面に顔を見せた。一瞬の間を開けて卵が割れて、鉄片がフロントガラスを叩いた。砕けたメタクリルの窓がオーナーと熊を襲う。ソファを、電灯を、表彰状を、灰皿を。鉄片の嵐が室内の調度品ごと切り裂き、運転手に運転を中止させた。爆風の渦が軽くなった調度品の破片を窓の外へ放り出していく。

 Aの母は窓際のベッドにいる。爆発音を聞き、窓を開けて身を乗り出した。髪を左耳にかけて、何が起こったかを目で確認する。飛来したものを咄嗟に掴む。約束通りの封筒だ。

「なあAの母ちゃん、何の音だった?」

「うちの子に頼んだ本ね。届けてくれたみたい」

「賑やかでいいね。よかったらコツを教わりたいな」

 Aの母は同室の患者との仲を深めて、サプライズプレゼントを労うサプライズ計画を一緒に考え始めた。


―― この作品は2021年03月31日カクヨムに投稿したものです。 ――

私が書きました。面白いツイッターもよろしくね。 https://twitter.com/key37me