見出し画像

No.14 「母」と「あそび」と「広報/PR」の複業

相原 里紗(あいはら りさ)
埼玉県在住、4歳2歳男子の2児の母。大学でビジネスを専攻後、広告代理店に入社。働きながら保育士の資格を取得し、保育士へ。結婚後の出産を機にフリーランスへ転換し、現在「あそび」の分野の広報/PRの業務受託を中心にして働く。
インタビュー時のメインは、映画「あそびのレンズ」の広報担当。


__________ 2児の母をこなしながら、現在フリーランスでもお仕事をされていますよね。結婚前から活動的なりささんですが、お子さんを産む産まないに関して迷ったことはあったのでしょうか。

私は、子どもが好きだったから、そこの迷いはなかったですね。今の夫と付き合う段階から、この人とだったら子どもを育てられるなという視点でした。
社会人になったタイミングは、周りに会社員のママが多くて、みんな困っていました。子育てと仕事が「両立できない」「大変だ」という声が多かったり、当時は待機児童問題もあって、子どもを預けにくい状況でした。1社目で入った会社は、24時間働けますか、という会社だったので、24時間働ける人がやっぱり昇進していくし、仕事を任せてもらえるんですよね。独身で子どもがいない当時の私は、そのスタンスで仕事をしていました。

子どもが生まれたらこの働き方はできないなと思っていたことと、もともと子どもが好きで直接関われる仕事がしたかったので、会社員をしながら、保育士の勉強をして、保育士になりました。

保育士になると、子どもと関われる仕事ができるのはそうなんですけど、保育士もめっちゃ忙しいんですよね。忙しさでいうと、会社員と変わらないくらいで、給料は下がるし、命を預かるという重要任務にいきなりつくことになるんです。「保育士をしながら、自分の子どもを100%で育てるって無理だな」と感じました。

この時期、保育園の中だけでは収まりきらない、変な保育士さんたちが集まった「asobi基地」っていう組織に2〜3年所属していました。そこでは、大人と子どもがフラットでいられる環境をどのように作るかということをやっていていて、個人事業主とか、フリーランスの人たちがサポートで入ってくれていたんですよね。
そのフリーランスの方たちを見ていると、育児をしている期間は、自分で時間を自由に使えるフリーランスになった方がいいなと思って、独立することを考えはじめました。

画像1
餅つきの様子(「のあそびっこプロジェクト」)


__________ 個人的に、フリーランスは子育て中の理想な働き方に感じますね。


ただ、それならではの難しさももちろんあって、会社員だったら有給、育休も制度として取れてその間お金がもらえますよね。自分がなにかあったとしても、穴埋めができる人が周りにいるんですよね。時間の拘束はあるけれども、自分以外の人のサポートを受けやすい環境があるのが、日本の会社は特にいいですよね。
子どもが小さい頃は、会社員の方が良かったのかも、と思うこともあります。今の日本の制度は、フリーランスの母が出産・子育てをすることを前提に作られていないものが多いので。

__________ ライター、情報発信、広告、イベントの運営など、今フリーランスで活動する土台・スキルはどのように身につけられたのでしょうか。

1社目の会社は広告関係だったので、そこが一番今のスキルには繋がっていますかね。広告を通じた企業の課題解決をするという提案型の営業をずっとやっていました。広告だけではなくて、当時は戦略的PRと言っていたんですけど、メディアに取り上げてもらう切り口でリリースを出したりして、広報的な企画もやっていましたね。

イベント運営でいうと、保育士になったタイミングで、団体(asobi基地)に入って1年に60から70回くらいイベントをやっていたんですよね。2週間に8本あったときもありましたね。保育士やりながらだったので、当時新婚だったのに夫とデートができなかったです(笑)。

asobi基地に加えて、自分で企画をしている「のあそびっこプロジェクト」も始動して、一時期は本当にイベントばかりしていました。

__________ 「やりたいこと」ベースで活動されていて、お金関係なく活動されている印象ですね。

マネタイズは私の中で課題です(笑)。外遊び系のイベントも、親御さんからいっぱいお金をとりたくなかったんですよね、参加のハードルを上げるのは嫌でした。確かに収益はほぼないですけど、やって良かったと思うのは、参加者とめちゃくちゃ仲良くなるんですよね。コミュニティができて、私がまだ独身の時期だったので、母としてのロールモデルにそのコミュニティでたくさん出会いました
集まるお母さんたちは、自分なりの生き方でバリバリ働く人が多くて、会社員の人たちも枠をはみ出す人が多かったです。アーリーアダプターでそういうイベントに参加してくる人たちなので、働き方もフリーダムな人が多くて。そんなお母さんたちとつながって、私の中では刺激になりましたね。

例えば、7年くらいがっつり専業主婦をしていて、その後に企業に戻って、何社か業務委託で仕事しながら自分の時間を生きているお母さんとか、あとは、夜のイベントに、子どもを連れていくお母さんも結構いましたね。夜の19時くらいのイベントで「子ども歓迎」といわれていなくても、子どもにこういう世界を見せておきたいから、と連れていっていました。

画像5
生後5ヶ月の息子を連れてバリへ


__________ りささんが活動してきたことが、ご自身の将来に直結しているのはとても理想的な活動の仕方ですね。働き方とか、生き方で迷ったタイミングってありましたか?

常に迷っていますね。今の状況がベストだとはいつも思っていないです。
そもそも不安症なので、例えば、コロナのタイミングでライターだけになってしまうと、イベント企画して運営するのはもともと大好きなのに、それが制限されてしまってこれからどうしようかと考えましたね。「企業にもう一回就職するのか...」とか。

ただ、今は企業就職をすることは考えていないです。子どもたちのことを考えてというよりは、私に余裕がなくなりそうだと思っています。やっぱり、人間関係に振り回されること増えるだろうし、固定化された人間関係があまり得意ではないので。
大手に行っても楽しめないと思っていたので、組織に行くなら中小企業とかベンチャーの規模となる。そうすると、その規模の組織は ぎゅっ としますからね。過去に4年間くらい一つの組織で ぎゅっ としたことがあったから、組織に属することと今の働き方の良し悪しがみえています。戻ったら自分がどうなるのかはイメージができるのは大きいですね。

あとは、出産前後のお母さんに割り振られる仕事は影響の小さい仕事が多いというのも今企業就職を選択しない理由です。代わりがいることの良さはもちろんあるんですけど、私は今それを望んでいないので、今のフリーランスという選択をしています。

とはいえ今の選択をしているからのしんどさもあります。どのくらいやるのかの裁量は自分で線引きをする必要があるんですよね。同じように業務委託をしているママ友とよく話すんですけど、仕事に傾きすぎると、頭の中が仕事ばっかりになってしまうし、私たちの”本業”は子育てや、家族だったりするので、”副業”はどっちなんだろうと(笑)。

母親になってみて、保育士のときに見えていなかったのは、子どもを育てるだけじゃなくて家事もしなきゃいけないんですよね。
今、広報のお仕事をさせてもらっている映画「あそびのレンズ」のインスタライブをしたときに話に出たんですけど、遊びだけを100%にして切り取れるときもあれば、生活のレンズで、「もう今は遊べない、時間です!」と切り替えないといけない時もあって。ただ、あそびのレンズをもう少し厚くしたいし、その方向で頑張りたいよね、という話になりましたね。ここのバランスは永遠に探求し続けるんでしょうね。

画像4
「あそびのレンズ」名古屋上映後

あとは、この人たち(子どもたち)を見ているのは、私のキャリアになる、とも思っていますね。

この子育ての分野にずっといるなら、母であるということとか、自分がリアルタイムで何を考えたか、子どもがどんな状態だったかとか、そのとき感じたしんどさとかは全てこれからのキャリアになると思っています。気持ち的な余裕はないけど、今は前向きに楽しんでいます。
私の場合、会社員になると、子育てを味わう余裕はなくなると思います。いくら仕事の時間を短くしても、余裕なんてないんですけどね。子どもって、200%イレギュラーな人たちなので。

__________ 会社員の時、保育士の時、また母親になってもいろんな方たちとの繋がりを持ち続けるのはすごいなと思いますね。

振り返れば、一時期に、すごい人脈貯金をしていましたね。自分一人で動ける時期に、たくさんイベントに参加していました。「asobi基地」とか、greenz系で仲よくなった人が多いです。「green drinks」というイベントには結構参加していました。今から考えると、平日の19-21時に集まれる人って変じゃないですか。普通の会社員にはなかなかハードルが高いと思います。フリーランスで働いている母仲間はそこでいっぱい増えましたね。自分自身がそうなりたかったというのもあります。
新卒で働いていた会社が、専門家にライティングしてもらうメディアだったので、仕事の中でも専門家にたくさん会っていました。その中で自分自身で生き方を選んでいる人たちに、たくさん会っていました。

__________ 子どもに関わる仕事がしたいという気持ちがあり、なぜその会社を選んだのですか?

大学にAO入試で入学したのですが、待機児童問題や児童虐待などがその当時から問題になっていて、これからは情報を取っていく時代になると思ったんですよね。
世の中の親が正しい情報を取得していけるようになった方が良い、そのために正しい情報を発信していく側になりたいと思いました。そういう経緯で、育児系のメディアを自社で持っているところに入社しました。
ベンチャーで絞っていたりしたのもあり、受けた会社自体、少なかったですよ。

__________ 分野としての専門性と、職種での専門性というわけかたをすると、りささんは「子育て(分野)×広報PR(職種)」で極めて行っているのはすごいですね。

周りを見てて思うのは、気づけば専門になっていたっていう人多いです。目的は一旦置いていて、手段の枝を広げていく時期があって、自分の好みが見つかっていって、その方向に深めていくっていう順番もあるんじゃないかなと思いますね。わけわからないけどやっている時期にだいぶ力はつくと思います。いつか絶対に、キャリアを立ち止まって棚卸ししないといけない時期は来るので、棚卸ししなくていい時期もあっていいのかなと、今振り返ってみたらそう思いますね。

私も周りが専門家ばっかりだったので、専門家になりたいというのはありましたね。だから保育士になったんですよね。「広報/PR×保育・子育て」は、掛け合わせで仕事になっている部分ですけど、「保育」を専門といえるかといわれるとそうではなくて、保育っていう分野って30年と努めている人がたくさんいる分野なんですよね。
ただ、私は、イベントやライティングなどの手段をたくさん持っています。それは、あのわけもわからず降って来る仕事を打ち返していた時期に身につきました。
手段の引き出しがあればあるほど、専門分野が見つかったときに活きてくるので、職種の専門性は無理に決めず、あとからでいいのかもしれませんね。

__________ どれくらいのスパンで、自分の仕事や生活全般を見直すタイミングを取っているのでしょうか。

基本的には3〜4年で見直していますね。短いと2年くらいです。
今も、この働き方がいいかは確定はできないですね、安定を求めていなかったとしても急にお金が出ていくこともありますし、業務委託なのでいつ契約を切られるのかわかりません。基本、手放したぶんだけ入ってくるとは思っていますけど、そうでないことも結構ありますからね。基本の収入ベースを何にするのかは決めておいた方が安心します。私の場合は「困ったらまた保育士として働こうかな」「どこかしら働けるだろう」と思っていることはその意味では安心につながっていますね。
不安としては、自分でやっている時間が長いので、「果たしてスキルは上がっているのか」とかは思いますね。フリーランスの仲間とは、今は”働き方”の話をすることが多く、家族や生活がある中で、仕事のポジションをどう持っていくのかという相談をしたりをしています。

画像3
山頂で家族写真 ※旦那さん撮影

色々と言いましたが「今、楽しいな〜」と思っていますよ。
毎日よくわからないことばっかりだし、お金もそこまで儲かっていないですけど、ただ、プロジェクトとしては面白いものに関われているなと思います。
この前、不登校の子たちがいく中学校のパンフレットを作ったんですけど、そこの子たちが、またいい子たちで...特に卒業生の話を聞いたときには、自分の思いがしっかりしていて泣けてきそうでしたよ〜(涙)。

あとは、私に子どもがいて、時間が限られていることを理解して仕事を任せてくれている人たちとしか一緒に仕事をしていないのも働きやすさの大きな要素です。
子どもが熱を出したときとか、子どものお迎えに行かないといけない時間になったときとか、「行ってらっしゃい」と普通に言ってくれる人たちなんですよね。私自身がそういう情報発信をしているから、そういう人たちと一緒にお仕事ができているので、よかったなと思います。

フリーランスの知り合いの中で、子どもが3人いる、尊敬する先輩ママがいるのですが、そのお母さんがいっていた「仕事の報酬は仕事」という言葉がすごく印象に残っています。全力でやった先に、仕事がきっとくると願っていますね。仕事って人の繋がりだから、人の繋がりを広げていくものだなと。新しい仕事を受けると、そのぶんいろんな人の人生を知れるのは、この働き方ならではの面白さだと思いますね。

お家で味噌作り

【編集後記】
母親である現在も、りささん自身が目指す社会へむけて、家事/育児と並行してこなす、リアルな姿をみせていただきました。
母親になり、急にこれまでの仕事と生活/子育てが断絶される方もいるかもしれません。りささんのように、"母親としてのロールモデル"を親になる前からたくさんストックができていることで、初めての母親業を前に進める大切な知恵になるように感じました。

【ライター】
篠原 七子(しのはら ななこ)
神戸市出身、福岡市在住の26歳(2021年時点)。自然と調和した暮らしづくりを目指し、コンポストの研究製造販売をする会社でCS/広報として働く。本メディア発起人(経緯はこちら)。
FBアカウント

”幸せ”の在り方が転換している過渡期の今、いろんなことに挑戦し、失敗、成功、体験談を数集めることが重要だと思っています。 このメディアでは、そうした挑戦者が挑戦しやすくなる環境の構築のため、お金を集めさせていただきます。集まった金額、使い道はこのnoteで報告させていただきます。