『海亀が旅立つ港』

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1話:『グッバイ・マイ・エンジェル』https://note.mu/key37me/n/n673956ed636a
 塔の高く、展望台への門をくぐった。
 壁一面を埋めつくす透明な六角形が、遠くの風景がまるで目の前にあるかのように映していた。下向きのひとつは見覚えのある道を、別のひとつは歩んできた街を映した。天井に近づく梯子を用意すればもっと遠くも見えるだろう。

 レグネーベルの到着に気づいて、巨体の大亀が四歩をかけて振り返った。
「ようこそ、モニくんからの手紙で聞いているよ」

 長老の一声で誰もが厳かな雰囲気に包まれた。
 これを最初に嫌った、長老自身が戯けた雰囲気に戻す。
「聞いた通りのべっぴんさん、よく来なすった」
「本題の前にひとつ。彼はなんと?」
「一文を紹介しよう。『確固たる意志、絶え間のない鍛錬、加えて妖艶な身のこなしと儚げな表情』から続いてな。儂もその通りに思うぞ」
「そうですか」
「目的の他は脇目なしか。あの鳥小僧もいい好みをしている」

 黄色い話題を無視されたので、あるいは役目を果たしたので、長老は透明な六角形のひとつを指した。
 覗き込むと遥か下にあった建物のひとつが、目の前にあるように大きく見えた。
「こいつが頼まれていた、船着場だ。泳ぎ大亀の健康状態もいい。しかし──」

 手元に六角形の資料を取り出した。
「返事にはああ書いたが、その後で情勢に重大な変化があった。君もご存知の、あの球状と五本足のボットがうようよと浮かんでいる。寄せ集めの兵団ではまだ陸地が精々だ」

「この図は、本当にこれで泳げるのですか」
「儂も見たときはたまげたさ。この細い脚の先だけで滑るように泳ぐ。どこまでも不気味な奴らだよ」

 レグネーベルは思索を巡らせた。待ち受ける状況、持てる技術、使える道具、得るべき結果。
「危険なうちは出たくないそうだ。儂としても、同族をみすみす失いたくはない」
「では、私が護衛も兼ねて、と」
「一人や二人で足りるとは思えんがね。もっとも、聞いた通りに聡明な君なら策があるのだろう。危険でさえなければ出るそうだから、その策を見せてやってほしい」

 長老はレグネーベルの背後へ声をかけた。
「そこのトカゲ小僧、案内を頼むよ」
「なんなりと」
 
 長老は「おお?」と外を見た。透明な六角形がはるか遠くの風景でもすぐ近くのように見せた。
「すまんが、珍しいものを見つけてしまった。しばらく邪魔をしないでほしい」

 のぞき見ようにもはるか高い位置の六角形が映していたために、体の小さな者たちにはとても届かなかった。長老はまとめておくからと夢中で観察していた。
 静かに一礼して塔を降りていった。

 付き人に案内されゲストハウスへ通された。
 長老の一声のおかげか、この地に特有の文化か、これまでになく手厚い待遇だ。

「御用はいつでも、なんなりとお申し付けを」
「ありがとうね」

 部屋を見渡した。
 広々とした一部屋に一通りの家具が置かれて、そのどれもが大きかった。寝台の両端まではどう手足を伸ばしても届かないし、天井は遥か高くに見える。
 まるで自分の身が小さくなったように感じる。

 その豪勢な間取りに反して、水回りだけは外にちんまりと置かれていた。

 ひと通り確認したので、付き人の一人を呼び、メモを書いて渡した。
「これ全部くれる?」
「揃えます」
短く答えてすぐに外へ向かっていった。

 自分も行くべき場所がある。案内を頼んで発着場へ向かった。

 到着するとやはり大亀が迎えた。
 大きさは長老よりも小さいが、それでもレグネーベルをわずかに上回る。
「あんたが件の旅人か。悪いが欠航だ」
「危険だから?」
「もちろんだ。俺のハニーを危険にさらすのは御免だね。それに、あんな島までわざわざ旅をする理由なんて、ろくでもないに決まっている」

これを聞いてレグネーベルはひとつ引っかかった。
「どんな島かご存知の様子、詳しく教えてくださる?」
「詳しくって言われてもな。あそこは砂漠と小さな家の他には何もない島だ」
「そうなの。何もないって──砂の下には?」

「下? いや、そこまでは見てないが」
「いい情報です、ありがとう。やはり行かないと」
「乗せないぞ」
「ちゃんと守りますよ。足を失ったら私も困りますから、守るための武器を用意してもらう所です」

 大亀は呆れたように、もしくは期待するように答えた。
「──実演を見てやる。整ったら呼べ」
そして背を向け、話を切り上げた。

 建物から出た。
 この街に来てから見ていないものがある。その違和感はどの建物でも同じようだ。

 柱が一つもない。
 高い塔の昇降も梯子を使っていたし、どの建物も広々とした一室のみで区切りがなかった。

 これについて付き人に問いかけて説明を受けた。

 ここは建物が生きている街だ。
 大亀の雌は、甲羅が成長と共に積み重なって伸びていく。そうして余る空間に、大亀の雄を含む、小さな生き物たちが住んでいるのだ。

 多くの大亀は二階三階程度で崩れてしまうのだが、高く高く伸びるものもある。

「あの塔の下には、まだ生きている大亀がいるそうです。今まで──私めが産まれるより前からずっと崩れたことがないと聞いております」
ひと呼吸をして「それから、大きすぎて動けないので地中で眠っている、とも」

 話がてら脇道に案内された。
「こちらをご覧ください」
言う通りに建物をどかしたような窪みを覗き込むと、そこには割れた半球状の残骸があった。
「ここが大亀の産卵地ゆえのものです。ちょうど産まれたばかりなのがこちらです」

 この街ではいざとなったら建物ごと動けるので、凶暴なボットに対してもあまり危険視していないようだ

 ゲストハウスに戻ると、箱が並べられていた。
「おっしゃっていた品です。ただ、武器に関してはこれしか見つからず。失礼ながら扱えるでしょうか」

 そう言って見せた箱には、竹の両端を糸で繋ぐ弓と、十本の矢、そして三本指の籠手が入っていた。
「まあ、いいけど」
説明書と射撃場への地図を確認した。
「ありがとうね」
「恐縮です」

 試しとして矢を番えないで引いた。説明書の通り、籠手の親指を握りこみ、根元の隆起で糸を引く。
 構えるときに使う筋肉を意識し、その姿勢を体に馴染ませた。
 放つときは、こう。右手を捻るように糸を解放した。衝撃の程度も覚えていった。
 過去に使ったことのある弓と比べて、狙いにくく、体への負担も大きい。一朝一夕の腕前では話にもならないだろう。
 しかし幸運にもこれを補う方法を持っていた。
 手早く魔法陣を描き、呪文を唱えた。夕食も後回しにして矢に魔術を込めていった。命中した相手を貫く術を、そして狙いを補正する術も。

 思い返すと、道中もリッチの魔術に助けられ続けていた。もしも出会っていなかったらと思うと──。

 感傷に浸るには早い。ぬるくなった夕食を口に運び、それぞれの荷物を整えた。

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 朝一番に、長老が訪ねてきた。
 ボットが現れて手紙を持ってきたそうだ。
 ──親愛なるレグネーベルへ。
 署名も書かれていたが、これはレグネーベルが知らない言語だった。
 勝手に開けるわけにもいかず、本人の元へ持ってきたのだ。

 ──きみは私を破壊する一心で、はるか彼方の地からここまで歩んで来た。歓迎しよう。盛り上げるためのボットはすでに整っている。決着を見届ける者と共に来るがよい。

「ところで、この名前にはいくつかの記録がある」
 長老が六角形の資料を見せた。
 知らない言語ではあるが、同じ形の字であることはわかる。
「共通するのは、何か関わりある者に向けて手紙を送っていることだ。今回は君のようだね」

 若い大亀が口を挟んだ。
「これは本物かい?」
「確認してみましょう。デリィ」

 一声で呼ぶと、ゲストハウスの奥から青い体のジャッカルが飛び出してきた。
「ほう、この電生物は、物体の記憶を読めると噂の者か」
「ええ、私も出会ったばかりですが」

 デリィが鼻を当て、すぐに離した。
「マエトオナジ オヤダマ ミエタヨ」
「本物のようね」

 内容について思いを巡らせる中、長老が口を開いた。
「ところで、書かれている『見届ける者』に立候補してもよろしいかな」
驚きの視線が集まった。
「儂もな、このところ展望台から眺めるばかりで、目の前で見る機会が少なくてな」
「しかし、俺のハニーだけにとどまらず長老まで危険に晒すなど──」

「見届ける者が必要だと言うなら、つまり危害を加えるの意思は薄そうだ。記録にまとめてはいないが、それらしきものも読んである」
「とはいえ楽観が過ぎるのでは」
「そうして生きてきた。君の六倍な」

「儂は恐れていないよ。ところで──」
長老はレグネーベルを気にかけた。
「必ず生きて帰れ」
「どっちでもいいでしょう。私にあるのは目的だけだから」
「あの電生物、嬢ちゃんを慕ってるだろう」

これを聞いてデリィはひとつ尾を振った。
「それからモニくんもだ。帰ってやりなさい」
ひと呼吸をついてから答えた。
「二番目の目的として覚えておくわ」
「素直だな」

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 体調を確認して、出発の時がきた。荷物をまとめて、大亀に乗り込んだ。
 身軽かつ安全に、マントと全顔の防塵マスクをつけた。
 ボットの正確な襲撃を受け止めるのは困難そうなので、受け流すための小さな盾、バックラーと、その裏に火薬式の銃を仕込んだ。

 道具は重要度に応じて小分けにし、いつでも手放せるようにしている。
身軽さは何にも勝る優位となる。大きいものから使い、邪魔になったものは捨てる。
 最悪でも身ひとつである程度は動けるようにした。

 準備が整い、いよいよ大亀が動き出した。
 遠く見えた島がゆっくりと大きくなっていく。

 船員の大亀が逸早く気づいて声をあげた。ボットが細い五本腕で泳ぎ近づいている。
「やっぱり来たじゃないか! 約束通り俺のハニーを守ってくれ!」

 レグネーベルも見張り台に駆け上がり、弓に弦を張った。
「あそこだ」と指す先を見た。斜め前方に一体だけだ。

 動きを見ながら腕を伸ばし、顔の前で指を立てた。大きさが前回と同じならば、距離はおおよそ七十メートル。ふらふらと左右しながら近づいて六十、五十、四十メートル。

 近づくのを待ちながら弓を引き絞り、放った。
 元より当てにくい和弓がさらに水しぶきで煽られたが、込められた魔術のおかげで軌道がボットへと吸い寄せられ、貫いた。

 水柱を立てて爆発し、ひとときの安全を得た。

「まだ来た! 今度は二体だ!」
 左右から挟むように迫ってきた。同じ距離まで待っていたらたどり着かれてしまう。
 そうなっては賭けに出るか、矢を多く使うことになる。絵部べきは確実なほう、つまり無駄遣いを受け入れることだ。引き絞った弓をまだ少し遠いうちに放った。
 幸いにも第一射より安定した。それでも命中は魔術による補助があってこそだ。
 すぐ近くまで寄っていた一体にも同様に放つ。これまでより大きな水柱が立った。顔に冷たい飛沫がかかった。

 周囲を警戒した。背中を合わせて、左右の半分ずつを分担する。目を皿にして、前を中心に横、後ろと見渡した。

 続く敵が来ないまま、岸と海面の境が見えるまで接近した。本当に盛り上げるためだけかもしれない。

 そうこうするうちに浅瀬に停まり、長老が水に足をつけた。その甲羅にレグネーベルとデリィを乗せ、上陸した。

 島だと聞いていたが環礁じゃないか。
 土や岩ではなく珊瑚礁が海面より高くに出ている地形だ。
 これでは魔法陣を描けない。複数の生体にを跨がって描いても無意味なのだ。
 その内側に砂が蓄えられているとあり、やはり下がありそうだ。

 慎重に、奥へと踏み込んだ。
 小屋を目の前にしたところで、眼前の砂が揺らぎ、沈んでいた巨体が浮かび上がってきた。

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