プレキシ、謎めいたまま[11]

 書くこと、そのなかでも特に虚構の世界について書くことは、人間のしうる営みのなかでも最も外縁に近い辺境に位置する(もちろん、中心には殺しと夜がある)。書くことが僕にもたらしたことは、実質的には、ほんの少しもない。書くことは僕にヒルをもたらさなかった。それでも僕が書き続けているのは、……どうしてなのだろう、救われるかもしれないから? でもこれは僕が望んだ辺境ではないかもしれない。……僕にはそんなふうに思われてならない。

 ”A”はアルファベットの最初の文字で、とても偉大な文字とされている(Grimm)。それは最も単純で始原的な〈ア音〉を表す。かつて表していたもの、そして表さなくなったもの、その二つが、"A"には結びつけられている。最初にア音を発した人間は、間違いなく何かを表現しようとしていた(それは何かを伝えようとしていた)。しかし、最後にア音を発するべき人には、完成した人類学的に十分巨大な背景文脈のもとでは、そこに何も付け加えることがないという意味でそれが全く無意味で、無内容で、何も伝えるところがないという事実それだけが残されることだろう(それでも、人間の最後の声が単純なア音であることは、ほんとうにありうべきことに思われるけれど)。"A"はこんなふうに、一であることと二であることと零であることの結節点である。

 零ではなく一であることと、一でなく二であることは、十字路のように互いに交わっている。零ではなく一であることは、Aが一つも存在しない状態から、任意のAが少なくとも一つは存在する事態への論理学的な移行を表す。それは存在についての言及である。それに対して、一でなく二であることは、Aが単一の存在ではなく、複数の存在でありうることを表し、Aという類(カテゴリー。例えば人類)が開始しうるという可能性を示す存在論的な言表である。Aはたくさんあるかもしれない……いま目の前にあるAは、たくさんあるAのうちたまたま現れたものにすぎないかもしれない。でもそれはわからない。なぜならまだ二つしかないから。双数というカテゴリーは単数と複数の中間に位置して、二つのものが認識論的に一つでありうるケースを確証する言語範疇である。二つで一つのものなんてざらにある……目、耳、手。二頭立ての馬車馬、車輪。宿敵と恋人。私とあなた。アンドロギュノス。

 Aは僕の父と大学の時からの友人で、だから僕の母とも知り合いだった。Aと父は二人で、人の下で働きたくないという純粋に不真面目な気持ちから、協力して起業した。最初の業態がどういうものでそれがどういう趨勢を辿って行ったのか僕は全く知らないのだけれど、少なくとも僕が物心ついてからの彼らの仕事は、保険屋だった。自分たちで保険を立ち上げているのではなく、名のしれた大きな保険会社から請け負って個人や会社に営業をかけ、地元で契約を勝ち取ってくるいわゆる保険代理店で、手を変え品を変え幅広い商品を友人知人らにどうにかこうにか売りつけて父は僕と母を食わせていたが、Aがおしゃかにした大きな契約を償おうとして決済を誤魔化し、それが明るみに出て会社は潰れ、自殺した。父にかかっていた三つの生命保険のおかげで僕たちは一時的に裕福になったが、保険会社の調査が終わるまでの間に母はAと再婚したので、結局父の命にかかっていた金はすべてAと母のあいだに落ちることになり、富は、ほんの一瞬僕にも垣間見えたと思った瞬間、Aが自分の管理する口座にしかるべく振り分けて全く不透明な、閉じたままの通帳にならぶ陰気な零の羅列に変わった。

 垣間見えた富というのは父の墓のことだった。母は父の死の後ずいぶん気丈に振る舞っていたが、僕がある日夢の中で父と話をしたということを、朝、食卓を囲んでいた時話したら、ずいぶん気持ち悪がって顔を青ざめさせた。
「どんなことを話したの?」
 それで僕は見たままを正直に話した。僕は裁判の傍聴席に座っていて、その横に父もいた。二人は一緒に目の前の裁判を見ていた。そして、父は何か難しい話を裁判官と一生懸命していて、その話は横にいる僕にも向けられていることが、僕にはわかっていた。でも考えてみると、裁判の傍聴席でそんなにたくさん話をしていたら普通追い出されるだろうし、そもそも傍聴人が裁判官と話ができるわけもないから、すごく変な夢だったと思う。
 で、裁判の夢を見たのは昨日検察官が主人公のドラマを熱心に見ていたからにちがいなかったが、こういう説明はふさわしくないと思ったので、それは黙っていた。母は深刻そうな表情で皿の上の目玉焼きを見つめて、そのまま、お父さんはどんな話をしていたのか聞いた。
「だから、難しくて、わからなかった」
 数日後、休日に母は僕を郊外の公園に連れて行った。ひどくだだっ広い公園で、いくつかのエリアに分かれており、それぞれの区画は一応イギリス風とかフランス風とかそういうコンセプトで品変えしているらしいが、そのときの僕は正直言ってまったく理解できていなかった。母は車を止めた駐車場からその広い公園をまっすぐ斜めに突っ切ってそれらの区画を通り越し、その全体に隣接していた明るい墓地まで僕と歩いてきた。 

 

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