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2020年3月18日

暖かくなってきたと思ったら、暗い時間はまた冷え込んできて、この時期は本当に着るものに困って厄介だ。昼は薄い羽織りものでも着ていればいいが、暗くなったらまた押し入れに掛けたダウンをひっぱりだして、チャックも全部閉めなければとてもじゃないが外には出れない。そのくせ春を告げるように風なんか吹くから余計に寒い、はっきりしてほしい。寒さにも飽きてそろそろ夏の暑さが恋しくなってきたような気さえする。

高校3年生の夏休みに入る少し前、セミがうるさくて、家が湿気でもんもんとしていた。テレビのニュースをその日たまたま観ていて、パンをかじりながら、牛乳で流し込んでいた。そこに鮮烈な内容のニュースと馴染み深い名字が飛び込んできた。相模原のやまゆり園での殺傷事件だった。犯人の名前は僕と同じ名字だった。全く血縁関係のない人だったけど、同じ名字の人にあまり会ったことがないだけに、衝撃的だった。
なんとなく学校に行きたくないな、ほんの少しだけそう思った。自分には何にも関係ない、けど名前が同じ、それだけで少し嫌だった。当時より少し古い記憶が、脳味噌の中でごちゃごちゃして、それだけで疲れてしまった。
結局、学校に行った。
教室に入ってくる日差しが、いつもより眩しい気がした。湿気がぞわぞわと這ってくるような感覚があった。
「植松って、あの犯人の親戚とかなの?」
普段そこまで喋らない男子が、そう言ってきた。少し、寒気がしたあとに、
「神奈川に親戚いないよ、みんな歳食ってる人ばっかりだし。」
事実だし、誇張もない。男子は、そのまま他の生徒との会話に興じていた。
何故だかこの事件は僕の気持ちを大げさに不安にさせた。
そのあと、先生が授業をしにやってきて、その事件にふれ、犯人の名前にふれた。その時なんと言っていたかは忘れてしまったけど、茶化したりふざけていじることがないと信じてる、みたいなことだったと思う。
その先生ももしかしたら大袈裟だったかもしれないけど、僕自身はそこから緊張がとけ、安心した。周りにもそんなつまらないことをする奴はいなかった。

死刑判決が下ったことを知ってそんな記憶が甦った。以前にも彼について調べてみたこともあるけど、彼が言っていることは、きっと常人が理解できない範囲のことではない。その気持ちも生まれてしまうのはわかる。だけど殺してはいけないし、そう思ってしまうのはいけないことだ。そういうことだと思う。紙一重とは言わないが…見えない境界線ではなかった。そこにはっきりと区切りをつけて、犯行に及んでしまった。しかし今度は彼に対して、僕らが同じことをしてしまっているのではないかとも思ってしまう。倫理観や道徳が揺れ動いて、なにが善でなにが悪か、単純な二元論では済まされない問題が根底にあるのではないかと思う。

ただ、これだけは言える。いつの世も、綺麗なものだけ見つめてるのでは、それを知ったとは言えない。全てを見つめ直さなければ、それは空っぽの理想論に成り下がってしまう。そう知らされた気がする。



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