川島素晴 plays... vol.1 〝肉体〟

発表された段階で気になっていて
ネットでのチケット販売気にしてたのに
買いそびれて結局先生にご面倒をかける事になりつつ
(そして自宅レッスンのために遅刻しつつ)
聴きに行ってきました
(観にいった、魅にいった、何が正しいのか)

川島素晴先生は元々大学時代のソルフェの先生で
当時からかなり尖りまくりなイカす先生でした。
(近所の森で遭難したので休講、は人生で最初で最後だと思います)

今回は〝肉体〟をテーマにした既存曲や
委嘱曲、初演曲がありました。

わたし個人としても、リトミシャン(リトミックの人)として身体の動きによる音楽はかなり近い分野であり、
リトミックの一つの分野である「プラスティックアニメ」
(既存曲、即興曲等音楽を可視化=身体的な表現や、モノをつかった表現に変換し、またそれを実演する事でより楽曲への理解を深める)

に大学時代勤しんだ身としては、今回の演奏は気になるものだったんですよ。先生。

音楽に興味はあまりないけどたまたま開いてしまった、という人のために
この演奏会を3行で表すとしたら

大学時代恩師が

舞台上でパンイチになり

全身叩きまくられていた

といった感じでした。
(ちなみにパンツ?はブーメランでした。ぴちぴち)


ここからは身体表現というコンテンツに関するいつも思っていることである


身体で表現する、という事にあたって面白いなと思うことが

必ずしも身体表現を用いた楽曲の演者が身体表現のスペシャリストではない

ということである。

先ほどからチラッと話題にだしている
リトミックは、スイスのエミール・ジャック=ダルクローズが考案した、音楽メソードの1つである

ダルクローズ自身が前記した「プラスチックアニメ」を当時の音楽学生などとパリなどで上演した際には酷いブーイングが起きたことも自伝に残されている。

「素人のダンスを見に来たのではない!」
そういったブーイングが主だったそうな

管楽器や弦楽器といった楽器奏者におけるスペシャリストの定義としていえば
自分が思った通り楽器を演奏することが出来、
またその演奏で他人を魅了することが出来る。
(異論はあると思う、とりあえずね。)

と、すると身体表現のスペシャリストとは
自分の思ったように、そして他人が魅せられるように身体を操れる人と定義される

そうすると、身体表現のスペシャリストとは
バレリーナや、各種ダンサー達である
それはもちろんその通りである。


しかしその身体表現のスペシャリストが
正しく身体を使った演奏をこなせるか、となると別の問題になるのである。

身体表現に最適なプロポーション、美貌を持っていても
正しい演奏をしない事には演奏は成り立たないのである。


これはダルクローズの考案するプラスチックアニメでもおなじであり、
それ故に彼の公演は「ダンスの公演」と思った人には酷く受け入れられるものではなかったのである。


まあ身体表現に最適なプロポーション、そして技能と美貌を持った音楽家がいたらそれに超したことはないと思われるかもしれないが

身体表現に長けた音楽家が誰しも身体表現を用いた演奏が得意というわけではないということもあった。
これがまた難しい。



身体表現での演奏は感情がよく見える
歩いた1歩
その1歩の踏み出し方着地の流れで

恥じている
奮い立っている
終われ、と思っている
楽しんでいる

その感情の全てが丸裸になって見えるのである
(今回のポスターがまるでそれを指しているようだ)

そしてその熱量の違いを演奏とする場合もあれば
そうでなく、個人の感情が漏れだしてしまっている、ということもある。前者なのであれば明確に熱量の違いを出さなければならない。
後者ならばそれは演奏の妨げになるので辞めなければならない。
(思春期の学生達にボディパーカッションを教えろ!というのと、同じようなもどかしさ)


わたしは後閑綾香さんの足の音楽からホールに入ったので、
あくまでもそれ以降の作品で、となるが

今回圧倒的に魅せられたのは
清水卓也作曲
ポリモーフィズム(polymorphism)

(叩く人/林美春 叩かれる人/川島素晴)

である。

※掲載初期、林美春さんを美香さんと掲載してしまいました。自分の早とちりさと確認不足の性格を戒めると共におでこを床に擦り付けてお詫び申し上げます。大変失礼いたしました

叩かれる人のブーメランパンツにもさることながら
叩く人の熱意と叩かれる人の熱意が
常に一定で、熱いパッションを感じた。
食い入るように見てしまった。

本作は舞台に簡易的に寝そべることの出来る台を設置し、
叩かれる人の表情がよく見えるようにカメラで撮影したのを
舞台奥のホリゾント幕にプロジェクタにて投影しながら
叩く人が譜面に沿って身体の7箇所をとにかく
とにかくとにかく叩きまくる
という作品であった。

叩く人の熱意、叩かれる人の覚悟がイーブンでないと成立しない作品だなと思ってしまった。

(林さんの遠慮ない叩きっぷりは本当に気持ちよかった。演目だからという名目でストレス発散してました!と言われても拍手、と言った具合の叩きっぷり。)


また今回は叩く人が林美春さんと女性
叩かれる人は男性であったため
家庭内での日頃の不満を打撃で表現しているようにも見え、
(不倫でもしたかな…)
という気持ちで見入ってしまった。


最後、叩き台(処刑台?)から降りてきたブーメランパンツの川島素晴先生は
最も叩かれた太ももが真っ赤に内出血し
上半身も真っ赤だったのである。

最後の笑顔のお辞儀は
まるでこれからも夫婦仲良くやっていけそう
といった笑顔にも見えた。

(この公演の最後で川島先生はさらに自分の身体にムチを打ちまくることになる)


身体表現とは楽器の演奏と異なり
表情や感情がとても丸見えになる。

ボディパーカッションをよく打楽器奏者が演奏し、またそれが名演が多いのは

パーカッションだからではなく、
演奏の際のパフォーマンス、余韻の動きなども
考えた演奏方法が求められる打楽器奏者にとって、
身体表現は近しいものだから、ではないかと思う。

(それ故に林美香さんのパフォーマンスはとても洗練されていた。)

川島素晴先生の初演曲では
顔の動きをフューチャーし、ある意味での無音演奏であったが
もしここに感情が乗っていたら?と思うこともあった。


人間の動きというものは感情に大きく左右される
身体表現において感情の切って切れなさを大学時代ぶりに思い出した。

身体表現において、譜面があるというのと
即興でなのかというのと
たまたま生じた即興性を大事にするものなのか
と言うのでまた違うんだけれど
それを話すともう家に着いて、腹ぺこの犬がブチ切れてしまうと思うので
ここまでにしておこうと思います。


読んで字のごとく身体を犠牲にした川島素晴先生、(学生当時はなめくさった学生でしたのでもとはるぅと呼んでいましたが私も大人になりましたのよ)
どうぞお身体ご自愛ください。


また新型コロナウイルスが猛威を振るうこの状況下の中
感染はありえないなという程の徹底した管理、
たくさんのご苦労があったと思います。
それでも素晴らしい公演に出会うことが出来、
本当に嬉しく思います。

一期一会のライブ感たまらない現代音楽、最高でした。


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