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フィンランドで「シンプルなお皿が生まれた理由」

フィンランド。日本から遠く離れた
北欧に位置するこの国のことを
好きになったきっかけ。

最近では、サウナブームもあって、
フィンランド=サウナという人も多いそうなのですが、

サウナ = sauna は日本で一番身近なフィンランド語

みなさんのフィンランドのイメージって何でしょうか?
ムーミン?マリメッコ?メタル?森?

私のフィンランドへの入口は

『 食器 』 でした。

1. 食器探しの旅

一人暮らしを始めたころ、
家で使う食器を何にしようかと考えていて

カフェで食べた何気ない"白いお皿"に乗ったパスタが
とても美味しくて、ずっと心に残っていたので、

「いつかこんなパスタを作れたらいいな」と

料理の腕は後回しにするとして、せめて器だけでも。
ということで、普段使いも出来そうな
シンプルな白いお皿を探すことにしました。

出来るだけシンプルで白い器。

シンプルで白い"だけ"のお皿は沢山ありましたが、
コレだ。というものにはなかなか出会えなくて

映画を観た帰りに寄ったお店で
たまたま出会った器が

iittala(イッタラ)のTeema(ティーマ)でした。

白い。シンプル。


”だけ”ではない何か。

完全にひとめぼれでしたが、大のお気に入りとなり
このお皿を自宅のメインのお皿にすることに決めました。

家に帰って早速パスタ作って
このお皿に乗せてみたところ

いつものパスタが、
何だかいつもより美味しくなったような気がしました。

自炊は苦手でしたが、
「このお皿にご飯を乗せて食べたい!」
という気持ちだけで、いつしか自炊をするように。

実際に使ってみて気付きましたが、
丈夫で洗いやすいし、スタッキング出来て場所を取らず
棚に納まる姿も何だかカワイイ。
使い勝手も申し分ありませんでした。

そして、この頃はまだ
このお皿に詰まった歴史のことなんて、全く知らなくて
シンプルで、使い勝手も良い、素敵なカタチの器。
ぐらいにしか思っていませんでした。

でも、

ただのお皿にここまで惹かれてしまうのはなぜだろう?


という疑問から、このお皿の事が知りたくて
いろいろと調べてみると、

このシンプルなデザインには全て理由があることが分かりました。

2. シンプルなお皿が生まれた理由

このお皿にはTeema(ティーマ)という名前が付いていて
名前が付いたお皿というだけでも、何か特別感があったのも事実です。

見た目的には古さは全く感じられず。どこかの新商品として
販売されていたとしても、特に違和感はない気がします。

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調べてみると、このお皿が生まれたのは1948年。
2021年の今から数えて73年も前のことでした。

あまりにも昔のことすぎて、ピンと来ないので
その頃の日本の歴史と照らし合わせてみると、

第二次世界大戦が終戦したのが1945年なので、
終戦から3年後という時期ですね。
この時の主な出来事としては、

・美空ひばりデビュー
・太宰治が亡くなる
・芦田内閣成立 他
(うーん。やっぱりピンとこない)

その頃のフィンランドは?というと
日本と似ている状況のようでした。

第二次世界大戦でのフィンランドは当初、中立を保とうとしましたが、
隣国のソ連に攻め込まれ、あえなくナチス・ドイツと手を組むことになり
事実上の枢軸国として分類されることになります。
この時の戦争が継続戦争(1941年-1944年)

継続戦争の終戦後は、日本と同じく敗戦国となり、
ソ連とのモスクワ休戦協定にある条項に基づき
国内に残ったドイツ軍追放のために、
ナチス・ドイツとも戦ったラップランド戦争(1944年-1945年)
が終戦したのが1945年ということなので、
戦争の爪痕が日本と同じようにまだまだ残る中で
このお皿は産声を上げたのでした。

このお皿の作者の名前は

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カイ・フランク (Kaj Franck, 1911年- 1989年)

「フィンランドデザインの良心」とも称えられる、
フィンランドの偉大なデザイナーの1人です。

元々このお皿はKilta(キルタ)シリーズという名前で
販売(1952年-1975年)され、
製造上の問題などで一度、生産が中止されますが、

6年後の1981年からは、電化製品にも対応した
Teema(ティーマ)シリーズとして、
そのデザインが受け継がれることになります。

名前こそ変わりましたが、そのフォルムは今日に至るまで
ほとんど変更されていないというのも驚きです。

カイ・フランクは、私の一番好きな尊敬しているデザイナーで
プロダクトはもちろん、その哲学、日本との関わりも含めて。
書き出すと長くなるので、また別記事にしたいと思います。

このお皿が生まれるより以前は、
器などは装飾や絵柄など、華美であればあるほど良い。
とされていた時代もあったようですが、

Kilta(キルタ)シリーズには一切の装飾、絵柄はありません。

そのシンプルなデザインが生まれた理由のひとつは、

「戦後で物資が無かったから」とも言われています。

先述した通り、敗戦国となったフィンランドでは
圧倒的に物資が不足していました。
限られた物資の中でも生産出来るお皿としても
Kilta(キルタ)シリーズは優れたプロダクトでした。

当初、マーケティング部門は

「こんなシンプルなデザインは誰が買うのか?」

と猛反対したそうです。

ですが当時の工場長の

「その男の子にひとつやらせてみてはどうだ」

の一言で、Kilta(キルタ)シリーズは
陽の目を浴びることになりました。

1951年に開かれた展覧会にシリーズを出展し、
大成功を納め商品は大ヒット。食卓の大革命が起こりました。

世界で約2500万個ものキルタシリーズが売れていたそう。

3. なぜここまでのヒットになったのか?


カイのデザインはただシンプルなだけではなく、
デザイン性と機能性を兼ね備えたプロダクトだからでした。

戦後に狭いところで暮らすことを余儀なくされた
フィンランド人にとって、1点1点購入できること
スタッキングして省スペースで管理出来ることは
非常にありがたく、また丈夫であることも、
日々家事に追われる女性などに歓迎される理由のひとつでした。

このようなマスプロダクトを大成功させた
カイの残した言葉で印象的な言葉は

デザインは高い階級のひとのためにあるのではなく
デザインは万人のためにある。

という言葉。この言葉が生まれた背景にも
やはりカイが経験した
戦争の体験が関連しているようです。

この事について、カイ・フランクの教え子で
自身もデザイナーであり、カイの良き友人でもあった、
タウノ・タルナ氏は言います。

カイ・フランクは
ドイツ人の父とスウェーデン人の母との間に生まれ
フィンランド人の乳母のもと、
比較的裕福で、非常に文化的な家庭で育ちました。

カイ自身も第二次世界大戦では、兵役に就いており、
フィンランドの小さな島に駐屯していました。

その時に出会った様々な社会階級の人との出会いが
後の彼のデザインにも大きな影響を与える事になった。

戦後の物資不足や、戦時中に出会った様々な人々。
それらの偶然または必然が、カイのデザイン哲学と紐づき
融合し、たゆまぬ努力によって生み出された作品

それが、Kilta(キルタ)シリーズ
現代のTeema(ティーマ)シリーズだったのです。

シンプルで機能的な理由

シンプルが生まれた理由

73年もの時を経てもなお
愛される作品である理由もまた

シンプルであるから。

"シンプル"には理由がありました。



4. あとがき

このお皿との出会いが、
私がフィンランド好きになったきっかけで
私のフィンランドへと通じる扉でした。

奇しくも2021年の現代社会でも、
ミニマリストやミニマムな暮らしなどに代表されるように
ミニマリズムが改めて見直されています。

このnoteの UI / UX にもミニマリズムが
ふんだんにあしらわれていますよね。

"シンプル"って実に奥が深いものなのですね。


このご恩は新しいガジェットとコーヒー代に。