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創作小説(10) 金銀財宝日(きんぎんざいほうび)に婚約指輪を

令和5年5月6日(土)。次郎は彼女の一美と街に出かけた。

「次郎は8月生まれだったよね。」
「うん。」
「じゃ今日が、き、金銀財宝日じゃ…。」
「え…。」
「ともかく今日ラッキーなことばかり起こる日だから。」
一美は次郎に向かって親指を立てる。


とりあえず喫茶店に入った。
「最近、仕事でストレス溜まってて…。」
次郎は一美に相談を始めた。

「そぉら、大変だなぁ。」
初老の店員が話しかけてくる。
そして、初老の店員は二人に向かって親指を立てて
「そぉら、そぉら、そぉら、そぉら。」と言いながら、喫茶店の割引券が机に降り注ぐ。
(「そぉら」のところで他の店員や客は二人に向かって両手の親指を立てる。)

「やったね。もらっちゃおう。」
「まずいよ。」
「だって今日は次郎の金銀財宝日だよ。」
一美はカバンいっぱいに喫茶店の割引券を入れて、次郎は何も持たずに一美の手を引いて、喫茶店を後にした。

「なんか、変だったことない?」
「何が?割引券が28枚ももらえたんだよ。ラッキーだよね。金銀財宝日のご利益だよ。
でも何も飲食できなかったから、お腹すいちゃった。」

ちょうど目の前にカフェがある。二人は入ることにした。


入店後、二人はまずは飲み物を注文して一服し、メインのサンドイッチが供されるのを待っていた。
「でさ、さっきの話の続きなんだけど、最近、仕事でストレスが溜まってて…。」

「もうそんな仕事、放り投げろぉ。」
若い店員が話しかけてくる。
そして若い店員が二人に向かって親指を立てて、
「ほぉれ、ほぉれ、ほぉれ、ほぉれ。」と言いながら、皿の上にどんどんポテトフライが降り注ぐ。
(「ほぉれ」のところで他の店員や客は二人に向かって両手の親指を立てる。)

「やったね。また金銀財宝日のご利益だよ。」
「え、なんか怖いよ。」
「だって今日は次郎の金銀財宝日だよ。」
一美は指にたっぷりの塩をつけつつ、まるでハムスターのように口いっぱいにポテトフライを入れた。
次郎は何も食べず、一美の手を引いてカフェを後にした。


「なんか怖くなってきた。今日は帰るね。おやすみ。」
と言って、次郎は走って駅まで帰った。
「あっ、待って。」という一美を置き去りにして。

次郎は思った。
本当は前回のデートで良い雰囲気だったからプロポーズをしようと思ったのに…。

一美は思った。
次郎と一美はお互いに34歳。
結婚するには良い年頃だ。
なかなかプロポーズに踏み切れない次郎の後押しをしようと、一美は次郎の金銀財宝日に合わせてサクラを仕込んだだけなのに…。
やり過ぎてしまったか…。

一美は少し泣いて、街を後にした。
最も欲しかった、次郎からの婚約指輪は指にはない。
この指に婚約指輪が光っていたら、どんなに幸せだっただろう。
それでも一美は「次に会った時は、この指に指輪を光らせてみせるんだから。」と自分に親指を立てた。
そして、手のひらを街灯にさらして指を一本一本眺めた。


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