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本当は「年相応」の生き方なんて存在しない!

「年相応」という考え方に縛られるのと解放されるのでは、生き方が全然違ってくる!

「年相応」という考え方に縛られたら? 逆に解放されたら?

1.縛られた場合
① 生き方が窮屈になる。
② 年齢の枠にハマってしまうので視野が狭くなる。
③ 「でなといけない」思考で、余計なプレッシャーを抱えてしまう。
④ やりたいと思ったことがあっても、年齢を理由にあきらめてしまう。
⑤ ④の結果、モヤモヤが溜まる。後悔する。

2.解放された場合
① 生き方が自由になる。
② 視野が広がるので、いろいろな発見がある。
③ 「~したい」思考になるので、心がワクワク。軽やかになる。
④ やりたいと思ったことを、躊躇なくチャレンジできる。
⑤ ④の結果、納得のいく人生になる。

明らかに解放された方が良いよね。
年齢という枠に囚われない!その考えが素敵だね!


でも、知らず知らずのうちに「年相応」縛られてしまう。なぜか?

1.教育や風潮の影響
「子どもらしくしなさい」「大人になりなさい」「そろそろ結婚しなさい」とか、よく言われてきた。
他にも「年相応の振る舞いをしたほうがいい」とか「年相応のファッションをしたほうがいい」とか…。
ま、とにかく枠にハメようという風潮。

僕の友人の兄の話だが、小学生のときの作文で「大人はズルい」「大人は嘘つきだ」と書いたら、先生に「子どもらしくない」と叱られたそうだ。
友人の兄は落ち込んだらしい。
彼は素直に書いただけなのにね。子どもらしいと思うんだけどなぁ…。
大人が求めている回答に、子どもが合わせないといけないのかね~?(苦笑)

2.テレビや雑誌がやたらと年代別に分けたがる
テレビや雑誌が何かを特集するとき、よく年代別に分けている。
20代、30代、40代、50代…という具合で。
それぞれの年代で、聴く音楽はどうなのか?とか、ファッションはどうなのか?とか…。
こういうのがあると、例えば「50代がジャパレゲを聴くのは恥ずかしい」とか「20代が美空ひばりを聴くのはじじくさい」とか思ってしまいがち。
そして「自分の年代の趣味しかしてはいけない」と思う人が増えてしまう。

3.テレビや雑誌で人の名前を紹介するとき、名前の横に年齢が表示されている
山田〇郎さん(52)という具合で表示されている。
年齢の表示がなくても、田中〇子さん(40代)という表示もある。
僕はこれには違和感を感じていた。
その番組のコンセプトが「世代別に意見を聞く」のならわかるんだけどね。
でもそんなことは関係なく、ただ単に年齢を表示させている。
それじゃあ、視聴者にしてみれば「自分と同じ年代の人がそう言うのだから、そうなんだ~」と思ってしまうよね。


「年相応」という概念が悪循環を引き起こすことも

1.高齢の人がパソコンに興味を持って、一瞬やろうと思うが、「俺は年だからできないだろう」と、やる前からあきらめてしまう。
年齢という枠に囚われなければチャレンジできたはず。

2.会社で中高年の上司が「俺は年だからパソコンは苦手だ。だから君、これをやっておいてくれ」と、若い社員に何でも丸投げしてしまう。
自分の年齢を理由に、他人に甘えてしまう。

このように「やらない理由」「できない理由」を年齢のせいにする。
悪循環だね。
2のように、仕事を丸投げされた若い社員はたまったもんじゃないよ。


本当は「年相応」の生き方なんてない!そんな考えは捨ててしまおう!

高齢の人だってパソコンをやってもいいし、ポケモンを観てもいい。
若い人だって懐メロを聴いてもいいし、俳句をやってもいい。

「この年代はこれ」という概念は捨ててしまおう!

どうすれば捨てられるか?
それは簡単。
シンプルに、自分が「これだ!」と思ったことをやる!
ただそれだけ。他人の目は気にしない。

ただ、実際、「年相応」に縛られている人は沢山いるから、例えば、友人から「こんなことしてるんだ~。若いね~」とか「面白いことしてるんだね~」とか、チャチャを入れられることがある。
それをされると、せっかくのワクワク感がさめちゃうよね。

じゃあ、どうすればいいか?
それも簡単。
人に言わなければいい!
「自分がやりたいこと」「好きなこと」を、わざわざ人に言わず自分で楽しむ。
誰かと気持ちを共有したければSNSがある。
「やりたいこと」「好きなこと」が一緒同士なら、年齢問わず盛り上がるはず。


今回はこの辺で。

いろんなことにチャレンジするのは素敵だと思います。
ただ、それを邪魔するものってけっこうあります。
今回は「年相応」という考え方が邪魔をしているのではないか?と思い、書いてみました。


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