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X(Twitter)見る専からの卒業

いつからだろうか。暇さえあればTwitterを見ていたのは。

おそらく、5年ぐらい前から見る専で、手持ち無沙汰な時間があればとりあえずTwitterを開いて、なんとなく人のツイートを見るという時間がとても多かった

タイトルの「見る専からの卒業」だが、「見る専を辞めて発信をしていこう」という話ではない

暇さえあればツイッターを見ることをもういい加減辞めたいのだ。

なんとなくツイッターを開き、おすすめ欄のツイートを見てしまう人はかなり多いのではないだろうか

私自身の見る専アカウントでは、知り合いなどは一切フォローしておらず、その時々で気になるキーワードを検索してみたり、おすすめ欄のツイートをひたすら見ていたりしていた

わたしが検索するキーワードは、その時々の私の状況で変わってくる。
例えば妊娠中だったら「つわり 辛い」などで検索し、自分と同じ境遇にいる人を見つけて、なんとなくの安心感を得たりするために見ていたのだと思う

「この辛さを感じているのは、自分だけじゃない」

こう思うためにツイッターを使うのは、全然悪いことじゃないし、ストレス発散にもなる行為だと思う

ただ、私が最近見る専を辞めたいと思う理由は、おすすめ欄に過剰に表示されるネガティブツイートが理由だ

ネガティブな内容というのは、どうしても目に留まる。そういったツイートが流れてくると、どうしても見てしまう。

ツイッターのシステムは本当に怖いほど優秀で、わたしの関心のある分野、例えば「育児」などのあえてネガティブツイートばかりおすすめしてくるように感じる

自分にまつわる分野の話、かつネガティブな話が出ると、どうしても内容が気になってしまうのが人間だと思う。

一つのとあるツイートが気になるとする。

そうすると、それに対して他の人はどういう意見を持っているのだろうかと、そこから延々と引用リツイートの内容を見に行ったり、リプライの内容を見ていったり、いつのまにかとんでもない時間が経ってしまうことも何度もあった

ネガティブな内容を見ると、どうしてもそのツイート主に気持ちを寄せてしまう。

「辛かったよね」
「だいじょうぶかな?」
「その後どうしたんだろう」

とても気になるし、状況がはやく良くなることを願っている。

だけど、わたしという一人間が親身に心配できるのは、せいぜい半径3m以内の環境ではないだろうか(家族、心を許せる友達など)

ネット環境という特性上、ツイッターを見ているとネガティブな情報が半径1500kmぐらいから集まってくる(日本の長さは東西、南北に約3000kmらしいので)

こうなるともう頭がパンクするし、とんでもなく脳にストレスが溜まっている気がする。

だから最近は、Twitterを見る時間を極端に減らしている。
やっぱりたまに気になって見に行くこともあるが、本当に見る時間がほとんどなくなった

暇な時間があったら、最近は読書をするようにしている。

「読書はストレス発散によい」とされているのはよく耳にするが、最近は育児をする中でほんとうに効果を感じているのだが、この話はまた今度…

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