西川美和監督「ゆれる」


西川美和監督は是枝監督の仕事上のパートナーであるという時点でも無条件に大好きだが、多角的に物事を言及できる繊細な感性が彼女の魅力ではないかと。その魅力が他の作品にも増して、120%出ています。

以前、大学の講義のゲストスピーカーとして西川美和監督がいらした時に、均衡を保っていたものが崩壊する過程をテーマに作り続けていると仰っていた。それは、綺麗なものはきっと意外性を備えた真実を覆っており、それを剥がして行くことで、人間性や関係性の本質を掴めるのではないだろうかという初期衝動から来るものらしい。そのような想いが、まさに本作品のキャッチコピー、「あの橋を渡るまでは、兄弟でした。」に凝縮している。

一言で言うと、持つ者と持たざる者である、弟と兄の葛藤や苦悩、そして軋轢と言える。しかし一言で収まりきれないのが、本作品の良さであって。

田舎で色褪せた実家のガソリンスタンドで勤め、家事にも励み、身を粉にして常に他人を思いやる兄。その努力が日々に可視化して直結しない部分が、観ていて遣る瀬無い。一方、上京してプロの写真家としてそれなりに成功も納め、自分の想うがままに自由に生きる弟。肩書きも良し、自由奔放な性格故に人を吸い寄せる魅力も兼ね備えてる。
でも果たして前者が持たざる者であり、後者が持つ者なのか。それは生き方がありありと可視化されているか否かの違いではとも思える。むしろ普段は可視化出来なくても、いざという時に魅力が発揮されているのは、前者の兄では無いだろうか。普段、他に目を向けてる姿勢が、いざという時に他を兄に向かわせる。それが一番に物語っているのが、新井浩文の存在ではないかと。巷で言う持ってるやつである弟は、そういう兄の繊細な配慮を持ってないからこそ、相手のそのような配慮や情を感じる事も出来ずに、時には踏みにじったりもする。それはある意味持たざる者とも言えるのでは?華やかではあるが、本当の意味で孤独なのでは?

自分もだが、どうしても隣の芝生は青いと思ってしまう。しかし傍観するのではなく、自分を直視し何かを捨てて自分の芝生を青くするしかないのだ。言うのは簡単だが、実行するのが難しいのが現実ではあるが。その困難な過程が丁寧に描かれており、最終的に兄は閉鎖的な生活や家族という縛りから開放的な暮らしを求め、弟は自己ばかりではなく他人と向き合おうと家族を見つめ直そうとする。それはかけ離れて対抗軸に居た二人が、ある橋が招いた事件を通して、二人の隠していた不安定な関係性の“揺らぎ“と向き合い、すれ違うこととなったとしても渡り切った結果。
私にはこの話がハッピーエンドにもバッドエンドにも、どちらにも思えた。不完全が現実と言えるから。観た人によって感想は大きく異なるであろう作品。

8ミリカメラの映像を見つめるオダギリジョーと、顔で全てを語る香川照之の二人の演技が、ピカイチでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?