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【自己紹介】地球に来てからはや何年だっけかな?・・🌏

【The VILLEDGE公式LINE】
ではインスタなどでは

決して見せない…であろう

僕の素のまんまんまや
創世縁日の舞台裏を

可能な限りお届けする場として
あらゆる裏側を発信しています🔥

↓KoshiやVLGの裏側を覗いてみる!!

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それでは今回のお話・・・

いつも伝えたいことが多過ぎて中々伝えきれないのですが、まず僕が何を考え何をしてきただとかを知ってもらってると、僕が一体何を伝え、何がしたいのか、

伝わりやすいのかなぁと思い、ふとこうして読んで頂ける皆さんだけにでも、届くように、文章にして書いてみます。

今読んで下さってる方、お1人にでも届けば、書いて良かったなぁと思えます。

これでもかってぐらい長いですが、ゆっくりお付き合いいただけますととっても嬉しいです

それでは…


改めまして!初めまして!!
Koshi改め、吉田昂史(こうし)といいます!!

っていきなりトーン上げなくていいですね…笑

ロン毛前・・この爽やかさはどこへ?

僕は1990年生まれの、現在33歳(2023年時点)
生まれ育ちは京都府で、南部にある京田辺市という場所のドがつくほどの田舎で育ちました。

そうですね、じゃあまず、今の僕の活動からお話し始めてみます。

「誰もが自分のお役目を見つけだし、やりたいことだけに生きられる世界を創る!」 

ことを目的として、現在は潜在意識を
書き換え、天才性と豊かさを引き出す

マインド講座をしたり講演などをしたりしながら

人類みな家族を目指す活動家コミュニティ
The VILLEDGEという

枠に囚われない、とにかく際立った個が
集まるネオなコミュニティを
主催していたりします。

この競争社会でいつしかすっかり"自分らしさ"なんて失くしてしまって、日々お金の心配をしながらほんとの幸せが何なんのかなんてことを考える余裕すらなく、走り続けてる。

そんな方って多いと思うんですよね。

それは全て、誰かの意図があって
作られた世界で、それがさもこの世界の
真実みたいに扱われてる。

メディアなんて、科学なんて、
常識なんて、全て偏った意図が作り上げたもの。

その上で僕たちは、掴むことのできない雲のような幻想のお金持ちや成功者という幸せを追い求めていた訳です。

そんな状況から日本を、日本人を揺り起こしたくって、おかしいでしょ!!って声を大にして伝えたくて、今の活動をしています。

何故日本が自殺やガン、
いじめが先進国一多い国になったのか、

何故精神性豊かと言われた日本人が
自殺大国なのかって

答えもなく自分と人をいじめ続けて、ゴールも終わりもないレースがいつまでも続く人生

そりゃ自分で終止符も打ちたくもなりますよね。

でも、それでいいんか!!って
んな訳きゃあ、ナイわけで。

その、えも言えない、違和感、
不条理さを無視できずに、せずに生きてきました。

僕自身も疑心暗鬼と苦悩の中にもがき続けました。
おかしい、おかしい、絶対におかしい!!

そうしてやっと、ようやくその想いを表現し自分のメッセージを伝えられるようになりました。

そして、自分に出来る形でこの日本を
揺り起こし、

誰もが自分らしい
ほんとに豊かな世界を取り戻したい!!

そんなことを本氣で想っています。

こうしてご縁があって繋がれる
皆さんに僕がどんなやつで何がしたいのか

まずは少しだけでも知っていただき
繋がって頂けると嬉しいです。

現在は大阪の中心地、梅田に
拠点を持ちながら、(2020年頃から月に1.2回程度しか家に帰らないレベルですが・・・)

日本⇔バリ⇔韓国⇔その他なんかを
中心に日々全国を
動き回りながら活動をしています。

(家要る?!と言われますが、念のためです・・)

全国津々浦々を周りながら各地で
リアルイベントや講演会をしたり

リトリートツアーをしたりしながら、
Instagramなんかを通じて、
想いやメッセージを表現し続けています。

今このブログはバリで東南アジアの

風を感じながら書いていたりという具合に
まぁあちこち移動しながら、生きています。

現在その他にも以前にクリエイター
スクールの経営をしていたこともあり、

SNSや様々なプロジェクトの世界感作りを
お手伝いするクリエイティブディレクターとしても

依頼を受けることもあります。

しかし、さっきお話ししたように、
僕のメインとしての活動と目的は、

セミナーやイベント、あらゆるプロジェクト、
個人セッションを通し、

「眠らされた日本人の遺伝子を揺り起こすこと」です。

全ては自分の感覚を信じるところから始まりました
どこからともなく、同じ感覚を持つメンバーが集まった
名古屋オフ会
神様の正体を物理的理解しようだなんて・・
2022を振り返ってやるべきことに確信した
ほとんど全員会ったばっかりなのにこの一体感なに
人前には死んでも出ないと決めていたのに・・
真実の歴史を紐解き
自分らしい生き方を伝えるお話会

わかるようでわからないような、、
結局こいつはなんなんだ??

そうですよね・・・今日はどんな流れで僕が今の活動にたどり着いたか、これまでの人生を振り返りながらお話ししたいと思います。

ゆっくり、じっくり説明させてください🙏

かなり長いので、お時間がある時に、今日はなかなか寝れないなぁ〜なんて時にでも、分けたりしながら読んでみて下さい。


これは、僕がどうやって自分の違和感と向き合い、どう違和感の正体を掴んだか、そんなお話です。

幼少時代:"おかしな始まり"

僕の人生の序章は中々にエンタメ性に
溢れる幼少期から始まりました。

みなさんね、朝起きて、まーったく知らない部屋にいたらびっくりしませんか?

しますよね?えっ!!なにっ?!どこっ?!
って・・・そりゃそうです。

でも、僕たちってある日氣がついたら知らない惑星(ほし)に居たんですよね。

生まれる前に説明会あった人いますか?
ないですよねww

でも物心が付くという、始まりは不思議なもんで、スゥ〜っとヌルヌル〜っと、氣がついたら人生が始まってたくらいに滑らかなんです。

だからいきなり知らないところに
来た違和感がない。

でも、これが僕の場合、
違和感バリバリに感じてしまったんですよね。

それは幼少期の環境の中で、あまりの苦しさに、あれ?!これ、なんなんだっけ?!

ここ、どこだっけ?!

はっきりとそんな感情が
芽生えたところからでした。

そこから、僕の人生は始まっていきます。

苦しさって何かって、親の教育の厳しさと、
地域、学校からの孤立でした。

家には鍵はかけず、家に帰れば玄関にはご近所さんからのお裾分けの野菜が置いてあったり、

雨が降ればご近所さんが勝手に洗濯物を入れてくれる。そんな関わりが日常の、家族のような関係で付き合える"村"で育ちました。

だけども、幼少期の僕は"居場所がない"
そんな経験をして育ちました。

家庭内では父からの教育が厳しく、家に居る間は常に怒鳴り声の中で生活をしました。

怒鳴り声への抵抗が強くなり、
大きな音や犬の鳴き声なんかにも

身体が硬直するようになっていました。

暴力も、当たり前、常に厳しい叱責を受け

手足や口までも縛り付け、
"蔵"の中で「反省」させられる毎日でした。

蔵ですよ?蔵?いつの時代?!笑笑

山奥に置き去りされ泣きながら、
裸足で家を探して走りまわったこともしばしば

でも何より辛かったのが、
名前で呼ばれなかったことでした。

"落ちこぼれ" "人間のクズ" "嫌われ者"

どれも僕にとって馴染みのある呼ばれ方、あまり名前で呼ばれた記憶はありません。

教育熱心な父からは、結果こそが全てだ
備えて備えて、世間一般以上に

幸せになることが大切であると、

人生は楽しんでる余裕などないのだと

そう、教わりました。

もちろん父なりの大きな大きな愛情です。

今ではすっかりこの愛情を受け取れるようになり、全てが感謝と、僕にとっての愛おしくも懐かしい、かけがえのない体験です。

反対に母は、僕にとって太陽のような人で。
大き過ぎる安心で常に包み込んでくれました。
そりゃぁもう、とびっきりの愛で。

当時の僕には、父がいない時間だけが僕にとっての安全地帯みたいな感覚でした。(父の愛を受け取れる僕の心が、育ってなかっただけね。実際は父が僕に与えてくれていたものは計り知れないほどありました。)

母には"あなたは天才よぉ〜"と育てられました。
うん、混乱しました。

え?クズで、天才?どっち?!ww

まさしく正反対な両親の間で、どっちなんだろう?常に大きな2択がそこにある氣分でした。

父はもう、ザ・物質主義!!努力、根性、ウサギ跳び!辛抱、我慢、忍耐!!見えるもの、物質!お金が全て!みたいな感覚

実名が「武士(タケシ)」なので、もう耐え忍ぶ戦い丸出しですよねww

反対にドがつく程にスピリチュアルな母には、習い事で瞑想研究者に行かせてくれたり、あらゆる能力者らしき人たちに会わせてもらったり。

斎藤一人さんだったり、ひすいこたろうさんだったり、本田健さんだったり精神的なことを中心に毎月あらゆる精神論が書かれた本を僕にプレゼントしてくれていました。

母曰く僕が7歳でヘブライ語を話しただとか?

あまりにも理解を超えてくる不思議体験の連続に物理的解釈のできない領域を封印することにしました。これが僕のスピアレルギーの始まりw

だめだこりゃと笑

「見えない世界」なんてダメですよ、そんなん土台にして行きたら社会で生きていけない笑

(実家のお庭には表庭にも裏庭にも神様のほこらがあったり、神社みたいに総檜で造られていたり、そもそも造りからして不思議なお家なのです)

家庭内ではそんな感じ、

学校ではというと、まぁ性格もあるでしょうね
とにかく好奇心旺盛で、違和感に素直なので、
まーったく馴染めませんでした。

教室に座ってることができなくて、1人で教室の端っこにダンボールの家を作って授業中も、「先生、僕は自分のやることやってるから、邪魔しないでね。」みたいな感じで、、

でも、えらいですよ、父に怒られたくないから学校には行かないといけないけど、自分のパーソナルスペースは守りたいから、教室に安全地帯を確保してたんですね(笑)

やっべぇやつですよねww
あいつは何やるかわかんないから関わるな、みんなにそう思われてましたねw

そんなもんだから、友達は出来ず、みんなの家にも1人だけ入れてもらえず、石を投げられて追い払われたり。

氣がついたら家でも、学校でも、塾でも、1人の場所を探して、悶々と自問自答をしていました。

“人は何のために生きるのか”

そんな問いが頭を離れなくなりました。
これ、小学生。絶望早すぎるでしょww

両親の少々行き過ぎた教育と地域コミュニティとの摩擦により、何かが開花したんですかね、

ガンジーやキング牧師などの思想家、宗教家の影響を受け、人生について俯瞰と内観を始めたりしました。

今思えば活字中毒みたいな節があり、取り扱い説明書でもなんでも、片っ端文章を見つけては読むんだり、何か親のビジネス書やビジネスセミナーのVHSビデオを引っ張り出しては学校を休んで読み漁ったり、見続けていた記憶もあります。

何にでも新しいものに関心を持ち、ずーっと何かを探して、実験したり勉強したりしてました。

ど田舎なので竹やぶをかけまわったり、川や崖や沢に遊びにいったり、ボートを使わないといけないような凝りすぎ秘密基地を作ったり、見おう見真似に集めてきたモーターだとかで綿菓子機を作ってみたり。

とにかく好奇心旺盛、なんでもやりたい。
機械を見つけたら片っ端から部品を分解してしまうようなクセもの。(よく怒られました)

流石にこのあたり変わってますよねぇ(笑)
目を向ければ楽しいものって、沢山あって、こんなに楽しいものだらけなのに。

だから思い切って小学校3年生の時に花火大会のチラシを自分で描いて、家のコピー機で100枚ぐらい印刷して近所にばら撒いた。

子どもの言うことだと信ぴょう性がないだろうと主催者に役所勤めの父の名前を添えて。

結果、夜19時頃まで時間がわからなくなるぐらいまで配ってた。

近所に配り歩いてる時に父に首根っこ捕まえられて、「お前一体なにしとんじゃぁぁあ!」
「ひぃぃいいい!!!」という具合にまんまと捕まり、蔵へ直行でした。

その時の僕の一言が自分で忘れられない。
父の「なんでこんなことしたんや?!」
の問いに対して僕「だって、花火大会したら絶対みんな、た・・楽しいやん‼︎」(笑)

そこから、もしかしたら今みたいにみんなのきっかけになるような何かがしたい。
そんな種が僕にはあったのかもしれませんw

僕の小さい頃の夢はみんながワクワクできる
「テーマパークを作ること」でした。

でも何故いつも、みんな否定しあって、
何故いつも、みんな競争して
文句いいながらやりたくないことをしてるのか

何よりとにかく争いや競争が嫌いでした
競争が苦手で運動会は常にエスケープするほど。

みんな仲良くすればいいのに、
何故どんどん溝ができていくのか。

ずっとそんなことを考えてた記憶があります。

あらまぁ愛くるしい!
この時代からタンクトップやったんね!!

高校/ダンス時代

話は進んで高校時代、京都のとある仏教色の強い私立高校、大谷高校ってどころに通いながら、総勢50名程のストリートダンスチームを立ち上げていました。
あの、千本鳥居で有名な伏見稲荷大社の近くにある高校です。

今考えると、のちに数々のコミュニティを立ち上げる僕の人生初となるコミュニティでした。

何か情熱のぶつけどころを探していた僕は水を得た魚たちのように燃え上がっておりました、ええ。

レッスンだ合宿だと日々仲間達と本氣のぶつかり合いをして過ごす。

この辺りはダンス以外の記憶なし。でも、高校時代って大体部活とか?恋愛とか?に明け暮れるもん?なんですかね?

皆さんはどうでしたか??

人生で初めて心を燃やし、心のエネルギーを使った時期だったように思います。毎日人生を語って、メンバーを集めて、イベントをして、トラブルの対応をして。

心を通わせるのが最高に楽しかった。でも、今でもその氣持ちは変わってないなぁって思いますかね・・。

別に会うことはないけど今でも
ハートは繋がってる兄弟達、まだまだ居た
高校時代は基本丸ボウズ
この時はあるある探検隊西川くん状態

大学時代/競争社会本レースへのカウントダウン

大学時代は、一人暮らしをしながら神戸の私立大学に通っていました。人生の目的はダンスだけではないんだと、新しい環境に行くんだ!!と。

ドの田舎もんの僕がお神戸に出るだなんて!!
もうなんか、ホビットのビルボがガンダルフに誘われて中つ国の冒険に出るような、そんな氣分でした。

実際は同じ関西県内で阪神高速で1時間、、
でも当の僕は「NYのたいむずすくえあー」にでも行くような氣分、ドッキドキでしたよね。笑

一度出てみたら慣れたもんです。ごくごく平凡な大学生活。一つ言うなれば、どこかサークルに入ったりだ、グループに所属することもなく、ただ将来を憂いてました。

まぁ、英語の勉強ぐらいはしておこうか、ぐらいなもんで。

特別何か描くでもなく、ダンスをしたり、バイトをしたり、友達と将来について語り合ったりしながら、迫り来る社会への不安をただ、憂いていました。

この頃は、よくある、何かで起業したい、でも何から始めればいいかわからない。

そんな感じだったんだと思う・・・

何かは明確じゃないけど、起業したいっていう人のほんとの真意って、自分らしく生きたいとか、自由になりたい!っていう象徴的な表現なのかもしれませんね〜

大学4年生にもなると、いよいよ何かアクションをするしかない!と、一念発起。

自己啓発本を読み、自由に生きたければ自由に幸せに生きている人に聞くしかない!と、ひたすら社っ長ぉさぁん!!を探しては話を聞きにいく日々を過ごしていました。

自由で幸せな人の定義が=社長だったんですよね

でも、iphoneが普及し始めたかな?ぐらいの頃でまだまだYoutubeなんかもみんな全然使ってなかった時期、起業のし方なんて調べても今ほど情報はなく、アナログ戦法に出るしかなかったんですね。

20歳大学卒業後/社会の洗礼
「俺はこの先、"給料"ではなく"報酬"しかもらわない、だから就職もバイトもしないぜ」

と鮮やかにいい放ち大阪に移住、ダンスしながら日銭を稼ぐも、ほとんどニートのような生活をスタートしました。

啖呵をきって社会に飛び出した手前誰か知り合いを頼る訳にもいかず、駅前のベンチで夜を明かしたこともありました。

その後クラブで知り合ったダンス仲間と同居をするも、友人もろとも家賃が払えず強制立ち退き3回、あげく友人は音信不通になったりなんかして、、

ソフトバンクの携帯電話の代理店をしてみたり、とにかく何もわからない。

アルバイトでお金を稼ぐ以外の方法が存在してるのかもわからないから、とにかくその方法を探しまくる日々、お寺の住職のお手伝いでもなんでもやりました。

それから、この辺りも話せばまたエキセントリックなんですが、社会の洗練を受け氣がつけば20歳で700万にも上る借金をこしらえました。

(ちなみ自身では1円も使っておらず、僕の知らないところで自分名義の借金ができていました)

さぁ、スタートから順調な滑り出しで絶望感を抱えることとなりました

非常にスムーズに、社会に抗って生きることの辛辣(しんらつ)さを味わい始めていました

大学卒業後、社会に出てからも答えは見つからず、みんなと同じように就職を目指すことやただ娯楽を楽しむことすらできない自分に、一体何がしたいのかほんとにわからなくなりました。

そして、それをかき消すかのように本を読み漁ったりセミナーや研修を浴びるように受ける日々。
個人事業主になってからは、見た目ばかり"一丁前"なスーツをきてみたり。

答えの見えないまま、周囲に合わせて社会的な成功を目指すフリをするようになりました。

21歳フリーランス/あっはーんこれが競争社会ってやつね

就職経験なしで社会生活をゼロから学んでいった4年間でした。この時期に世界を股にかける人生の師匠に出逢い外資系美容商材メーカーM社の代理店をすることに。まずはここが僕の修行の場、そう腹を括りました。

出会いは知り合いに誘われたビジネスセミナー兼食事会でした。

IT業界でも一才風靡していて雲の上の存在だったそのお師匠が、「お前オモロイな〜!ご両親に挨拶しにいくわっ」

そういってほんとに実家まで来てくれたことが一つのきっかけになりました。

実家来て挨拶も早々に、

「コイツ、しばらく預かります」

そう、僕の両親に伝えてくれたんです。
僕もへ?両親も、へ?!

それでも、20歳の僕が京都から大阪に帰る車の中で言われた言葉は今でも鮮明に覚えています。

「お前、タキシードとパスポート作っとけよ?俺がお前に海外の一流を見せたる(ニヤリ)」

ほんとかなぁ・・そう思う氣持ちもありつつ、「オッス!・・(目線は窓の外)」って後部座席で頭を掻きながら、何かが変わるかもって、すごい嬉しかった。

この時の人生の師との出逢いは
確実に僕の世界を大きく拡げてくれました。

"宣言"通り、その数ヶ月後には氣がついたら初の渡米を果たし、アリゾナ州近辺に行き、数千億級の海外の事業家や大富豪たちと関わったり、世界規模のビジネスの場に触れさせてもらっていました。

ビジネスのいろは、心構えだけでなく、「引き寄せの法則」「思考が現実を作る」そういったこともこの時期に教わりました。

でも、まぁ入門ですね、潜在意識、セルフイメージが自分の現実を作る。だとか。

この時期の学びが間違いなく今の僕の価値感覚の社会での土台を作ってくれました。

しかし、僕の人生においてこの時期の経験は決して楽しかったとは言い難い時代なんですねぇ

4年間、ビジネスのいろはを学びながら、世界観を拡げ自分の経験値積みながらも、バッキバキの競争社会の価値観を身に染み込ませました。

誰もが辛い思いをしながら、人を誤魔化したりしながらもお金を稼ぐことを優先したり、誰もが成功者を目指していることに猛烈に違和感を感じながらも、何が違和感なのかを言葉にすることができず、ただその想いを押し殺した4年間でした。

24歳、日々多種多様なセミナーの繰り返し
プレッシャーから毎回セミナー前後には
トイレに駆け込んで吐血。。戻って止めてあげたい(笑)

そりゃもう浴びるようにビジネスセミナーや研修に顔をだし、氣付けばセミナーをする側にもなっていましたが。

どうやって成功するのか、そのHOWをいくつ集めたところで、なぜ結果を出さないといけないのか、なぜ勝たないといけないのか、そのWHYはいつまでも明解になることがありませんでした。

自己否定のループにハマり、思うような結果が出せず自信喪失。人前に立ってはストレスから吐血、暴飲暴食。ダンスを辞めてからたるみきった身体は氣づけば体重92kgへ

思えば、途中からは自分の感情を誤魔化すことに必死になっていたかもしれません。正直この時期は絶望していて、ほんとに辛かった。

常に無価値観から逃れるのに必死、
知識武装モード
アリゾナ州にて。わかります?
この滲み出る疲労感、目が笑ってない

25歳/ハーフタイム!イベンター時代

フリーランス時代の後、3ヶ月ほど香港、タイ、マレーシア付近を放浪し、帰国後カジノイベントやDJイベントなど、コンセプトパーティーの企画を始めることになりました。

この時期始めて一度肩の力を抜いて、都会に触れ、初めてちゃんとフラットに社会を見た氣がします。一旦立ち止まってみよう、そんな時期でしたかね・・・

しかしながら、まだ何者にもなっていない自己否定感に、焦りが抜けず。

その氣を紛らわすかのように東南アジアで貯金尽き果てるまで自由に過ごすことに決めていました。

各地にいる友達を訪ねて回っていました
ハリウッドで活躍するアーティスト達
ともイベントをしました

25歳後半/マジ?!思いがけない起業

同級生の誘いからプログラミングスクールの経営に携わるも、友人が突然の失踪。

そ、そんなことある?!?!

まさか過ぎる展開でPCに触れたことのない僕がプログラミングスクールの経営を任されることに。
その他、その時にカフェ経営なんかにも携わる。 

しかしこれが運命のいたずらでした。
デザインや映像、クリエイティブというものが僕の人生を大きく変えました。

これならば、やりたいこと、メッセージを表現して伝えることができる!!そう思いました。

この頃から言い始めたのが、
"人は必ずやりたいことを仕事にできる"
"やりたい仕事を遊び尽くそう"でした。

まだまだ手探り、でも自分の中で、、
確かに何かに触れられた感覚がありました。

まさに渡りに船と言わんばかり、クリエイティブの世界に触れた僕は自分の感覚を表現する実験を始めました。

その時の手法は、クリエイティブスキルとマーケティングスキルを手に入れば誰でもやりたい事で生きていけるというものでした。

いわば、スキル至上主義。努力至上主義です。

どうすれば人は幸せになれるのか、
自分の中で一つの仮説が立ったんですよね。

しかし、これがこの地球で幸せになる上で最大級の間違いだった訳ですね

ベンチャー感凄い
当時25歳、インタビューなんか受けたり
とにかく幅を広げようといろんな"先生方"
と仲良くさせてもらったり、何でもしてた
あらまぁ、氣張っちゃってます

29歳/人生最大の挫折、顔から行ったねこりゃ

そこから数年、デザインや映像を教えるクリエイタースクールの経営が軌道に乗り、その表現を広げるべく、メディアを立ち上げてみたり、やりたいことで起業することを目的にしたコミュニティを立ち上げました。

人は知っていることの中でかつ、実現可能なスキルを持つことにだけ"やりたい"という願望を持つ

だからこそ、知っていることと出来ることが多い人間ほど幸せになる。

確かそんなような理屈だったと思います。

もう!!今書いててイヤになってくる・・。

しかしながら、本氣でそう思っていた僕はその方針のもと、クリエイティブスクールや起業家育成コミュニティをせっせと拡大しました。

とはいえ、良い月の売り上げで1500万〜2000万程度の規模、無駄に都心の一等地のタワーマンションに住み。

なんだかこれが正解だったんかなぁ〜なんて思いながら、今思えば半ば無理矢理思い込もうとしていたように思います。

その違和感をまた掻き消すかの如く、スクール生に負けじと、苦手科目の勉強勉強の日々。

毎日早起きしてランニング、読書は1日最低4冊がノルマ。

いくら頑張れども、もっともっと・・・
氣がつけば朝2時半起きとか、、

「こーしくん、2時半はまだ昨日だよ」ってある人に言われて、早起きって何時までなんだろう?

ってゆうもう激やばな思考になっていた訳ですよ。今度は女性の働き方支援がしたい!と言い出してはエステサロンを作りエステ開業支援をしたりだとか。


その時にしていた
起業家セミナー企画の名前は、

Warkaholick academy(仕事中毒学園)
ひどいでしょう?笑
ほんと、どうしちゃってたんでしょうね。。

でも、今でも各方面で大活躍されてる有名な経営者の皆さんだったり、外務副大臣がきてくれたり、ディズニーのクリエイターさんがワークショップをしにきてくれたり、ほんとに沢山の方々お力をお借りすることができていました。

毎日毎日寝る間を惜しんで"カタチにすること"を急いでいました。

ある時、もっと会社を大きくしたいならと、知り合いから紹介された、元○○大学の教授だとか、○○銀行卒のコンサルタントだとかいう人たちを共同経営者に迎え入れることになりました。

財務だとか経営のことは僕たちに任せてくれ。
安心だ!良かった!馬鹿丸出しでそう思っていましたねぇ・・・

共経「キミはこの会社をやることで世の中を良くしたいんだろ?みんなに希望を与えたいんだろ?」

僕「そうです!」

共経「じゃあわかった、僕たちが本氣でサポートするから、君のタンス預金も個人口座のものも全て会社の資金に入れてくれないか?」

来た!と思いました。

ようやく世の中の違和感に対して、自分のメッセージを声にして表現できると思いました。

迷わず全財産を会社に増資。しかし、もう既にこの時僕は会社のコントロールを失っていました。

そして、ある日突然、共同経営者にある日突然
代表取締役を"解任"されることになります。

そこからまた、あれよあれよと地獄の日々が始まりました。

婚約者との婚約も破棄、事業、パートナー、全財産、仲間を一瞬にして失う。全財産も全身全霊のエネルギーもつぎ込んでいた会社から見聞きしたこともない数千万円の金額の請求も受けました。

毎日冷や汗の悪夢、失意に後悔、自己嫌悪、何をしていても生きた心地がしない。

一氣に誰も居なくなりました。だーれも。
周りの人の為にと思っていたのに、この始末。

色んな人にあることないこと言われました。
沢山指を刺して、笑われて、裁かれて

これまで仲間だと思っていたメンバー達からも誰から何を言われたのか、僕を見る目が疑いと軽蔑の目に変わっていきました。

茫然自失になってたった一人きりで、事務所の片付けをしている時、唯一道を挟んで向かい側でおばんざい屋さんをしていたおばちゃんが、何かを聞きつけて、バケツとモップ片手の駆けつけてきてくれました、

「こうしくん!おばちゃん手伝ったる!!」

その言葉で耐えてたものが全て崩れてしまいました。空っぽになった事務所で、アホみたいに声を上げて泣きました。アホみたいに。

努力の世界で自分はもうこれ以上できない!と断言できる程にやり切った。

世のため人の為に一生懸命努力すれば幸せになる!誰がそう言ったっけ?

時間を戻したとしても、何をどう正せば良いのか見当もつかない。。

何がダメだったんだろう・・・?

そうして、僕の元に、またあの疑問が浮かんできます。あっ、、そうだ。

人は何のために生きるのか?

いつだって、そのテーマからは離れませんでしたが、自分でも氣がつかない内にすっかり、競争社会に溶け込んでいたのかもしれません。

世のため人のために必死で頑張れば幸せになれる。努力と苦労は裏切らない、だから、誰よりも努力と苦労を積もう。

そう信じて、周りに負けないように、イヤ…「負けてると思われないように」

自分と向き合ってきた。それなのに。。。


その時、絶望の淵で、事業家の先輩から言われた言葉。

「お前は頑張ってたけど、運が悪かった、それだけだよ。」


この一言がきっかけでした。
励ましの言葉だったのかもしれません。

でも、当時の僕のギリギリの精神を打ち砕くには十分過ぎる爆弾でした。

せきをきったようにこれまで積み上げてきたものを信じることができなくなりました。

もうやっぱり人生なんて続けてても意味がないんじゃないか??・・・・

でも、何かが違う、間違いなく人の幸せは努力や苦労の量だけで決まるようなものじゃない。

それから、僕は自分の感覚を頼りにその答えを探すことにしました。

もう、自己価値感なんてゼロ
睡眠時の食いしばりでアゴが異常発達

29歳/いやw絶対ぇおかしいやん。。究極の内観時代

もう、生き方もわからないし、辛いし、
もう、この人生やっぱりいいかなぁって何回も思いました。

それもほんとにたまたまだったんです、お師匠から、
「お前なぁ、そういう時はハワイでも行くねん」

そう言われました。
またこの人は、、まぁ〜た変なことを言って…

「僕無一文ですよ?!どうやってハワイ行く余裕があるんですか?」

経済的にも、精神的にも、余裕がない僕に、なんでそんな悠長なことを言ってんだろうって思いながら、半ば少しスネながらそう言い返しました。

そしたらお師匠は「はっはっは〜、まぁまぁそんなもんやから〜大丈夫やで〜」

って笑ってるんです。何それ?!何?!もういいや!ってなりながら、

でも、その時まぁ、ハワイ、行きたいなぁ〜って
なんの力みもなく思ったんですよね。

そしたらね!?なんとその2日後、友達からハワイ行かない?って電話が来たんですよね。

え?!、でも、ごめんなぁ俺それどころちゃうかも知れへんわ〜っ言ったんです

そしたらね、「そんなん1人でも2人でも一緒やんか〜出すやんか〜」っていう、おぉ、なんと寛大な。。

悪いなぁってもちろん思ったんですけど、もう、こんな瀕死の状態で、そんな謎の遠慮してる場合じゃないか、、

っていうかお師匠にハワイ行けって言われてこの展開・・・何かあるのかな・・・?

家に帰って1人考えました。支払い請求は多額。手元には残金250円、どうするべきか?

俺、なーんにもなくなっちゃったな。

家賃もケータイも払えない、あれだけやって、この状況、もはや理解不能。

自分が身につけてきた判断基準をもう何も信じれなくなっていました。

何をすればいいのか、どうすればいいのかなんて皆目検討もつかない訳ですよ。

ふぅ、、そこが僕が思考を切り替えた瞬間でした。せっかくなら、実験するか。

よし!!どうせ終わりなら、最後なら。

この運だとか世界に見えない力なんてものがあるとするならば、それを確かめるのならば、ここがチャンスだと思ったんですよね。

そして僕はしばらくハワイに行くことに。
しばらく、マウナケア山の山頂で星を眺めたり、ハワイ島でイルカと泳いでみたり。

ハワイでもまだまだ悪夢で汗びっしょりで目が覚めてたけど、それがきっかけで、目に見えない世界の仕組みの探究をすることを決心したんです。

自分勝手にやりたいことだけで生きられるのか、実験してみよう。そう決めました。

心地良く過ごすことを最優先に生きる!ことを決めました。そしたら面白いことが沢山起き始めたんですよね。

たまたま、お師匠や知り合いから、日本進出を狙う会社が相談したいって来てるから、代わりに行ってきてくれないか?っていうお話しが次々に飛んできました。不思議なことに。

ラスベガス、モロッコ、ウクライナ、ベトナムetc・・仕事の依頼で世界中を渡りながらその真髄を探す旅にでることに。

たまたま、20代からマーケティングに触れていたり、英語は好きだったからある程度話せたんですよね。

そして、なにより時間だけは無限にあった。
失うものもなんにもないし。

不思議なことに、行きたいと思った国には全て行くことができました。

国内外の"ほんとうに豊かな人達"から幸せの作り方とこの世界の仕組みを聞いてみよう!!


世の中で幸せになっている人たちはあの頃の僕以上に頑張ってたのか?シンプルに疑問だった

毎日3時間以下の睡眠で、早朝ランニング、英語、デザイン、ファッション、法務、税務、経営の勉強、Webトレンド、経済ニュースのチェック、営業、育成、広報、会食・・・

それでも、いくら頑張っていても、できないやつは○○だみたいな記事がバンバン出てくる

みるみる、自分は出来ないやつなんだと確信を深めていたような感じ。

頑張りが足りないと言われ頑張っても今度は、頑張り方が間違ってるんだとか何だとか。

じゃあ上手く行ってる人たちは正しい頑張り方で頑張ってたのかな?って・・もうパニック。

でも実際は違った、世の中で豊かで幸せに生きている人たちには大きく一つ共通点があった。

それは、"頑張っていない"ことだった。
そして、今の状況に辿り着くまでのお話しを聞いてみると、全員共通していう言葉があったんです。それが、「たまたま」って言葉。

たまたま〜さんに出逢って。
たまたま〜こういう本に出会って、たまたまこういう番組を見て。

たまたま、、ってことは再現性ねえじゃねえか!!と、、
いやでも待てよ、全員頑張ってなくて、たまたまっていう、あと、自分大好き(笑)

こういった部分は共通事項だった。

共通点があるってことは見えない力にはきっと、間違いなく法則性があるはずだ・・

そして、独学から、量子力学や脳科学、シャーマニズム、物理学を中心にあらゆる角度から見えない力の追求をし始めました。

無一文にも関わらず、不思議と行きたい国に全て行けた。しかも、貧乏旅行ではなく、自由極まりない状況で

30歳/ようやくね、掴みはじめた

いわゆるビジネスに成功している人たちや、お金を稼いでる人たちではなく、

かといって、豊かさを手放してマインドセットだけで幸せに浸るような人たちではなく

ストレスフリーに人生を"豊かに"かつ"幸せに"生きている人たちの特徴を探すことにしました。

日本一を受賞したアーティストと旅に出たり、
中国の資産家たちとクルーズで旅をしたり、モロッコの砂漠地帯で暮らす族長にもてなされ、お話をする機会を得たり。

ヨーロッパの世界的なブランドの特別なパーティーに招待されたり、
ロンドンの大会で世界一になったフラワーデザイナーの方に特別な機会を頂いたり、
年商1000億企業のアメリカ人経営者の邸宅に招いてもらった経験もあります。

上げ出すとキリがないのですが、そういった経験を通し、自分の中で確実に掴んだものがありました。

僕はそこから学びとったことを検証すべく、自分の生き方に実践として取り入れながら、科学的、哲学的な裏付けを求めて、量子力学、脳科学、神道、あらゆる学問を追求しました。

そして、氣づけばその頃からそれが確信に変わるような出来事が立て続けに起こりました。

幸運としか言いようのない形で世界各地に行って欲しいという仕事の依頼を立て続けに受けたり、某コンテストのプロデュースを引き受けたり、影響力のある方々とのコラボ講演の機会を頂いたりしました。

本当に驚きの連続でした。

そういった沢山の幸せで豊かな方々から沢山のことを教えて頂いた経験や実体験を通し、たどり着いた一つの答えがありました。

【人間には宿命があり。それぞれが宿命に沿った天才性を授かってこの世に生まれている】

人はそれぞれ固有の特性を持って生まれ、人間の差異は全て個性であり、優劣ではない。

それぞれ何かしらの得意を生かす役割を担って、生まれてきている。

つまり、その役割さえ見つけてしまえば、やりたいことで幸せに生きることができるというもの。

なんていうか、あれ?もしかしてやっぱり・・
っていう小さな希望の光みたいなのが見え隠れしてたような感覚でした

やっぱり、人の人生を左右する目に見えない何かしらのエネルギーは存在し、そこには法則性が存在する。

努力や天命、現実の動きを更に詳細に観察しながら独自理論の体系化をしてみようと、自分なりに理論をまとめていくことにしました。

一つ一つ丁寧に、幼少期に読んだ本の内容の記憶も継ぎ合わせながら、幸せになる方法、

"地球の遊び方"を少しずつ言葉にしていったんですよね・・・。

instagramの発信を始めたきっかけ

この頃、SNSマーケ会社のスタッフの「Koshiさん発信してもないのにSNSの何がわかるんですかぁあ?」の一言からSNS発信を始めざるおえない状況に、、

その時はなんだとぉ〜?!って感覚でしたが、今となっては頭が上がらないような氣持ちです。(ユウキ、ありがとう)

この彼が実は僕にもう一つ大切な言葉をくれました。「こうしさんの凄いところ知ってますか?あのね、毎日誰かから相談が来ることって凄いことなんですよ?しかも何も出来ひんクセに」

うん、ああ・・いちいち語尾が氣になるやけども、まぁそりゃあそうか。。

やっぱり人には特性ってものがあるんだと、
そのこともこの辺りから認識し始めました。

そして、細々と引き寄せパーソナルコンサルタントを開始することに。

それから、これは余談だけど、自己肯定感のリハビリにと、モデルとしても活動を始めました。

うっそぉお?って言われますが、本当に人前が苦手で、アガリ症代表みたいなやつなんですよ。

でも、そりゃぁそうですよね、自分の価値が全く分からない。自己肯定感皆無なんですから。

ずっとインスタ見てくれてた人はわかると思うんですが、自分をまともに上げるようになったのは実はVLGがスタートしたぐらいからだったりするんですよねぇ・・実は。

理事を務めたインフルエンサー会議

32歳/The VILLEDGEのはじまり

2020年9月のある日スタッフとの打ち合わせ終わりに1人事務所で散らかった領収書をファイルに纏めていました。今でも不思議なんですが、その時、はっきり感じたことがありました。

"時代がやってくる"

何かが僕にそれを伝えました。何だろう。

その頃から自分のありのままの意見を表現するようになりました。

そしてある時、同世代に影響力のある友人2人から、「Koshiさんの考えを聞きたい人がきっと沢山いる、僕たちがしっかりサポートするのでコミュニティを立ち上げて下さい!」と背中を押されたことから、The VILLEDGEを立ち上げることになりました。

彼らのサポートはその後無かった・・
なんじゃそりゃあ?!

でも、きっかけってそんなもんなんでしょうね
この彼らにも今では本当に感謝ですよね

慧大、龍二くんありがとう(笑)

コミュニティをしてくれって言われた時、もちろんこれまでを振り返って、すごい抵抗感があった

でも、自分の心が僕に「やりたい、やってくれないか?」って言ったんです。

その時にふと浮かんだ名前が「The VILLEDGE」
際立った個(Edge)が支え合い、磨き合う村だったんです。

それが何かは分からない、でも心のままに地球の遊び方を追求したい、そんな僕のように生きづらさを感じてきた人たちがどこかに沢山いるような氣がしました。

そのコミュニティは一体なんなのか、全然わからないけど、「やらねば」そう感じました。

みんながどこかで同じように感じてるはず。

氣のせいかもしれないけど、そう感じて、2021年11月2日初めてVLGのストーリーを投稿しました。

今思えは不思議過ぎますが、何故かストーリーを投稿してる僕は泣いていました。

それが、僕が天才性コンサルを始め、The VILLEDGEをスタートするまでのお話です。


簡単過ぎましたね?
それともボリューミー過ぎましたか?…

ほんとはね、まだまだもちろんじーっくりお話ししたいことが実は山盛り、、

お師匠にロスや香港で置き去りにされたり、お城みたいな家に連れて行かれ、シアターの前に立たされ白人大富豪達に向かってスピーチさせられたり、マフィアだらけの豪華客船に乗り合わせ、1週間ともに過ごしたり、そんなギャグみたいな体験もてんこ盛りでした。

他にも様々なお仕事、プロジェクトやコミュニティに携わっていたりしました。

なかなかに映画仕立てにもできる半生を過ごしてきました・・・それはまた是非ポップコーンでも片手に聞いてやって下さい。笑

何だか自分でも振り返っていて、改めて、自分の想いはやっぱりずっと変わってないなぁって感じます。

僕のことを昔から知る人たちは、全員口を揃えて「ほんとにずーっと同じこと言ってるね」

と、いいます。(笑)

そりゃそうです、僕が抱えてきた想い、知りたかった違和感の正体、見つけたかった答え。

それはたった一つだったからです。

人は何の為に生まれ、何を目指すべきなのか?

という、人類の永遠とも思われるような疑問の答えでした。

やっぱり、これだけは幼少期から僕の脳裏に染み付いて離れなかった。

人は幸せを求めて、
お金持ちや成功者を追い求めます。

でもそれが幸せの本質じゃないことぐらいみんな氣づき始める頃だと思うんです。


ほんとに人と競うこと、誰かより優れていることに意味があるのか。

人と違い、少数派になることは恐ろしいことなのか。

終わらない競争の中で勝ったり負けたり、なんだか、誰もが自分や人を傷つけ続けてる、そんな光景ばかりを見てきたように思います。

小学生4年生の時、塾帰りの電車でまさにもう、お先真っ暗、この世の終わりみたいな顔をしていたおじさんにたまらなくなって、「おっちゃん、次の駅で降りてよ。僕で良かったら話しぃひん?」って声をかけたのを覚えています。

おっちゃんは、「僕、何でそんなこと言うの」って。言うから、僕は「だって、おっちゃんさぁ、めっちゃキツそうやん?」と。

おっちゃんが驚いた顔をしていました。

おっちゃんは、「ありがとうな、おっちゃん大丈夫やで。」って笑顔になって、そのまま隣の車両に行ってしまいました。

多分ね、おっちゃん、自分がキツいってことに、氣づいてなかったんやと思うんですよ

それってすごいことじゃないですか。
おっちゃん只事じゃないぐらい悲壮感だして、暗ーい顔してたんですよ。今でも覚えてる。

もしかしたら僕の勘違いかもしれないけどね?

でも、我慢に慣れて、感情より勘定みたいになって、自分の感情すらもうわからない人沢山いますよね。

お金稼がなあかんから仕方ないって。
お金もらえたら人殺しでもするん?って言ったらそりゃもちろんする訳ないじゃないですよね・・

でも、人は殺してないかもしれないけど、自分自身を殺してるのと同じやんって。

だからこれだけ自分で人生を諦めてしまう若者が増えてしまった。

そんな世界絶対おかしいやんって、
心の底から思ったんですよね。

誰だってほんとは自分の根源から湧き出すその想い、持って生まれた、自分が一番キラキラできる役割があって、自分らしくいきたいという願望があるはずなんですよ。

それが、完全に眠らされてしまってる感じ。

僕は、あの時、おっちゃんに話しかけた時の想いと何も変わってない、おんなじ氣持ちです。

自分のできる限りのことで、みんなの心を救いたいし、ワクワクさせれるなら嬉しいし、それでみんなが豊かに自分らしく生きていけるならほんとに最高やなって思う。

世の中的にみて、別に大それたことなんて何もしてないけど、僕は僕なりにいろんなチャレンジをしてきました。

怖かったけど、何も答えが見えてこないことの方が怖くって、思い切ってチャレンジしたし、失敗した時は痛かったけど、ちゃんと氣づけてほんとに良かった。

それでも、もっともっと多くの人が自分の枠を外してチャレンジしたりするにはこの社会はあまりにもセーフティネットが無さすぎると思う

こけたらあまりにも痛いし、厳しいし、チャレンジすることが難しいと思う。

だから、まずこの世界に必要なのは限られていたとしても、小さくとも、安心できる場所だと思う。

誰も1人でやらなくて良い。
地球上のどの探したって同種異種と共存せずに生態系を保っている生物なんていないんです。

経済は誰もが得意だけを担う士農工商な役割分担が。子育てのいえば、子どもは100人の村人みんなで育てる。

そうやって役割を分担した社会を作る。それが自然な人間の生き方、暮らし方なんです。

実際、昔の日本にはその社会システムや暖かい心の繋がりがあったんです。

出来ていたのなら、さらに文明の発達したこの時代にそれを取り戻すことは時間がかかれど不可能なことではない!絶対に。

このことをどうにか、伝え拡げて、元々ご先祖さまを辿れば親戚だった日本人、人類が一つになっていけばいいんじゃないかと思って、このメッセージを伝え始めました。

まずは安心感。ほっとして、止まって。
自分自身を見つめる時間が必要なんです。

そこから、ようやく自分の心の声を聞き、それに従うことができる。

そして、何より伝えたいのが僕自身の生き方が、ほんとうに変わったこと。

"地球の遊び方"で地球を遊ぶように生きるようになってから、

自分らしさ全開で、心地よさの中に生き続けることで経済的な不安からも解放され、

自分の心のままに、毎日全国各地世界中行きたいところに行き、毎日会いたい人とだけ会い、やりたいことが全てできる、そんな生活を送れるようになったんですよね。

我慢も言い訳も一切なしです。
やりたいことは全てやります。

だからこそ今もこうして、家に篭ってブログを書くなんて無理!!という理由で、思い立った2日後にはバリに来て、この記事を書いてたり・・・(苦笑)

1秒1秒、全ての瞬間を好きなもの、好きなこと、好きな人たちで埋め尽くす。

毎日ワクワクしながら、毎日新しい発見や出逢いに溢れた大冒険に生きる日々、「地球遊び」をすることができるようになったんですよね。

僕が欲しかったのは、お金持ちや成功という比較の幻想や肩書きでもなく、"真の自由"だったんです。 

自分が望むままに、心のままに地球に生きることを全力で楽しむこと。愛と感謝に生きること。

真の自由には成功もお金持ちも含まれます。
だって、やりたかったらやればいいんだから。

毎朝自然なリズムで目を覚まして、あんなこといいな、できたらいいなってほとんどドラえもんのオープニングみたい「夢を描いて、それに向かって、全力で毎日を楽しむ。

毎晩夢や目標やアイデアを語りあって、次の日にワクワクしながらぐーっすり眠る。

自分の魂から溢れたてくるようなエネルギーやメッセージを表現し、やりたいことを形にしながら、人の役に立てることに感謝する。

お金の心配も、誰かに認めらたいっていう不足感も一切ない。やりたくないことも絶対しない。

これができてるのは、成功してるからとか、お金があるからとかじゃない。

自分の選択で現実を作れることを知っているから。
自分の遺伝子に自分が一番幸せに生きる為の案内図があることを知っているから。

幸せに生きる為の本質とこの世界の運、誰もが持って生まれてる天才性の仕組みを理解したから。

何故それができているのか、周りの人や自然に生かされていることを、腹の底から理解することができた。

かくかくしかじか、こうして、現在のThe VILLEDGEを中心とした活動、世界一優しい潜在意識の書き換えがコーチングやコンサル、自分らしさを仕事にする天才性覚醒講座などの活動に繋がってきた、という訳なのです。

まとめ/僕が伝えたいこと

2021年からVLGの活動を通して、

本格的に食、歴史、脳科学、メディア、SNS、真実の探求を続けてきて、ようやく自分が抱え続けてきた違和感の正体がわかりました。

改ざんされた歴史、偏った教育、競争と分断を助長するメディア・・・

ほら!!やっぱ嘘ばっかりじゃん!!って

昔っならみんなが催眠にかかってて
自分だけが覚醒している感覚でした。

それなのに、あまりにも受け入れられないから
自分に疑いの目を向けてきたけど、

やっぱり合ってたじゃん!!!

はぁ〜スッキリ。。。

でもさ、ほんとに思うわけですよ!
言ってたじゃん!おかしかったもん!!

理屈の通らないルールに違和感でしかなかった。
人よりも立派になることを目指せって教わった。

その為には沢山苦労して、辛抱しなきゃ行けない、沢山のルールを守らないといけないと教わった。

誰が言い出したのか、
氣がついたら世の中の流れはそうだった。

学校教育は100点満点の減点方式を用いたテストでダメな所を探すクセをつけるものだった。

そして、順位をつけて順位が高いと良くて、順位が低いとダメってする。

常に自分はダメなんだって思うクセがついた。
みーんな自己肯定感が低い

小さい頃はやれ宇宙飛行士だケーキ屋だって
あれだけ自由極まりないこと言ってたのに、

氣がついたらみんなも当たり前に他人と競おうとしたり、もっと偉くなろうとしてた

同級生たちもみんな、
将来お金持ちになるとか
教科書に名前を残すとか
言ってた。

なんでみんな同じを目指すのか?
それがすごく不思議だったんですよね。

あなたは何のために生きますか??

お金持ちになること?有名になること?
安定すること?結婚すること?
子供を持つこと?時間の余裕をもつこと?

正解の定義は無数、そして人それぞれ答えだと感じるものは違うでしょう。

でも、正解じゃなく、あなた自身ははどうしたい??
聞くと、答えはいつもシンプル

幸せに生きたい
自分らしく、常にワクワクして生きていたい。


これまでの経験を通して分かったことがある。

人間が生きていく上で一番失ってはいけないものそれはきっと"自分らしさ"です。

いや、多分人間だけじゃない。

自然界の生き物で、自然形態の中でそのアイデンティティを否定されることなんてまぁないんです。
アリらしさを捨てたらアリはアリじゃなくなる。

自分らしさを捨てて、やりたくないことやって生きている生き物なんて

人間だけなんですよ!
しかも実はごく一部のね。

これが何でだったかって、もうすっかりはっきりわかってきちゃった訳ですよ。

だからこそ昔の日本人の生活の中に、僕たちが豊かに幸せに暮らすその方法はしっかりあるわけです。

仕事も子育ても、親戚やご近所と助けあって生きていた、かつての日本はもう存在しない

今あるのは競争社会における、"幸せになれるのは一握り"という幻想が生み出した分断の世界です。

全ての競争がダメって言ってんじゃなくて、確かにそれで国は経済的に発展してきたし、その恩恵も大きい。

でも、もうその時期は通り過ぎたんです

みんなが自分ではない何者かになろうとすることにより、自己肯定感を下げ、多くの人が自分自身を苦しめてる

その先は・・・うつ、がん、自殺、虐待など多くの社会問題に、、ってそりゃそう。

まずは多くの人が真実に目を向けて、自分の感覚を取り戻し、徐々にでも役割分担の繋がりを取り戻していくしかない。

ようやく、僕たちが言葉にしきれなかった想いやメッセージを言葉にして発信できる時期がやってきたと想っています。

きっと、僕たちそれぞれが自分の声に耳を傾ければ何をすればいいか、常に心や自然、世界が教えてくれるはずです。

みんなでなら必ず新時代を迎えられます。

この記事に辿り着いて下さった方、まさかこんなに長い文章を読んでくださる方がいるのか、

今さらながらすごく心配になってきましたが、、

きっと誰かには届くと思って書き残してみます、うん。


何故日本がThe land of the rising sun〜日いづる国と呼ばれたのか、その答えはこれからゆっくりわかってくるはずです。

できたらその夜明けの時を、同じ役目を待って生まれてきた仲間と共有しながら、

僕たちが心から見てみたかった世界が見えたなら盛大にお祝いがしたいと思ってます。

きっと意味があってこの時代の狭間に生まれ、こうして出逢う事ができてると思っています。

今回は一方的に話してしまいましたが、是非機会があれば、おんなじ感覚で生きてきたみなさんのお話が聞いてみたい!!

その人をその人たらしめるものって、その人がどんな経験に何を感じたのか、何にワクワクするのか?何ワクワクしないのか、その混じりっ氣なしの感覚だと思うんですよね

今回は恐縮ながら、皆さんと心から繋がりたいと思い、僕について、僕が感じてきたことをまとめてみました。

最後まで読んでくださりほんとにありがとうございます。

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ではインスタなどでは

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僕の素のまんまんまや

創世縁日の舞台裏を

可能な限りお届けする場として

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それでは、いつかお会い出来るのを楽しみにしています!!ではでは〜!!

𝗞𝗢𝗦𝗛𝗜 地球の遊び方®︎暇を持て余した宇宙貴族の遊び on Instagram: "とある歴史学者が 滅びゆく国の共通点をこう残した ①自国の歴史を忘れた民族は滅びる ②すべての価値を物やお金に置き換え、心の価値を見失った民族は滅びる ③理想を失った民族は滅びる 2021年、過去に経験のない出来事に 否応なしに大きな変化を求められた この先どうするのか、 その判断は今、僕たちに委ねられ始めている でも大丈夫、この先何をすべきか ちゃんと僕たちの遺伝子は覚えている . なんの為に生まれ、何を目指せばいいのか わかったようで、わからない みんなが口にする"当たり前"に どこか違和感を感じて生きてきた 人と競って意味があるのか? 誰かより優れていることに意味があるのか そんなことより もっと大切な役割があるはずだ それぞれの得意で表現しよう それぞれの自分らしさに生きよう みんなどこかで動き出している ようやく、思いのままに動ける この感覚を頼りに いるべき時、 いるべき場所にいるだけでいい . . shooting by @tanayoshi_dots 📸 #風の時代 #個性の時代 #2023年 #多様性 #新時代 #やりたいことをやる #自分らしく生きる #目覚め始める日本人の遺伝子" 265 Likes, 1 Comments - 𝗞𝗢𝗦𝗛𝗜 地球の遊び方®︎暇を持て余した宇宙貴族の遊び (@koshi_ www.instagram.com


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