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「事件」——『さよならデパート』ができるまで(19)

この辺りから、長かった昭和編の終わりがかすかに見えてきた。
実は、明治・大正編が割とさくさく進んだので「発売日は2022年1月26日にしようかな」などと考えていたのだ。大沼デパートが営業を終了した、ちょうど2年後に当たる。

見積もりは甘かった。
この前、庄内出張へ行った際に、ホテル近くのスーパーで「モンブラン大福」なるものを見つけて買った。いちご大福のように、大福の中身がマロンクリームというわけじゃない。大福の上に、モンブランがどっかり腰を下ろしているという凶悪な品だ。
酔いに手伝われて手を伸ばし、部屋へ持ち帰ってベッドの上でだらしなく食べたのだけど、砂糖の貴重だった時代の人が口にしたら即死するんじゃないかというくらい甘い。その正体が大福なのかモンブランなのか分からない。ステレオ音源をむりやりモノラルに押し込んだような、圧力の高い甘さだった。
まあ、私の見積もりもそのくらいだったわけだ。

そもそも60年以上ある昭和は、当然ながら出来事が多く、商業史についても激動という言葉がふさわしい。
予定していたページ数は増え、従って原稿に向かう時間も膨れ上がった。
13章「事件」を書きながらようやく「平成」を意識して、発売日は春頃になるだろうと考えを改めた。

さて、ある問題が湧いてきた。
第17回で書いたけども、私は基本的に粗い設計図だけを携えて執筆を進める。章の始まり方と終わり方、書き漏らしちゃいけないことだけを決めて、できるだけ読者に近い感覚で、新鮮さを維持しながら書くようにしているのだ。

「ある問題」とは「飽き」だ。
資料と取材の積み上げで何とか昭和までを描いてきたけども、ここらで光の当て方を大きく変えないと、平成・令和が退屈になる。私がそう感じるということは、きっといずれ読まれる方もそうだと思った。

思案の末に得たのが、「ひとりの人物の視点から物語を展開しよう」という結論だった。
平成・令和の大沼に深く関わった方にじっくり話を聞いて、その人生をたどりながらデパートの終焉を描くのだ。こうすることで、資料を基本にした文章ではなかなか使えない「内面描写」を多く取り入れられる。やや離れた場所に置いていたカメラを、ぐっと寄せられるといった感じだろうか。仕上がりは小説に近い形になる。
こういった手法の切り替えをすれば、「飽き」の問題を越えられると考えた。

じゃあ、誰に話を聞こう。
真っ先に浮かんだのは、初めに協力をしてくれた方だった。
大沼デパートに長く勤め、「本を作りたい」と言った私を、熱烈な言葉で後押ししてくれた人だ。破産によって散逸した資料の中から、細かな年表や家系図を探し出し、取材相手の紹介まで請け負ってくれた人だ。
あの人しか居ない。
早速、会って話がしたい旨のLINEを送った。

「今後、大沼に関することには一切触れたくありません」
返事にはこうあった。
崩れ落ちた進路の端っこで立ち止まりながら、なぜもっと早く話を聞いておかなかったのかと悔やんだ。コロナの報道に遠慮させられた事情もある。けど、自分の怠惰がなかったと言い切れるだろうか。
最後に会ってから、何かをきっかけとして心変わりがあったのだろう。よく言われるように、愛と憎しみは表裏一体ということか。大沼に強い思い入れがあっただけに、それが反転した時の拒絶も激しかったのかもしれない。

この章「事件」では、章題の通り最後の1行で大きな事件が発生する。
その物語を書き終えた私もまた、悲嘆に暮れていた。

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